縁結び本屋さん
002『賽は投げられる』
突然ですが、宿無しになりました。
飴沼一縷。飴の沼と書いていぬまと読みます。
いぬまいちる。21歳。
人生初の、路上生活が幕を開けようと―――…んなもん開けたかないですよ。畜生。どうすりゃいいんだ。
事の始まりは同居人の失踪だ。
どうも駆け落ちというやつらしく、同居人の男はひととき苦楽を共にした同士の事など忘れて、あっさり女と手と手をとってどこかへ消えてしまった。畜生、所詮男の友情は情欲の前には無力か。
ルームシェアというものをしていた自分に、同居人をなくして一ヶ月の家賃を払うあてはなく、泣く泣く契約更新を打ち切って新しい住まいまたは同居人を探すこと半月。
結局新しい住まいも同居人も見つからずにこうして宿無しとなりました。
大きな持ち物はとりあえず倉庫に預けて、銀行の預金通帳と印鑑は金庫に預けてきた。
友人に少しの間宿を貸してもらえないかと頼んでみようとしたが、夏休みに入ったこの時期、連絡を取れる友人は少なく、全員から断られた。曰く、ムサい男はいらん。曰く、彼女がいるからやだ。
……畜生、薄情者どもめ。
「残りは……あそこしかないか」
溜息をついて歩き出したその足が目指すのは、ある意味自分が一番馴染んだ場所ではある。
最近は大学の授業数も減ったおかげで、一日のほとんどの時間をあそこで過ごすようになっている。
その場所は一件の本屋。少し不思議な噂のある、自分のバイト先だ。
駅前にある小さな店。
棚は全部で5種類。文庫を置いている棚と、文芸書と雑誌とコミック。それからその他書籍がちょこっとだけ。
駅前にあるだけあって、それなりに客は入る。
だが店に居る店員は大体ひとり。多くてふたり。
自分はそんな本屋の店員で、店長は―――何と言うか、不思議な人だ。
黄味がかっている白ではなく、欧米人のような白さをした肌に綺麗なアーモンド形の目の色はアッシュグレイ。髪は長くて色がない。白髪というのとは少し違う、多分これは、銀髪という奴なのだろう。光を受ければ天使の輪というやつが浮かび上がる、まるでシャンプーのCMモデルのような髪は長くて、いつもひとつに括られている。
作り物めいた人形のような人だと最初は思ったのだが、ちゃんと動くし感情もあるし喋るし、人間なのは間違いない……と、思う。
いまいち言い切る自信がないのは、店のちょっとした『噂』に対する質問をした際の返答のせいだ。
噂と言うか、ジンクスのようになっているそれは、この店で『恋の告白をすると叶う』というもの。
それが本当に見事なまでにほいほいくっついていくものだから不思議に思って聞いたのだ。どうしてかと。そうして返って来た答えが
『だって俺縁結びのカミサマだから』
にっこりと。極上の微笑つきで。
……そんな事信じられるか。と言いたいところなのだが、どうにもあの店長を見ていると時々その言葉が正しいのではないかと思ってしまいそうになる。
そんな言葉を信じたくなるぐらいには、奇妙な行動の多い人だ。
で。まあなんというか、この不思議な人が自分の最後の頼みの綱という奴になっている訳なのだ。
どうしてか自分はあの不思議な店長に気に入られているようなので。
勤め先の店長にこんな事を頼むのは常識はずれだとわかってはいるのだが、とにかくもうどうしようもないのだから仕方がない。
非常事態、という奴なのだからしょうがない。
(そう、非常事態なんだ。非常事態)
道すがら、何と説明しようかと考えつつ歩いていたらあっと言う間にバイト先に着いた。
入り口は手動のドア。アンティークのような外見をした木のドアは、開店している間は常時開放されている。その扉をすりぬけて店に入れば、店長の姿はすぐに見つかった。
小さい店だから視線を少し動かすだけで店内の殆どが見渡せる。だが見渡す必要もなく、店長は入り口脇にあるレジで、あろうことか―――すやすやと寝息を立てていた。
「……」
これから人生最大の頼みごとをしなくてはならない―――のだが。
レジまでは3歩。大股で一歩。
靴音を立てて近づいても店長は起きる気配がなく、これから何をするかも忘れて大きく息を吸い込み、そして。
「お、き、ろ!!」
店長の耳元で、気がついたら叫んでいた。
「うわぁっ!?」
耳元で叫んだ自分の声に、ばちっと目を見開いて飛び起きた店長はその後目を白黒させて辺りを見回した。
たっぷり数秒、きょろきょろと辺りを見てからさらに数秒して、ようやく横に立っている男の姿に気がついたらしい。
「…あ、れ? 一縷くん。今日入ってたっけ…?」
大きな声で叫びすぎたか、店長は叫んだ方の耳を押さえながら言って見上げてくる。
寝ぼけ眼は辺りを見回していた間だけで、今はもうしっかりとした視線を向けてきた。
「…違います。違うんですけどね。店番してる時に寝ないで下さい」
これじゃあ万引きし放題だ。そう言ってみせれば、大丈夫だよお客さんが来たらちゃんと気付くと笑って返された。
……俺が来てもぴくりともしなかったのはどこの誰ですか。
「違うんだったらどうしたの? お客さんて訳でもなさそうだし」
ああそうか、俺は『客じゃない』からこの人は起きなかったのか。
……どんな超能力だそれは。
と思ってもこの人だから仕方がないと思えてしまうのが不思議でしょうがない。
「あー、ええとですね」
小言を言った手前、このお願いをするのは気が引けた。
そもそも雇い主にこんな事を頼むのは間違いだとわかっている。わかっているのだが、野宿は正直嫌だから、当たって砕けろという事で。
「……非常に言いにくい事なんですが、店長に助けてもらえたら、非常に嬉しいなあと」
「改まっちゃってどうしたの? 一縷くんらしくないね」
「いや……なんというか、情けないんですけど、もう本当にどうしようもなくて」
正直こんな事情けなくて言いたくはないのだが、背に腹は変えられない。
腹を括って、頭を下げる。そしてここに来る間ずっと考えていた言葉を叫んだ。
「……店長! この通りです。家がなくなったので宿を貸して下さいっ!」
当たって砕けろ、だ。これでだめならしょうがないから野宿だ。もう九割がた野宿決定なのはわかっているが、可能性があるのなら縋りつくのが自分、飴沼一縷という人間だ。野宿なんて嫌だし。
そうして頭を下げたその位置から、ほんの少し顔を上げて店長の顔色を窺いつつ返事を待っていれば。
「……は?」
きょとんとした顔で、そんな風に、理解不能だと告げる声が聞こえた。
かくかくしかじかで宿なしとなりました。
と説明するのに五分も必要なかった。
さすがにルームメイトが失踪したと言う事は言えず、適当にふせて話をしたのだが、そんな怪しさ満点の話でも、「ふむ」と顎に手を当てた店長は何かを悟っているように見えた。 だがその事につては何も触れずに、ただ何かを考える仕草を見せるだけ。
普段は呆けたような顔をして、およそ店長らしくない行動をするくせに、こう言う時はなぜか鋭い勘を発揮するから人とはわからないものだと思う。