水の月
出会い
ミントやレモングラスを混ぜた小さなリースを、少女が二人、おしゃべりの合間に時折くすくすと笑いながら作っている。このごろは日差しが強くなって、ほんの少し外に出ただけで、日に焼けてしまう。少女達は庭の木陰に陣取って、香り立つ草花を器用に輪の形に編んでいく。いくつもの小さな輪は、この後乾燥させて店に出す。
その横で、暇そうに膝をゆすっている少年が、我慢できなくなって口をはさんだ。
「なあ、まだできねえの?」
「まだ」
間をおかず、二人のうち年下の方の少女が言った。
「早くしないと芝居が始まっちまう」
娯楽の少ないこの小さな街で、巡業の旅芸人の興行は、誰もが楽しみにしているものだった。都での出来事や、怪奇物、恋愛物などが演じられる。たいてい二、三日ほど留まって、いくつかの芝居を見せる。一度見逃すと、つぎの興行まで一年以上待たなくてはならないから、子ども達が仕事を休んでも大人は叱らない。
案の定、少年が言ったその一言で、年かさの方の少女はそわそわしはじめた。
「もうそんな時間? スーン」
しゃべりながらも手は止めないが、編み方が少しだけ雑になったのを、ルーシエルは見逃さなかった。
「先に行ってていいよ、セラ。もうすぐ終わるし、あとは干すだけだから。あたし一人でもできるよ」
「そう? でも、悪いわ」
だが、セラの手はもうリースから離れている。ルーシエルは言葉でセラの背を押した。
「いいよ。先に行って、私の席も取っておいてよ」
「ありがとう、ルーシエル。後で何かおごるわ」
言うが早いか、ぴょんと立ち上がり、セラとスーンは丘を下る道を大急ぎで走っていった。
ルーシエルは笑って見送りながら、葉を潰さないように注意してリースの束を集めた。紐に通して、日陰の風通しのいい所にぶらさげておくだけだ。
家のすぐ横手の納屋の中は薄暗く、ひんやりとした空気が漂っている。香草の香りが満ちていて、風が吹き込むたびに、かさこそと乾いた葉の擦れる音がする。さわやかな香りを楽しみながら、戸口の脇に引っかけてある紐を取って、納屋の北側にまわった。軒下には鉤型の金具が取り付けられていて、紐を括ったらそこに編んだリースを吊るせばいい。
一つ一つ間隔を開けながらリースを並べていると、後ろから声がかかった。
「お前は広場に行かないのかい?」
手は止めずに、ルーシエルは首を曲げた。
「行くよ。セラ達に場所を取ってもらってるの」
「遅れたらつまらないだろう。あとはやっておくから、早く行きなさい」
「大丈夫、まだ間があるから。おばあちゃんは変なとこで心配性なんだから」
ルーシエルは一番はしの鉤に紐を結びおえると、軽く服を叩いて葉の屑を落とした。それからようやっと振り向く。
老婆は、すっかり自分の身長を追い越してしまった孫に、顔を上向けた。
(子どもなら、こんな時は朝から慌てるもんだ)
そんな言葉を呑み込む。ルーシエルは自分が子どもらしくないことを知っていて、無邪気に見えるように気遣っているようなふしがあるからだった。
つい先日、誕生日が来てルーシエルは15歳になった。身長でいえば、三つ年上のセラとそう変わらない。髪を無造作にひとつに束ねた姿は、たいてい年より上に見られた。
顔つきは、まだまだ幼さを残している。ただ、その大きな瞳に浮かぶ表情が、年不相応に大人びているのだった。
藍に金のまだら、という珍しい瞳の色、滑らかな象牙色の肌に、まっすぐな髪は陽光に青く輝くほどに黒い。マルート一と言われる容姿ばかりでなく、いつも頬に浮かぶふんわりした笑みは、人を魅了せずにはいられない。だが、セラと二人で笑い転げているときでさえ、その瞳の奥に冷めた光が宿っていることを知る者は少なかった。
この子は年経ているのではなかろうかと、老婆は時折思う。長年、退魔士を務め上げた勘が告げるのである。人に許された時間よりも老成している、そんな感じがする。
「これで終わり。じゃあ、行ってくるね。そんなに遅くならないうちに帰るから」
明るい声で言われて、老婆は物思いから覚めた。
「ああ、気をつけて行っておいで。少しくらい遅くなっても構わないよ」
日がのびてきた時期でもある。もしも、ルーシエル達の顔を知らなかったり、不埒な考えを持った輩がいたりしても、あの子達なら大丈夫だろう。なにせ、もう退魔士としての仕事を何回かこなしているのだから。
老婆は、別段急ぐわけでもなく歩いていくルーシエルの揺れる影を見送った。
マルートは西海の国の南端に近く、温かい海に面している。海岸線は長いが、ほとんど切り立った崖や小さな入り江ばかりで、大きな交易船が立ち寄れる港がない。それゆえか、有名な特産品があるわけでなく、交易が盛んなわけでもなく、いたって地味な地方都市だった。さほど広い国土でもない西海の国だが、この街の場所と名前を言い当てられる者は少ないだろう。
とはいえ、海からの風が雨を運ぶ温暖な土地柄ゆえに、漁獲が多く穀物はよく育ち、病気も少ない。のんびりとした気風の街である。その、平凡を絵に描いたような街に、ひっそりとルーシエル達は暮らしていた。
街のはずれの家は、ルーシエル達退魔士の生活の拠点となっている。「退魔士」とは、精霊と会話を交わしてその力を借り、人の心に憑く邪気を取り去って、封じ込めるのを生業とする人々のことである。
精霊の言葉を聞く力は、子どもにしかないとされている。ところが、稀に七つを過ぎてもその力を失わない子どもがいると、退魔士の素質があるというわけだ。もちろん、素質があれば誰でもなれるというものではない。思春期を迎えると、素質を持っていた子供の大半は、精霊の言葉が聞こえなくなってしまう。ごくわずかにその素質を失わない子供たちが、訓練によってその力を伸ばし、退魔士となるのである。
もともと、退魔を行うのは神殿の仕事だった。だが、神殿は高い布施を払わねば見てくれない。金持ちでなければ神殿に頼めないから、街の大多数の人々は退魔士に頼まざるを得ない。ところが、神殿ではそれが気に入らないのだった。
退魔の方法は、神殿の神官も退魔士も変わらない。だが、神殿では、正規の学問を修めてもいない退魔士など、精霊と会話などできるはずもない、悪霊の声に惑わされているだけだと、まったく根拠のない主張でもって、退魔士を弾圧している。
退魔士は、払える者からしか代金を受け取らない。相場は一回が銅貨15枚。だいたい、居酒屋でパンと料理を二皿、麦酒を頼んで銅貨10枚。高くはない。それでも払えなければ、野菜でも布でも、何でもよかった。退魔士がインチキ商売かどうかは、一度でも頼んだ人達が保証してくれる。民衆を味方につけているから、神殿から煙たがられているわりに、堂々と活動できるのだった。
芝居が始まるまではまだ少し間があった。広場には、集まる人々をあてこんで、屋台が並んでいた。いい匂いに誘われて、さっそく子どもが父親に林檎飴をねだっている。
ルーシエルは増えてきた人の間をすり抜けながら、セラ達が待っている広場へと足を進めていく。乾いた地面から細かい土埃があがって、ルーシエルは目をすがめた。
(誰か、呼んでる……?)