食べ物による小話 #04「シーザーサラダ」
「ヤスデが一匹味噌汁に入ったら、その鍋はダメになるとか言われてる程、腐臭がするのよね」
「害虫じゃん!」
「実はここだけの話なんだけどさ……」
辺りを見回し、彼女は僕の耳元へ口を寄せた。
「なんだよ」
「私の知り合いにマンションの管理人をやってた人が居たのよ。もうやめちゃったんだけどさ」
「ふむ」
「マンションの管理人って大変で、家賃を取り立てたり、入居者のクレームを受け付けたり、部屋の修理を自分でやったり、マンション全体のメンテナンスもやったり、家主さんへの負担交渉もやるらしいのよ」
「ああ、じゃあ敷金・礼金とか、退去時負担なんたらとか?」
「そそ。家主にはお金を出してもらわなきゃならないし、入居者からはクレームが来るしで、結局そいつ、うつを患ってやめちゃったのよ」
「そりゃご愁傷さまだ」
「そいつが言ってたんだけど、ある日入居者から電話がかかってきたのよ。聞いてみると、なんと『排水口から虫がいっぱい出てくる』とか」
朝起きて、顔を洗おうと洗面所まで歩く。そして通りがかったキッチンで、目の端に何か動くものが。シンクを覗いてみるとそこには……。
「……キモすぎる」
ただでさえキモい虫が、『いっぱい』て。
「んで、別の人を連れて二人で言ってみると、お部屋には異常がなかったんですって」
「へぇ?」
別に原因があるということか。
「そういうこと。詳しく調べてみると、問題はマンションの共用廊下に、原因は隣の林にそれぞれあったのよ」
「もったいぶるなよ。稲川淳二じゃあるまいし」
「そのマンションの共用廊下。あるじゃぁないですかこぅ、お部屋の玄関を繋いでいる廊下ですよ」
ちょっと似てた。
「その廊下なんですけどね。端っこに排水用のくぼみがぁあるんですよ。知ってます? 雨とか流すためにあるんですよぉ。そこに、枯葉が積もっちゃってるわけなんです」
「普通にしゃべろうぜ? な?」
「ふん」
あ、ちょっと残念そう。
「まぁいいわ。ともかく、その枯葉からいやぁな臭いがするので、どかしてみたら」
すぅー……。
「くぼみびっしりとヤスデが……」
ぎゃあああぁぁぁー。
「とでもいうと思ったか! キモいだけじゃねえか」
「しかも五階建てで、二階から五階のくぼみ全部」
「キモさ五倍じゃねえか。……いや、四倍か」
「共用廊下側に隣接する林は日当たりが悪くて、よく湿ってるらしいのよ。だから、そこで大量発生して、排水管を逆流して廊下に。さらには……」
「……各お部屋にってか……」
「薬でやっつけて掃除したら、四十五リットルのゴミ袋が半分くらいになったらしいわよ」
帰ったら共用廊下チェックしてみよ。
「他にもあるんだけど……」
「もういい」
「えー。もっとキモがってよ」
「充分キモがったろ? そいつに言っとけ。ネタをどうもありがとうってな。そんで、そういう話はよそでやってくれって」
「分かった。小説にして投稿するように言っておくわ」
本当に上がったらどうすんだよ。
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「で? ウスターって?」
「お前……」
あの話の後に食べ物の話しろってか。
「ウスターは日本の名前で、正確にはウスタース。しかも日本のウスターソースは独特な味らしく、海外ではウスターソースとは認知されていないんだ」
「となると、日本のソースとは違って、海外のソースはサラダに使えるソースってこと?」
「そういうこと。海外……というか、イギリス産のソース。シーザーサラダに最初に使われたソースもそうなんだけど、アンチョビ入りなんだよ」
「アンチョビっていうと、塩漬けの小イワシだっけ?」
「そそ。アンチョビを使うことで魚の風味がある。それがイギリス産のウスタースソース。今でも海外ではスープ料理に使用されているんだよ」
「だからサラダに入れてもってことね」
「そゆこと」
ちなみに言うと塩漬けがアンチョビ。油漬けがオイルサーディンである。よく同一視されるが、味も魚も違い、用途もバラバラ。
「昔アンチョビって苦手だったわ。今では結構好きだけど」
「そういうのってあるよな。ピクルスとか、納豆とか」
「あー私納豆はダメだわ。隣の男が食べてるのを見ると指を折りたくなるわ」
僕限定かよ!
「おすしのサビとかもそうよね。サビ抜きじゃないと、子供の頃は食べられなかったわ」
「サビで思い出したんだけど……」
「何?」
「テレビのバツゲームとかでさ、サビ増量のおすしとかあるよね」
「ええ、それが?」
「前に仲間内でやったことあるんだ。スーパーのパックすしをいじって、一つだけサビ増量のロシアンすし」
「食べ物で遊んでんじゃないわよ」
と、指を折りにかかる。
「怖! 本気でかよ!」
「お百姓様に謝りなさい! あと漁師さんにも! スーパーの人にも! ワサビ農家の方にも! おすし作った人にも! 今指折ろうとしている美人にも!」
「お前に謝ってどうする!」
でも本当に申し訳ありませんでした。二度と食べ物で遊びません。
「どうせあれでしょ? すごく辛かったとかでしょ?」
彼女が僕の指を折りにかかる。そしてそれをなんとか食い止めている僕。ギリギリの攻防を続けながら、僕は続けた。
「辛いのもそうなんだけど、それ以上に、痛い」
「微妙な感想ね」
「冗談じゃないんだ……!」
手から目を離し、彼女の目を見て訴える。
僕の表情を読み取ってくれたのか、彼女は応えてくれた。
「……そんなに?」
こくりと頷く。
「口の中、喉、食道、胃、鼻、目、全部に刺激が来る。まるでとうがらしエキスをくまなく丹念に塗りたくられたみたいだった」
感覚として分かってもらえないだろうか。
たとえば目だと、眼球を取り出してエキスに漬け、再び眼孔に戻した感じだ。ごめん。ちょっとグロいね。
「食べ物で遊んだ罰ね」
「いやはや全くもってそうだよ。……ところで」
「何よ」
「いつまでこの状態で?」
クリスマスムードの賑わうショッピングモール。行き交う人波の中でギリギリと手を抑え会う男女。
異様である。
「……早く折らせなさいよ」
「諦めないのかよ!」
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「そういえばシーザーって、あのシーザーなのかしら」
「ああ、第二部の」
「私は月刊に移って良かったと思っているわ」
「今の子供にはってのがあるのかもなぁ……悲しいケド……」
「……もういい?」
いいですよ。
「全く。毎度毎度このネタばっかりじゃない。好きだけどさ」
『夏と花火と私の死体』の先生や『ナイト・ウォッチシリーズ』の先生や『戯言シリーズ』の先生も絶賛されているので問題ないはずだ。
「さ、続き」
ち。
気を取り直すとするか。
「……もしかしてユリウス・カエサルのことを言ってるのか? 古代ローマの」
「そうよ。彼が愛したサラダなのでシーザーサラダって聞いたわ」
『ブルータス、お前もか』で有名な人。色んな才能を持っていたらしく、政治・軍事・文章に精通した。ユリウス・カエサルは英語読みでジュリアス・シーザーになる。
「なら残念だな」
「あら、違うの?」
作品名:食べ物による小話 #04「シーザーサラダ」 作家名:倉雲響介