陸《おか》の帆船《ふね》においでよ
ランドマークタワーは、その名の通り、みなとみらい地区のランドマークとなるような超高層ビルだ。ビルとしては、日本で2番めに高さだそうで、中にはオフィスやホテルが入居し、低層階にはショッピングモールが併設されていている。フードコートなども充実しているらしい。
69階には展望室もあり、横浜の街と港、東京湾までを一望できると、以前読んだガイドブックに書いてあった気がする。
アカネが今まで住んでいた北海道は、広大な土地があるので建物は全体的に低く、こんなに高い建物は見たことがなかった。
ちょっと登って見たいと考えたものの、1人で登ってもとつまらないだろうと思い直し、低層にあるショッピングモールを目指すことにした。
駅前で地図を確認し、ランドマークタワーの入口へ続く、〈動く歩道〉のほうへと歩いて行く。
たいていのお店は10時開店なのでまだ少し時間があるが、初めて来た〈みなとみらい地区〉の街並みを見ながら散策すればすぐに時間がたつだろう。
アカネは、そう考えて長いエスカレータに乗り、地上より10mほど高くなっている動く歩道へ乗ると、ぼ~と景色を眺めた。
動く歩道はゆっくりと動き、〈赤レンガ倉庫〉、〈汽車道〉、〈コスモワールドの観覧車〉など、ガイドブックに載っていた、みなとみらい地区の観光名所が見えてくる。
遊びに行ってみたいなとふと思ったが、一緒に遊びにいける友達がいないこと再確認してし、また気分が沈んでくる。
「だめだなー、私……」
アカネが落ち込みそうになったその時、観覧車の手前にオレンジ色の電柱のような柱が何本も立っているのに気がついた。
「なんだろう、アレ?」
都市計画できれいに整備された〈みなといらい地区〉にしてはやや不似合いな建造物だ。遊園地のアトラクションなのか、それともビルの建設工事でもしているのか?
動く歩道の平らなエスカレーターに乗ったまま、先のほうへ進んでいくと、段々とその全体が見えてきた。
「――|帆船《はんせん》?」
それは大きな帆船だった。帆船という物自体は、歴史の教科書や一昔前に流行った海賊映画で見たことがあり知っている。
最初は遊園地のアトラクションとして作った偽物かとも思ったのだが、どうも違う気がする。
なぜかというと、その船はあまりにもリアルなのだ。
船はとても大きく、上に乗っている人がずいぶん小さく見える。船の先端から後まで、100mぐらいはあるのではないだろうか。
船体は木ではなく鉄でできているようで、真っ白に塗装されている。
先ほど電柱と間違えたオレンジ色のマストには、アンテナやレーダーのような物もついていて、何百年も前の船を再現したものではないのがわかる。かといって、未来風なわけでもない。
この船は、現代の船なのだ。
しかし、現代の船は普通エンジンで走るのだろうし、この船にはなんで帆が付いているのだろう?
普段であれば気にも留めないようなことだったが、横浜港に近いとはいえ街の中に大きな帆船が置いてある姿は、なんとなくアカネの興味を引いた。
ショッピングモールの開店までには、まだ時間があったので、アカネは、歩く歩道を降り、その船の近くへ行ってみることにした。
※
その船は、近くで見ると動く歩道から見たときよりずっと大きく感じた。
船体の上にはオレンジ色のマストが4本あり、そこには帆を張るための横棒が何本も付いている。
マストや横棒には沢山のロープが縦横無尽に張り巡らされていて、まるで蜘蛛の巣のようだ。
船体の側面には小さな丸い窓が沢山ついていて、船の中に、沢山の部屋があることがわかる。また、前後には金色の装飾が施され、船に気品を与えていた。
船首には、大きな黒い錨が載っていて、その横に漢字とローマ字で|〈日本丸〉《にっぽんまる》と書いてある。
「この船、日本丸って言うんだ」
日本丸は、海から少し奥に入った細長い池のような場所に、黒い大きな鎖で繋がれていた。
池は海と繋がっているみたいだが、船の後ろには橋が架かっていて、海には出られないようになっている。
そもそも船の周りは公園になっていて、港のようには見えない。やはり遊園地のアトラクションなのだろうか?
――この船は、一体何なんだろう? アカネが色々な想像を膨らませていると、色は茶色だが、警察官や消防士のような制服に身を包んだ女性がこちらに歩いてきた。
どうやらこの船の関係者らしく、何かのチラシを配りながら、船の説明をしているようだ。
いつもなら自分から他人に話しかけるようなことをしないアカネだが、この船がなんなのか知りたい欲求が抑えられなくなり、思い切って話しかけてみた。
「あの……。この船は、遊園地のアトラクションかなにかですか?」
女性は一瞬キョトンとした顔をしたあと、笑いだしてこう言った。
「違う違う。この船は、船乗りになるための学生達が実習を行うための船だったの。今はその役目を終えて、ここに保存展示されているのよ」
「船乗りさんですか?」
「ええ、そうよ。今でも外国に行くような大型船の船員になるためには、帆船で実習を行う必要があるのよ。この船も、半世紀にわたって船乗りを育ててきたの。今は二代目の帆船がその役目を担っているわ」
その話を聞いて、アカネはちょっと驚いた。船乗りになるための学校があることや、船乗りになるために帆船で実習をしなきゃならないなんて全く知らなかったし、そもそも職業として船乗りになるという発想自体、アカネには思いつかなかった。
普通に高校を卒業して、大学に行って、事務系の公務員か会社員になる。そんな漠然とした将来しか想像していなかったアカネには、この制服の女性の話はとても新鮮だった。
とはいっても、自分がそのような道に進むことがあるとは思えないが。
「今日は|〈総帆展帆〉《そうはんてんぱん》といって、全ての帆を広げる日なの。もうすぐ開き始めるから、良かったら見ていって!」
「帆を広げることができるんですか?」
見た目は綺麗だが古い船のようだし、もう帆は広げないものと思っていたのだが、制服の女性はアカネの言葉を力強く肯定した。
「もちろん! この船が全ての帆を開いた姿は、〈太平洋の白鳥〉と呼ばれたのよ」
海の上に浮かぶ大きな白鳥か……。ちょっと見てみたいかも。
アカネが、そんなことを考えていると、女性は腕の時計を見てこう言った。
「私は、総帆展帆の準備があるからそろそろ行くわね。こちら側でも見れるけど、反対側に回ると広場があって、イスが並べられているから、そこで見学するといいわ」
そう言って女性は、日本丸のパンフレットをアカネに渡して去っていった。
アカネは、パンフレットを開いて船の説明を読んで見る。
『日本丸は昭和5(1930)年に建造された|練習帆船《れんしゅうはんせん》です。昭和59(1984)年まで約54年間活躍し、地球を45.4周する距離(延べ183万km)を航海し、11,500名もの実習生を育てて……』
どうやらこの船は、船員を養成するために日本が作った帆船で、今は横浜市が所有し、この場所で保存展示されているらしい。
作品名:陸《おか》の帆船《ふね》においでよ 作家名:SORA