Bhikkhugatika
ウィル・ウィルトゥティス-真に男らしい男
ウィル・ウィルトゥティス、真に男らしい男。
彼は、他人の言辞によって作られたものを私と呼ぶことがない。神や霊魂とその不滅について聞いても、ただそのように言う人がいるなとしか見なさない。自ら確かめていないからである。
彼は、使える限りの自由を利用して、自らを観測し、解明し、打ち建てる。
彼は、自ら確かめ、自ら作った、知り抜いたものを私と呼ぶので、他人に対して胸を張るし、自らを装う必要がないので、建前やごまかしを考慮しない。
彼は、いつも何かしら学問をしている。他人によって知ることなく、自ら調べ、自ら確認するには、それなりの時間を要するからであり、彼の祖先とその生活はもはや数えきれぬほど多いからであり、彼の隣人とその生活はもはや数えきれぬほど多いからであり、自然は果てしないと思えるほど広いからである。
かくて自らと他人と自然を見た彼は、そこでようやく行為を発見し、それを行う。
だから、真に男らしい男は、思慮深く見え、こだわりがないように見え、要点を得ているように見え、明るく見える。
*ウィル・ウィルトゥティス(Vir virtutis)…徳ある男。真に男らしい男。イタリアルネサンス期の人文主義において再生された、古代ギリシャ、ローマに起源する理想的人間像。中世一千年を支配したアウグスティヌス的キリスト教の、神の意志による以外は何事も起こらないという思惟方法への反定立。
作品名:Bhikkhugatika 作家名:RamaneyyaAsu