篠原 チキンライス
台所の食卓に座り込んで、橘はパックからハムを取り出して、むしゃむしゃと食べている。その前でまな板に置かれた大根を篠原が、輪切りにしている。まだ、それほど力が入らない右手で包丁を使うので、慌てて、細野は止めているが、大丈夫、と、トタンガタンと歪に輪切りが製作されていく。
「ちょっとは使えるようになったな？ 」
「はい。母の手伝いはしていますから。みんな、過保護すぎるんですよ。リハビリしてるんだから、回復はしてるのに。」
「怪我したら、俺とりんが半殺しになるだろ？ どこかの氷の女王に。そこが問題点だ。」
「でも、雪乃は僕に料理させますけどね。」
「自分のためならいいけど、俺たちのために怪我するのは腹立たしいんだとさ。・・・おい、きゅうりは半分に切れ。さすがに丸はイヤだぞ。」
「四分の一にします。それなら食べやすいでしょ？ とりあえず、板摺りして・・・ちょっと、橘さん。まだ皮は剥いてませんよっっ。」
「洗ってるからいい。」
いつものことだが、この二人。まるで夫婦みたいに会話している。雪乃さんが留守をしていると、橘さんが泊まりこむから、そういうことになっているらしい。そりゃ嫉妬も感じるだろう、と、細野も思う。言いたい放題で篠原に料理をさせているのだから。干物が焼けたら、それも食卓に乗せている。慎重に左手で皿を持ち、干物を移す。
「これでいいですか？ 」
「おう。」
本当に空腹だったらしく、そこで箸をつけて橘は食べている。大根の輪切りときゅうりは、塩をつけてしゃぐしゃぐと齧っている。一種のスティックサラダであるらしい。
「今日は、細野のチキンライスですから、ごはんが炊けたら、すぐに仕上げてくれますからね。」
「ああ？ チキンライスだと？ 俺は白メシでいい。」
「明日は、りんさんのチキンライスですが？ 」
「それは食う。細野のは、酒には合わない。」
「そうですか。」
そんな会話をしていたら、ごはんが炊けた合図が鳴り出した。じゃあ、とりあえず作ります、と、細野は細切れの鳥肉を冷蔵庫から取り出した。フライパンに油を引き、熱したら鳥肉を炒める。ある程度、炒めたら、次にタマネギのみじん切りとマッシュルーム、ミックスベジタブルを投げ入れて、塩コショウで味付けだ。それが終わったら、炊き上がったごはんを入れて、混ぜ合わせてケチャップで色付けすれば出来上がる。ここまで、十五分。簡単な料理だ。
「わぁーおいしそう。」
「これが、うちのチキンライスです。手間をかけるなら、これをタマゴで包んでオムライスっていうのにします。」
「な？ 篠原。これで酒は無理だろ？ お子様メニューだ。」
「なるほど、確かに、これ、お酒のアテにはなりませんね。でも、簡単でいいな。チャーハン作るのと同じ要領なんだね？ 細野。」
「はい、ケチャップが入るのがチャーハンとの違いだと思います。」
「おまえら、冷めないうちに食え。どうせ、りんも、これは食わないはずだ。」
まあ、飲む人には向かないメニューだろう。江河も飲むほうだから、これは〆にはしないだろうし、何より空腹だから、細野も皿に二人分盛り上げる。他には、野菜サラダや、出来合いの惣菜なんかも並べる。
「りんさん、遅いな。」
「なんか用事も片付けてるんじゃないか？ 週末だからな。」
「やっぱり、デートの予定があったのかな。」
「なんでもいいから食え、篠原。」
「はーい。・・・・あ、おいしい。タマネギがいい。」
もぐもぐと食べて、篠原は笑っている。おいしいらしい。よかった、と、細野のほうも口にした。チキンライスと言えば、細野には、これだ。納得の味なので、手が速まる。もちろん、橘のほうは用意された惣菜を口にしてビールを飲んでいる。
「お酒は？ 」
「俺は、ビールだけ調達した。後は、りんが持ってくるのを分捕る。」
「そんなことしなくてもありますよ。」
「雪乃の寝酒だろ？ 飲んだら殺される。」
「殺しません。僕が新しいのを用意しておきます。・・・確か、この間、甘すぎるって放置してたのが・・・」
冷蔵庫から、口が開いた冷酒を取り出して、篠原がコップと渡す、と、橘も手をつける。確かに甘いな、と、文句は言うがやめる様子はない。
「僕が瓶がキレイだったから買ってきたんですよ。細野も飲む？ 」
「いえ、後で。・・・それより、しのさん。江河さんのチキンライスって、どんななんですか？ 」
「鶏を丸ごと一個、あの寸胴で煮て、なんか調味料とか入れて冷めるまで放置して、その出汁でごはんを炊くんだ。」
「は？ 」
それはチキンライスではないと思う。絶対に違う。鶏を丸ごと一個なんて、豪快すぎる料理だ。
「だから、すぐにできるって細野が言った時、びっくりしたんだよ。特別な方法でもあるのかなって。」
「チキンライスって呼び方が問題なんだろ。細野、りんが作るのは、中華料理のチキンライスってやつだ。だから、違うんだ。」
江河さんは、極東の出身ではない。大陸の人なので、料理も違うのだそうだ。そう言われてみれば、江河さんの作る料理は、中華料理が多い。たまに、しのさんがリクエストするから、和風なものも作るが、圧倒的に多いのは、中華だ。それで、ようやく僕も納得した。
食事が終わる頃に、江河さんがやってきた。なんだか大荷物だ。コンロに設置されている寸胴を見て、よしよしと頷いている。
「いいもんが手に入ったから、明日はダックライスにする。」
「アヒル？ 」
「そう、知り合いのところで捌いてもらってきた。とりあえず、そっちの準備するから、細野、俺にもチキンライス食わせてくれ。」
一応、材料は残してあるので、細野が手早く料理する。その間に、江河のほうは包みを開いて、ぼとぼとと肉の塊を寸胴に落としている。アヒル丸ごと一個が分解されたものらしい。
「アヒルって食べられるの？ 」
「公園のは無理。ちゃんと、食用の合鴨と言われてるものが養殖されてる。」
「それ、いつもと違う味？ 」
「概ねは変わらないからいいだろ？ 」
肉の塊とショウガや白ネギなんかも寸胴に投げ入れられて、水を満水まで張ると、火をつけた。
「江河さん、その出汁で米を炊いたのが、ダックライスなんですか？ 」
「そういうことだ。三時間煮て、冷ますから最低でも四時間はかかるんだ。それから、冷めた出汁で米を炊いて、鴨の身を乗せてタレで食べる。本来は、ピリ辛のタレなんだけど、若旦那はダメだから、ニョクマムに香辛料を足すぐらいのところにしてる。おまえ、辛いのはいけるか？ 細野。いけるなら、辛いタレで食え。そのほうがビールに合う。」
「三時間？ なるほど、それじゃあ、一日がかりですね。中華料理にチキンライスかあるとは知りませんでした。」
「厳密には中華でもないんだけどな。どっちかと言うと東南アジア圏の料理に該当してる。・・・・こいつに食わせるなら飯にも栄養があったら合理的だと思ってさ。」
はい、どうぞ、と、チキンライスを差し出したら、江河さんも空腹だったのか、がっつき始めた。そう言われれば、そうだ。篠原は量を食べない。チキンライスだって、細野の半分がいいところだ。米にも栄養素を添加しておくのは、いい案かもしれない。
「篠原、メシくれ。茶漬けで。」
「飲むの終わりですか？ 」