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憎きアショーカ王

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(35)見解こそが苦しみの原因だと歌う--例えば第九のスッタ(「あなたはどのような見解を……説くのですか?」……マーガンディヤよ、私は『このことを説く』ということがない。もろもろの事物に対する執着を執着であると確かに知って、もろもろの偏見における過誤を見て、固執することなく、省察しつつ内心の安らぎを私は見た……想いと偏見とに固執した人々は、互いに衝突しながら、世の中をうろつく)や、第十三のスッタ(「我は知る。我は見る。これはこのとおりである」という見解によって清浄になることができる、とある人々は見なしている。たとえ彼が見たとしても、それがそなたにとって、何の用があるだろう。彼らは……他人によって清浄となると説く…見たり学んだり、考えたりしたどんなことについても、賢者は一切の事物に対して敵対することがない。彼は負担を離れて開放されている)。

(36) ビンビサーラ--[パーリ/サンスクリット]Bimbisara [漢音]頬婆裟羅。ブッダ・サキャムニと同時代のマガダ王。ブッダ・サキャムニより五歳年少だったという。ビンビサーラ王とその子のアジャータサットゥ王によってマガダは勢力を拡大し、後のアショーカ王によるインド亜大陸統一の基礎を作ったとされる。ブッダ・サキャムニがラージャグリハに滞在していたおり、自ら出向いて面会し、還俗して自らと同盟するように求める(マガダはサキャ族が従属していたコーサラと敵対しており、ブッダ・サキャムニはサキャ族の王の嫡男であったため)が、法を説かれて帰依し、のちにサンガに竹林精舎を寄進した。子のアジャータサットゥと不和となって幽閉され、ブッダ・サキャムニより七年早く没したという。

(37) アジャータサットゥ--[パーリ]Ajatasattu [サンスクリット]Ajatashatru [漢音]阿闍世。マガダ王。ビンビサーラの子。父と同様仏法に帰依し、ブッダ・サキャムニの没後作られた十個のストゥーパ(八個の舎利塔と骨壷塔と灰塔)のうちのひとつの舎利塔をラージャグリハに建てたといい、マハーカッサパ、アーナンダらによる第一結集の後見人になったともいう。コーサラ(77参照)、カーシーなどを破ってマガダの勢力を大いに拡大したが、子のウダーインによって父と同じく幽閉され、仏滅二十四年に没したという。

(38) ストゥーパ--[サンスクリット]Stupa [パーリ]Thupa [漢音]卒塔婆。"塚(盛り土)"の意。塔とはそもそも仏教におけるストゥーパのことであった。輪廻思想が発展する以前には、インドの人々も死者を埋葬していたらしく、土を盛って目印としたものをストゥーパ、樹木を植えて目印としたものをチャイティヤ(56参照)と呼んだ。ブッダ・サキャムニの遺骨を巡って諸部族の争いが起こったとき、ドーナというバラモンが調停して遺骨を八部族、灰を別の部族に分配し、自身は空になった骨壷を得て、それぞれ都合十個のストゥーパを作った(Mahaparinibbana-suttanta 6-25〜27)。アショーカ王はこの八つの舎利塔のうち七つを開いて、さらに分割して各地にストゥーパを作った(アマラーヴァティ石柱碑文など)。クシナガラ、ヴァイシャーリー、バールフト、サーンチー、アマラーヴァティ、ソーパーラーなどに現存するストゥーパは、アショーカ王の建立ないしその増広であると見なされている。やがてストゥーパは原義を失ってブッダ・サキャムニの舎利塔のみを指すようになるが、それはアショーカ王の時代にはすでに輪廻思想は一般に浸透し、ストゥーパやチャイティヤは作られなくなっていたからかもしれない。

(39) 二千年以上保ち続けている--例えばインド共和国の国章はサールナート石柱の獅子であり、1996年以前の旧ルピー札にもこれが描かれていたし、インド国旗の中央の輪は、ガーンディらのサティヤーグラハ運動の象徴であった糸車であると同時に、アショーカ石柱の法輪(116参照)でもある。また今日インドで男子が生まれるとアショーカと名づける家長は非常に多い。2001年に公開されたボリウッド映画『Asoka』は、仏教を主題としながらも盛況であったという。しかしながら転輪聖王伝説を別にすれば、十九世紀のイギリス人らによる、アショーカ碑文の発掘や南伝仏教経典の研究以前には、インドの人々はアショーカ王のことをほとんど忘れていたという。だからインドにおいてならば正しくは「二千年を経て蘇った名声」とでも言うべきである。もっとも、仏教徒、特に南伝仏教徒において言うならばこのとおりなのだが。

(40) 三箇所で見つかっている--コーサンビー、サールナート、サーンチーの少石柱碑文のこと。31参照。

(41) 大乗--[サンスクリット]Mahayana. "大きな(偉大な)乗り物"の意。チベット、中国、朝鮮、日本、北ヴィエトナムなどで行われ、北伝仏教とも。ストゥーパ崇拝派というようなサンガを持たない在家集団と大衆部のサンガが結びついて発展したとされ、成立時から大衆的信仰的な要素が強かった。保守的だった長老部と対照的に、伝播した土地土地の土俗的な信仰も取り入れ、多様に変化した。ここで彼が「恐ろしい名」と言うのは、自ら"偉大な"と称することなのだろう。スッタニパータなどの古い詩句ではしばしば自らについて偉大であるなどと語ることがどういうことかが説かれるが、北伝においてはこれらの古い詩句が重んじられなかったことが関係しているのだろうか。

(42) 空から積荷が降ってくる--カーゴゥ・カルト([英]Cargo cult. 積荷信仰。積荷儀礼)のようなことを言っているだろう。メラネシアなどでアメリカ軍の積荷を受け取った人々が、飛行機などを木材などで模して作り、もう一度積荷がもたらされることを期待したことで有名となった。カーゴゥ・カルトという言葉が一般的に用いられるのは、本質を理解することなく模倣するという部分だが、ここでは自己の努力で現実的に実現するのでなく、何か神秘的なものからもたらされるものを期待することを指すのだろう。その意味では、今日ある宇宙人やイルカに期待することとか、占いなどがそれだし、神々に利益を祈ることもカーゴゥ・カルトと呼べるだろうから、しばしば自ら何をするでもなく如来や菩薩に期待する大乗仏教徒をこのように指すのだろう。

(43) 中夏--"中国"ないし"中華"のこと。夏は紀元前二千年頃の禹に始まる中国最古の王朝とされており("中国四千年"とはここから来ている。紀元前千六百年頃、殷に滅ぼされたとされる)、中国の人々は自国について古くは中夏と称することがあった。今日の中華人民共和国を指さないようにこう呼ぶのかもしれない。
作品名:憎きアショーカ王 作家名:RamaneyyaAsu