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座ったままの待瀬はノートをカバンに入れながら、立ちあがっている俺に目線を合わせる。
「あ、伊達君。いつも頑張っているから、ご褒美にアイスでもおごってあげる。」
こんなことを、嫌味を感じさせることなく言えるのが待瀬の才能でもある。
うーん。
確かに喉渇いているけど、こんなことで女の子におごってもらうのもなぁ…。
「いや、いいよ。委員になった以上は、こういうのもやらないとね。」
きょとんとする待瀬の目。
うーん、俺ってそんなに責任感無いように見えるのかなぁ。
見返りに物を要求するようなそんな軽い印象を与える外見かもしれないし。

でも、今日は急ぎの用がある。

片付け終えるなり、待瀬に挨拶。
「じゃ、おつかれ。」
待瀬の反応を見ずに駆け足で教室を後にした。
日はもう暮れかけている。
紫色の空には上弦の月を過ぎやや丸みを帯びている月が浮かんでいた。
大丈夫…。
まだ猶予はある。
そう考えながら通学路をいつもよりも数倍も早いスピードで通り過ぎる。

急いでいる理由は明白。
これから美味しい物を食べられるのだ。
今日は、美絵さんがビーフストロガロフを振る舞ってくれる約束の日だったのだ。
美絵さんとは、幼馴染の追浜　叶絵の母親だ。
１５歳の娘がいるのに外見は２０代前半の女子大生にしか見えず、料理の腕も超一級、そしてなんと言ってもスーパーキャリアウーマンなのだ。

一旦、家に帰って荷物を置こうかと考えたが、美絵さんの手料理いち早く食べたい気持ちは高校からの直行を促した。
高校から追浜の家は俺のアパートよりも遠い。
ざっくばらんな図説だと。

追浜の家―――――――――――高校――俺が住んでいるアパート、って感じだ。

時間ロスをとことん切り詰めたおかげで約束の時間には間に合った。
追浜の家に到着。
「都内でこれはすごいよなぁ…。」
つい、声を漏らしてしまうほどの白亜の豪邸。
追浜の家は、都内庭付き一戸建てである。
しかも、最寄り駅まで徒歩５分で、だ。

門扉のインターホンに手を置く。
すると、急に後ろから声が聞こえた。

「あ！伊達君。速いねぇ。今日は残ってたのに。」
振り返ると、追浜と仲が良い佐藤　麻里と工藤　ユキが立っていた。
この２人も今日の手料理パーティに招待されている。
２人は一度家に帰ってからこちらに向かったらしく服装も制服ではなく、私服に着替えていた。

「でぇ、どうだったの？どうだったの？」
何故かテンションが高い佐藤　麻里は、放課後の待瀬との話し合った内容を事細やかに聞いてきた。

そうなれば、今日の話し合いの起承転結を全て話すことになってしまう。

全てを話し終えると佐藤はどこか安心したような顔で、
「ふーん。よかった。じゃあ、あまり進まなかったんだね。」
と冗談交じりな声調で言った。
「おいおい、「よかった」は違うだろ。
これでも、球技大会が来月なのに、この状況じゃヤバいと思っているんだぜ。」
苦笑いをしながら返す。
「そーだねー。」
佐藤　麻里は、棒読みぽいながらもどこか意味ありげに言った。
やっぱり、俺って無責任キャラになってるのかなぁ…。
まぁ、こんなやり取りだが、佐藤とは冗談を言い合える仲である。

４月のあの一件以来、気兼ね無く追浜と話せるようになり、その流れで佐藤とも仲良くなった。


視線を佐藤から工藤　ユキに移す。

年頃相応の佐藤のファッションとは違い、工藤のはませた小学生が着るような服装である。
傍から見ると、佐藤が従妹の子を預かっているようにしか見えない。
もちろん、その体では年相応の格好が出来ないのかもしれないけど。

工藤　ユキは全く俺に興味を示そうとしない。
むしろ、あえて俺を無視しているようにも感じる。
俺、こいつに嫌われるようなことしたか？
と言うか、俺はこいつと一度も会話をしたことが無い。
そう言えば、日頃から俺を避けているようにも見える。

ここまで露骨に嫌われるとさすがの俺もへこむ。

頭の中がマイナス思考のスパイラルに陥ろうかの寸前のタイミングで、追浜が玄関のドアを開けた。

「あー！いすみんに麻里にユキ！来てたの！？
来てたんだったらインターホン押してくれればよかったのに。」
南国の花のような笑顔である。

「あははは、ごめん、ごめん。伊達君が押そうとした所を私が呼び止めちゃったから。」
快活に笑う佐藤。
「じゃ、ここは伊達君が先頭で。」
佐藤は俺の背中を押した。



※



美絵さんの手料理は、三つ星レストランがのれんをたたむほど美味しかった上に、会話も弾んだこともあり楽しい時間はあっという間に過ぎた。

そして、宴もたけなわだがそろそろお開きとのタイミングで、美絵さんから料理を詰め込んだパックが入った紙袋を渡された。

「あ、これ、行橋さんに持っていてあげて。」
「え！あぁ、まぁ、はい。わかりました。」

（行橋さん）とは俺のアパートの隣人の女子大生のことである。
行橋　莉璃（ゆきはし　りり）。
この人物は、美絵さんの勤め先にバイトで働いており、美絵さんの前では猫をかぶりまくって猫耳をぴょこぴょことさせているのだが、本性はとんでもない女である。

まず、大酒飲みだ。
次に、男を手駒のようにしか見ていない。
そして、理不尽に色々と雑用を押しつけてくる。

ここまで言えば性格偏差値を弾き出すまでは無いだろう。

だが、天はこんな性格の女に持たせてはいけないものを与えてしまった。
それは、小顔・Ｇカップ・くびれたウエスト・安産型の尻である。

行橋　莉璃は天が与えたそれらの物をフル活用し、毒々しい印象を受けるアゲハ嬢メイク・ファッションでさえもナチュラルに自分の物にしてしまうのだ。

美人である上に豊満に熟した胸とそこからキュッと締まる腰を持ち得ている彼女は、言うなれば、それらの要素をエサとして男をいとも簡単に釣りあげては骨の髄までしゃぶる狡猾な捕食者なのである。

うん、まさしく、そんな女だ。
今考えたこの表現であっているだろう。

だからこそ部屋にいる時は、行橋　莉璃とはなるべく関わらないようにしているのだが、タチの悪いことにあの女は俺が出るまでインターホンを鳴らし続けてくるのだ。

そんな女への届け物を聖母美絵さんから頼まれてしまった。
本当にこの世界に神なんていないと思う……。
どうしようか…。
何か、良い渡し方の方法を考えながらも美絵さんから袋を受け取る。
聖母はこうして目の前にいるけど神はいない。
そんな下らない事を考えていたらもう佐藤と工藤は帰っていた。
俺もそろそろおいとましなければ。
「ごちそうさま。じゃ、追浜。週明けに学校で。」
今日は金曜日だった。
「うん。じゃあね、いすみん。月曜に学校でね！！」
追浜は自慢の母親の手料理を食べてもらったことで満足そうだ。


玄関のドアを開けて外へと出る。
「ん？」
声を漏らしたのは足下から気配がしたから。
そのまま目線を落とす。

気配の正体は追浜家の飼い犬、ミリア（柴犬　メス）だった。
ピンとした犬耳と綺麗な茶色の毛波にモフモフとした尻尾である。

ミリアは何かをねだっているような様子だったのでアゴの下を撫でてやる。
ミリアは気持ちよさそうに黒目を潤わせている。