金色の目
和馬は、珍しく上機嫌だった。というのも、久方ぶりに入った依頼が、事務所史上初と言えるほどの上物だったためだ。内容自体は、よくある地道な素行調査であったが、依頼主がやんごとなき身分のものであったこと、さらに他言無用、という制約がついたために、料金が跳ね上がったのである。
これで赤字が埋められる、たらふく酒が飲める、と感激する同僚を尻目に、渓都は面倒臭そうに資料をめくっていた。
彼にとっては、あまり気乗りしない依頼だったのである。だが和馬いわく「今の経営状況を考えろ!」とのことで、仕事を選んでいられないらしい。客商売のこの仕事、よほど忙しくない限り、もしくはいかにも胡散臭くない限り、断ることはできそうもなかった。
和馬もその兄弟にも、さまざまな世話になっている。個人的には、好意を持っている一家のために働くことは、別に嫌ではない。渓都はふてくされながらも、意識を調査に向けていた。
「何だよ、しけたつらして。嫌なら断りゃよかったじゃねぇか。ここはお前の事務所なんだし」
「断れる雰囲気じゃなかったでしょ。お金ないってずっとこぼしてたくせに」
やや決まり悪そうにしながら、和馬はまぁな、と頭をかいている。どうやら、興奮状態から覚め、相棒の心情を気遣えるようになったらしい。今さらだよ、と思ったものの、渓都が何かを言うことはなかった。言われた通り、断ろうと思えばできたのだから。
「大丈夫だよ。仕事はちゃんとするから。ただターゲットがちょっと気になっただけ」
「へぇ、珍しいこともあるもんだな。お前が見知らずの相手を気にかけるなんて。いつも依頼人のことすら覚えねぇのに」
「そんなことないよ。気にするほどの奴がいなかったってだけ」
微妙に失礼な、しかし素直だろう気持ちを告げ、資料を目の前の机に向かって投げ出すと、相棒に読むよう促した。黙って目を通した相棒は灰色の目に、疑問をたたえてくる。
「これが何だ? 相手が華族ってことは、問題ねぇよな。いつもお前気にしてねーし。依頼人も華族っぽいし」
「うん、依頼人は関係ない。樹里たちに調べてもらうまでもなく、有名な家だし、あんまり怪しくもなさそうだよね。まあトチらなければだけど」
肩をすくめ皮肉気に笑うと、言葉を続けた。
「ただ、この素行調査をする奴がちょっとね。陵宮の一人息子で名前は伶。銀髪金目の中肉中背、性格温厚、文化事業に深く関わり、自ら芸術の創作もする。政治には関わらず、そのそぶりも見せない。若年で未婚」
「だな。それのどこが気になんだ?」
「いやね。この『最近怪しげな貧民街に出入りしているため、その是非を確かめる』っていう依頼内容がさ」
首を傾げつつ回りくどい言い方をする渓都に、和馬は眉をひそめる。思うが侭に行動し、人にどう思われようと気にも留めない性格の相棒に、よく肝を冷やされてきた者としては、これまでにない状況に、嫌な予感を覚えた。
「だから、それがどうしたよ。お偉いさんの素行調査なんて、これまでもやって来たろうに」
「うん、別に仕事ができないなんて、言ってないよ。ただこの伶っての、知ってる奴かもしれないなって」
「は?」
「ほら、こないだ話したでしょ。貧民街で華族っぽい男に会ったって。それがこいつみたいなんだよね。だとしたら顔知られてるし、やりずらいかもなって」
ぽかんと目を見開いた和馬は、何か言いたげにパクパクと口を開閉させる。渓都はただ肩をすくめた。
「まあ、やりづらくてもやるけどさ、仕事だし。ただ今回は、あんまり気楽にはできないなって思ったわけ。それがめんどくさいの」
「おまっ、何で先に言わねーんだよ!」
「言う前に、依頼人来ちゃったじゃない」
「そりゃ、そうだったが・・・・・・」
やり取りをした当時の様子を思い出したのか、和馬は気まずそうに言葉を濁す。仕方がないことだったと、思ったのかもしれない。
渓都にしてみれば、名刺を渡したものの、本当にあの青年華族と関わることになるなどとは、思っていなかったのだ。つまり予想外の事態、ということである。
「ともかく、することに変わりはないし。もしかしてひょっとして、この伶ちゃんからの依頼が来ても、うまくごまかしておいてね」
「華族の依頼が続くなんて、ありえねーけどな」
軽くため息をつく和馬を尻目に、渓都は資料を手に取ると、自分の仕事部屋へと向かった。少々今回の依頼人と、その対象について調べてみようかと思ったのだ。
遊園会は日の高いうちから始まった。昼には庭を見ながらの野外での会食と、人々の交流。夜には室内でダンスと音楽を楽しむという、二部構成だ。
主催者である男爵は、古くからの伝統を誇りながら、最新流行に目が聡い。昼と夜の合間には、余興として活動写真の上映も予定されている。庭や天気、近況などお決まりの話題を終えた出席者達は、必ずといっていいほどその話題を口にしていた。
たびたびの招待に、ようやく応じた形であった伶も、庭で人々の間を如才なく回っている。同じような話題を、人に合わせて微妙に変化させる技を駆使していた。
例えば、伸び盛りの新興家の若当主には
「活動写真に目をつけるとは、さすが男爵様ですね。中身でそのものを判断していらっしゃる。あなたもそのうちの一人とお見受けいたしますよ」
と、聞きようによっては釘を刺しているような言い方で持ち上げ、古くからの家柄の伯爵夫人には
「伝統を保つことは、大切なことです。が、時代というのは移り変わってゆくもの、新しいものを忌避するよりは、それにかつての伝統を盛り込んでゆくことこそ、貴女方の持つ力が要るのではないでしょうか」
と、その自尊心をくすぐった。
人の間を愛想よく泳ぎ回る様子は、おおむね好意的に受け入れられていたが、中には眉をひそめる者もいる。気にしていては埒が明かない程度のものだが。
群衆の中から、一人の身なりのいい男が進み出る。彼は、家臣と思われる男から耳打ちを受けたこの会の主催者、男爵だ。歩みを進めつつ、さりげなく辺りにあいさつをして回り、まっすぐ一人の人物へと向かってゆく。
格下の家ではあるが、よく顔を合わせている知人と話していた伶は、男爵の接近に気付くと、会話を切り上げた。ゆったりとした物腰で、向かい来る初老の男へと向き直る。
「お久しぶりです。本日はお招きいただき、ありがとうございました」
「ああ。君はこういった席には、出不精だからな。たまには人前に出るのもいいだろう」
「お気遣い、痛み入ります」
粛々と頭を下げる様子からは、腰の低さが窺えるも、どこかしら堂々とした雰囲気が漂う。裏のありそうな物腰は、社交界を泳ぎ回る者達に、色々な意味で注目されていた。
他の場所で、いくつかの噂を耳にしていた男爵は、眉をひそめつつ伶を見つめる。
「君の活動は耳にしているよ。平民との交流を深めているようだね。地位に関係なく人と関わるのはいいことだが、本来の階級との交流を忘れてしまっては困るな」
「ご忠告、厳粛に受け止めさせていただきます」