この声が届くまで 続この心が声になるなら
「おーい支倉君大丈夫生きてる?」
「大丈夫じゃ……あんまり、ないです」
はっきりとわかる、情けないぐらいにどんよりとした声で返してしまうと、殻神さんの声のトーンが少し暗くなって、ごめん、と言った。
「あいつそういうの全然話してくれないから寂しかったしちょっと悔しかったんだわ。まだあいつ自分のことあんま俺に話す気になれねえのかなってさ。君んとこ利用しちゃったのは悪かったからもしナツメに怒られたっけ俺に騙された全部俺が悪いって言っていいからな」
「あ、はい……」
「つーかそんなことになる前に俺が謝っとくわちょっとナツメに代わってくれ」
そう言われて、俺は何と言っていいのかわからないまま、夏芽さんに携帯を手渡した。俺の挙動がおかしいのを見ているからか、夏芽さんも不審そうに携帯を受け取る。そして受話器の向こうから俺に話していた時以上の、夏芽さんの言うところのガトリングガントークで、夏芽さんに事情をぱーっと説明し、謝り倒していた。そんなことするぐらいなら初めからきけば良いのに、と思うけれど。
夏芽さんは困ったように柔らかく笑って、ごめん、と謝った後で。
「よかった」と、はっきりと、嬉しそうに口にした。
『なんだよもーお前さぁ良かったって俺がそんなことでお前嫌いになるとか思ってたわけほんと失礼なんでしょ!』
なるわけねえべや、友達なのにと力強く言う殻神さんの声に、夏芽さんが唇を、少しだけ噛み締めたのが見えた。ありがとう、そう言う声ははっきりと聞きとりやすくて、いつも通りで、だけど、唇が震えている。
最後にもっかい代わってくれ、と言われて、夏芽さんが俺に携帯を渡す。
見上げる夏芽さんの目が、潤んでいて、少しだけ、悔しかった。代わりました、と告げると、ああうん、と返事があって、
「ごめんね、ちょっと俺君にやきもち焼いたわ」
「え」
まさかこのひと、夏芽さんが好きなのか。婚約者もいるくせに。
思わず携帯をぎゅっと握り締めたのがケースの軋む音でわかった。ちょっと待って、困る、それは困る。だって、勝てる気がしない。夏芽さんの一番の親友で、売れっ子作家で、頭もすごく良くて、同い年で同郷で。俺が確実に勝てると言いきれるのは身長と滑舌と顔ぐらいしか咄嗟に思いつかない。とはいえ身長と滑舌はともかく殻神さんの顔を知らない。実はすごいイケメンだったらどうしよう。
「ああ違う違う俺は君やナツメと違って男は無理だし女の子にしか触りたいとか思わないしそれも今は未来の嫁さん一筋だもの!」
「あ、は、い」
俺のリアクションから何かを察したのか、殻神さんの声が笑う。
「だけどもさ俺はあいつに話してもらえなかったことがたくさんあるんだわ。ほらあいつ場の空気読み過ぎてるとこあるっつーかとにかく周りが良ければそれがいいってとこあるだろ? だから自分のこと話すのってそれ言ったほうまわりが得するってあいつが考えた時だけなんだわ。それでも他の奴よりはしゃべってくれてるほうだと思うけどあいつが自分の為に話してくれたかって言われたっけあんまそんな気ぃしねえっつーかでさ。あいつがあいつのために何か言うのって俺はどうやってもできねかったからさ、しようとしなかったからだけど……ちょっと悔しくってさ」
「……俺だって、できてるか、わかんないです。誕生日も教えてもらってなかったですし」
「そったもんあいつのことだこっちから聞かねぇば教えてくれねえもん。したらお前らどっちから告ったの?」
「……夏芽さん、です」
だべ? と、殻神さんがからからと楽しげに笑う。
「あのナツメの鉄壁ガード破って告れる子いると思わねえもん。俺とナツメが友達なの知ってる女の子から何回か取り持ってくれって頼まれたけど結局聞いたら誰もそういう雰囲気になったっけ見事にはぐらかされて誰も告白すらさせてもらえねかったって言ってたぜ。だからあいつに彼女ができたときはあいつから好きになってしかも自分の為にその子んとこどうしても手に入れたいって思った時だから伝わりにくいかもしれねえけどその子はナツメにとってそれはもうすごく特別だってことなんだよ……ってナツメに彼女ができたっけ絶対それだけは言わせてもらおうって決めてたんだけどまさか彼氏に言うことになるとはなぁ」
「……なんか、すみません」
「違うって違うってちょっと驚いただけだ。まぁ俺の罠にもあっさりかかったし支倉君いい人っぽいからそれで俺はいいんだよ」
「……そんなに悪いやつではないとは思います」
「だから今回の件のお詫びにきみには教えてあげるよ。親友の彼氏なら親友も同然だし君が言いふらすとも思えねえしこっちも知っちゃったからこれでおあいこな?」
なにがですか、と言うと
「盗聴されたっけ困るからさ今こっそりナツメに耳打ちしてもらってくれよ」
俺の婚約者。そう言われて、夏芽さんのほうを向くと、会話の流れを知らないからきょとんとしてこちらを見ている。
「えっと、殻神さんの婚約者が誰か、夏芽さんから教えてもらえ、って言われました。こっそり耳打ちで、って」
そう言うと夏芽さんはくすりと笑い、盗聴されるって心配してる? と尋ねた。そういえばあの日も、そんなようなことを言われて呼び出されていたんだったっけ。頷くと、すっと立ち上がって、俺の左肩にその手を添えて、つま先立ちになった。息が耳にかかって、肩から夏芽さんの体温が伝わってきて、心臓の音が一気に速くなる。なった。
と、思うんだけど、止まった、気がした。
「絶対誰にも言うなよ支倉君?」
いやこれ、あの、言えるわけ、ないっていうか、マジで、マジですか。絶対言わない言えるわけない。だってそんなことしたら、うちの事務所に迷惑が、いやそれ以前に、え、え、え。
「じゃあまたな今後ともナツメのことよろしく頼むぜ」
そう明るい声で言って、電話が切れる。受話器からプーッ、プーッという音がして、通話が終わっていることを知らせてくるけれど、俺はまだ携帯を持ったまま、ぽかんと馬鹿みたいに立ちつくしていた。
なにそれ、なにそれ。
「俺の一番好きな人の親友で俺の一番好きな女優さんの婚約者とかなんてうらやましい!」
しかもその上東大卒の売れっ子作家とかなにそれなんだその超勝ち組人生!
こっちはバイトで食いつないでいる売れてない役者で、なんだろうこの格差社会。
「……逆の方が良かった?」
ふと、夏芽さんがそんなことを言うから、そちらのほうに顔を向けた。
「逆?」
そう言うと、夏芽さんが目を伏せて、こちらを見ないで呟いた。
「僕が君の親友で、みなみちゃんが君の恋人。トウヤが僕の恋人で、みなみちゃんの大ファン」
「だめ!」
一瞬浮かんだ想像を全力で振り払い、夏芽さんの肩を掴んだ。みなみちゃんの恋人にはちょっと、ほんとうにほんのちょっと誘惑がないでもないけれど、夏芽さんの一番の親友には、いまからだってなれるものならなりたいけれど、そんなことより何より。
「夏芽さんは! 俺の! 恋人だから!」
ああ俺の声が本当に情けないぐらい切迫している。そんなの嫌だ。夏芽さんが俺の恋人じゃないなんて、誰か他の人のものだなんて、絶対嫌だ。この人は、俺のだ。
作品名:この声が届くまで 続この心が声になるなら 作家名:なつきすい