ナイトメアトゥルー 3
十六夜の月はもうすでに夜空の中に現れ、その天球の真ん中で煌々と黄金色に輝いていた。
対して眼下の町は夜の深まりにじわりじわりと侵食されている。
天上と下界の光と闇のコントラストにニヒリズムな気持ちになっている中、突然、シャンプーの匂いが鼻をくすぐった。
バスルームのドアが開いている。
そこから流れ出てくる湯気。
湯気の中には工藤 ユキがいる。
工藤 ユキの格好は胸の位置だけを覆うキャミと白い短パンだった。
いやがおうにも第二次性徴前の矮小な体が目に飛びこんでくる。
風呂上がりってこともあって全身がホクホクしている感じだ。
その分だけもっと余計に幼く見える。
髪からは水滴がポタポタと垂れ落ちており、その濡れた髪をタオルで拭きとっている。
だが、タオルを動かす手を止めるなり濡れた頭を指差す。
「ドライヤーで髪を乾かしてくれないか。」
「え!?なんで」
急な申し入れに言葉を失う。
「これをやらないと真相を語れない。」
あぁ、そうか…、それなら仕方ないな…。
こいつの意図はどうであれ今はこいつの言う事には全て従わなければならない。
強制イエスはまだ続いているってわけか。
「では、こちらに。」
工藤 ユキを鏡の前に座らせるとツインテールを解いた濡れた髪に指を通す。
!!
な、なんだ!?
背中の辺りまで伸びた真っ直ぐな黒髪の艶加減が半端ない。
こいつシャンプーとかリンスとか何使っているんだ?
どこのを使えばここまでになるんだ?
こんな一級品に触れていいのか?
いや、でも、頼んだのは向こうだ。
「では失礼して。」
ドライヤーを左手に櫛を右手に持つ。
最初に櫛で髪をなぞる。
工藤 ユキの髪は絹のように柔らかくなめらかに櫛を滑らせていく。
髪の毛一本一本の先にまで養分が通っているのは間違いない。
不死鳥の羽よりも美しい髪の毛に優しくドライヤーを当てていく。
ドライヤーの風にあてられ目を閉じながら少しばかりか気持ちがよさそうな表情になっている。
5分ぐらいの単純作業を終え、ドライヤーの風を止める。
「はい、完了致しました。」
高価なお宝に手を触れさせてもらったような感覚になってしまっていることで、つい敬語になってしまう。
「うん。」
工藤 ユキは立ち上がり、まだ俺が通されていない部屋を指差す。
「次はベッドルーム。」
淡々と言いのけた。
「え!いきなり?」
自分の顔面が変な風になったのは鏡を見なくてもわかる。
それほどの驚きだ。
しかし、そんな俺に尋ねるように、
「ん?他にやることでも?」
と、平然と聞いてきたのだった。
「いえ…何もありません。」
こう答えるしかない…。
チキンハートの俺を尻目に、工藤 ユキは、ベッドルームの扉を開けるなり部屋のど真ん中にある大きなベッドを指差した。
「では、そのベッドに横になってもらいたい」
「いっ!何で同じベッドに」
「だから言っただろ、私と添い寝をしてほしいと。」
「…はい。そうです。」
主導権を握られ放題である。
工藤 ユキはベッドの上に寝転び横向きになるとこちらに顔を向けて言う。
「では、頭を撫でろ。」
とうとう命令口調ですか…。
もう、何も言い返す気力は残っていない。
俺もベッドに寝転び工藤 ユキと向き合うように横向きになる。
自然と顔が近くなる。
一瞬、工藤 ユキは恥ずかしそうな表情をしたがまた冷静な顔に戻る。
それは、よく注視していなければ気付かない程の時間だった。
「早くやらぬか。」
業を煮やしてか、多少怒り気味に言う。
お前は華族のお嬢様か。
とにもかくにも強制イエスはまだ続いている、今度は頭の頂上から乾いた髪を滑らせるように指を通す。
まるで上質の生糸で機を織っている(はたをおっている)ようだ。
すると、工藤 ユキの強気だった顔が一気に弛緩する。
そして、糸が切れたかのように眠りについたのだった。
工藤 ユキが寝息を立てたとほぼ同時に、頭の中をぼんやりとした眠気に支配されるようになる。意識を保っている境界があやふやになりそのまま眠りに落ちた。
※
意識が戻る。
だがこれは通常の目覚めとは違う。
まさにあの{夢}の時と同じような感覚。
(目覚めてもここが夢の中だと自覚できる感覚)である。
視界がはっきりとする。
目の前には俺より背が低いはずの工藤 ユキが、俺よりはるか体のサイズが大きい状態で添い寝していたのだった。
今の俺の大きさは18センチぐらいだろうか。
通常の10分の1サイズの大きさだ。
部屋の明かりは寝る前同様に間接照明だけに委ねられている。
ナイトディナーのように暗さ8割の明るさが2割である。
眼前には小顔のはずの工藤 ユキの寝顔が巨大な彫刻のように立ちはだかっている。
暗さも手伝ってかよく顔が見えないが寝息のテンポは同じである。
控え目でおとなしい寝息も今の俺にとってはかなりの強風に感じてしまう。
そんな風が突然止まった。
「目が覚めたか?」
薄暗がりの中、工藤 ユキは起き上がるなりそう言った。
起き上がった衝撃でベッドの上が大きく揺れる、その揺れに耐えながら質問をした。
「ここはどこだ?
さっきまでいた部屋とは同じ間取りのようだが、
さっきまでいた部屋とは同じ場所ではないな。」
この明るさと距離では工藤 ユキの顔は確認できない。
「うむ。そうだ。ようこそ、私の世界へ。」
「お前の世界?」
「そう、だからこんなこともできる。」
工藤 ユキが念じると一気に部屋の中が明るくなった。
電気を点けた様子は無い。
そして、目の前には巨大ビルのようにそびえ立っている工藤 ユキの姿があった。
工藤 ユキは俺を手の平に乗せ顔の位置まで持ってくると語り始めた。
俺は工藤 ユキの手の平に座り込む。
「あなたが満月の日に見る夢。
実は、厳密に言えばあれは夢では無い。
現実の世界を模した舞台のようなものだと考えてもらいたい。」
「舞台?脚本も無い舞台をやらされている、とでも?」
「そう、イメージとしてはそれに近い。
普段、私達が生活を営んでいる世界を表だとするとここの世界は裏となる関係だ。
さらに言えば、一般的に見る夢は表の世界に付随しているような物だ。」
「夢は現実世界の一部ってことか…。
まぁ、確かに夢は睡眠の上で生じる現象だからな。
その睡眠も現実世界で行うもんな。
で、今、ここの世界と俺が満月の夜に見る世界ってのは同じ世界なのか?」
「いいや、違う。
その裏の世界は表の世界と違って一人一人が個別に作りあげてしまう世界だ。
その裏の世界を作ってしまう特異体質が私達みたいな人間。
その特異体質の人が作り上げた世界に自分の意志で介入できるのが私。」
「それが精神世界に介入できる{能力}って意味か…。
でも、俺がみたあの{夢}の世界には、追浜や待瀬、ましてや中学の時には俺を知らないであろうアイドルの子だって出てきた。
これって十分な介入だよな?
これはどういう事だ?」
「彼女達は自分の意志で介入したわけでは……、いいや、違う。
ええっと…なんて言うか…。」
この事になると途端に歯切れが悪くなる。
バツが悪そうな表情で言い直す。
作品名:ナイトメアトゥルー 3 作家名:ウエストテンプル