金色の目
ひたすら恭しく男爵に対応している伶を、周りの人々はぶしつけにならい程度に、注目していた。彼は男爵の言う通りに、あまりこういった華やかな場に姿を現さない。けれど、社交界で孤立しているというわけでもなく、ごく一部の者とは親密な交流を持っている。
伶は異色の存在として、注目されていた。見目の麗しさ、若くしての一城の主であること、何より華族でありながら政治に関わらず、けれどその存在が政治家に与える影響は、無視できないものがあるためである。
彼が深く交流持つ者たちの中には、政治家の夫人、家を継ぐことのできない名家の次男坊、大手商人、外国の要人の通訳など多岐に渡った。どれも直接の執政者との関わりではないが、全体を見回すとそのつながり具合は大きなものとなっている。
だからこそ、誰もが彼とその家のことを知りたがった。彼よりも実力のある男爵も、その一人である。
(パーティに招いて腹探るのと、探偵雇って素行調べさすのと、どっちが腹黒いんだろ)
立食形式のテーブルから料理をつまみつつ、辺りを観察していた渓都は、そんなことを思う。見るからに上品な服装をしていたが、どうしてもにじみ出てしまう所帯臭さから、人々の注目を浴びていた。目立っているということではない。彼に目を向けた者は大抵、じっと見はするものの、すぐに珍しくもない、とばかりに視線を逸らしていた。
華族のパーティであるが、平民が出入りできないということはない。金持ちや文化人、時には華士族に見初められて嫁した、下働きの娘の家族などもちらほらといる。おそらく渓都もその一人と思われているのだろう。だからこそ、こうして堂々と潜入することができているのだ。伶の素行を調べるために。
依頼人は華族のため、このような場所での出来事は把握しているだろう。潜入は無駄足だが、ターゲットを調べるためには、相手をより深く知ることが必要なのだ。これは依頼をこなすための、準備的な作業なのである。
(けど、意外と役に立つかも。割と噂になってんじゃん、あいつ)
特に聞く気がなくとも、若く美しい華族の話は、渓都の耳に入ってきた。慈善事業をしているだの、文化振興に力を注いでいるだの、自身も舞の腕前は確かだのという誉め言葉と平行し、陰口も少なくない。
付き合いが悪い、下賎の者とつるみ、影響されている、若さと美しさで女性の気を引いている、などなどありがちな話だ。しかしそれらの全てが、どこか納得出来てしまうため、根も葉もないものではないのだろう。
飲み物を口にしながら、庭を歩き回る伶に目をやっていると、ある程度の彼の人となりが見えてくる。話しかける者、かけられる者への対応で、人脈も推測できた。
(付き合いは広いけど、全体的に浅いなー。ま、お偉いさんなんてそんなもんかもしれないけど)
周りにいる客は、大抵似たようなあたりさわりのない話をしている。知り合うための時間帯ということもあり、渓都にも声をかけてくる者もいた。目立たぬように、かといって伶を見失ってしまわぬよう、気を配り続けなければならない。
(うっとうしいなぁ)
成り上がりの二代目らしい男に、にこやかに応対しながらも、そんなことを考えた。表情が変わらないため、思惑に気付かれることはないのだが、さすがにちらちらと伶に目をやっていることは、伝わってしまう。男はいたずらっぽく、渓都を見上げた。
「誰か、気になる人でもいるのかい? ああ、陵宮殿か。君も、目の付け所がいいね」
「別に」
愛想よく笑みを浮かべる男に、ぶっきらぼうに応じるものの、気にした様子はない。伶の方をこっそりと見た。
「だが、あの人は無理だよ。私達のような新参者には、見向きもしない。お高くとまった古参組だからね。政治に関われもしないくせに、気位ばかりは高い」
「ふぅん。頑固オヤジみたいだね。評判悪いんだ」
「そうさ。こういった集まりも、よっぽど位の高い者のでないと、応じない。けれど、あちらの身分は高いから、催される宴があれば、出ないわけにも行かないんだ。全くやりずらいったらないよ」
「あら、でもその孤高さが、あの方の魅力でもあるわ」
二人の会話に、新たな声が入ってくる。こちらも新興家出身と思われる若い娘で、とってつけたようなあいさつと共に名乗ると、自らの話を続けた。
「あまりこういった席には出ないけれど、あの方は政治に関わらないのだから、来られても困るのではないかしら。主催の宴を催すのは、文化事業の一つだし、行くのは私達の仕事のうちよ」
「そうなんだ。色々な見方があるもんだねぇ」
「ええ、だからあなたの言い分も解るわ。立場が違えば、状況も違うしね」
女は渓都から、傍らの男へと視線を移す。彼はわずかに口を歪めたものの、深く息を吸うと、皮肉気な笑みを浮かべた。
「お心使い、痛み入りますね」
「あら、そんなにお褒めにならなくとも」
二人が話し始めたのを幸いと、渓都は本来の業務へと戻る。伶の姿を、金色の目が探し始めた。
(お)
鋭い視線は、すぐにターゲットを見つけだす。彼はなぜか、人ごみから離れるように移動し、庭の奥まったところへ足を進めていた。気付いているのは、注視していた渓都くらいであろう。気配を潜めている伶に、誰かが目を向ける様子はない。
(何だろ)
不可解な行動だった。一人になりたい時もあるのだろうが、気配の希薄さの割に、その動きは余裕がない。人目がなくなると、なりふり構わずといった風に、外壁の影へと飛び込んでゆく。
さすがの渓都も眉をひそめた。もしや、ひょっとして・・・・・・
「う・・・・・・ッ。ゲホッ、ゲホッ・・・・・・」
苦しそうな嗚咽の音で、自身の予感が正しかったことを悟る。さすがに隠れてもいられなくなり、身を隠していた壁から、伶へと近付いた。
「大丈夫?」
「っお前、は」
「ああ、動かないほうがいいんじゃない?」
両手を壁についた姿勢でうつむいていた伶は、驚いたように振り返る。すぐに、めまいを起こしたのか、額に手を当てた。
「貧民街の、探偵?」
覚えていたのか、と嬉しいような困ったような思いを抱えた渓都だったが、すぐにそれ所ではないと思い返す。壁に寄りかかる青年に、手を差し出した。
「どうしたのお前。病気?」
「っいや」
青ざめた顔で逸らされた視線が、不自然である。一度会ったきりの相手に頼ることは、高位の者には抵抗があるのだろう。嫌がられるのは仕方がないが、今の伶には別の理由があるような気がする。渓都はなだめるように口を開いた。
「具合悪いなら帰ったほうがいいんじゃない」
「――そうか。そうだな、いても、邪魔な、だけ・・・・・・」
「おい、ちょっと」
言いながら、伶の体はずるずると崩れ落ちてゆく。慌てて支えると、服越しに触れた腕が異常に熱かったが、細かく震えてもいる。どう見てもこれは普通ではない。
「どうしたの。って、寝てる?」
体を預けてきた伶の瞳は、閉ざされていた。今までしゃべっていたにも関わらず、である。自分よりも大きな体をどうにか支えながら、渓都は色々な意味で、途方に暮れていた。