金色の目
「でも、お前を誘拐したってことは、それなりの確信があってのことでしょ。弟について知ってる人は、他にもいたんじゃない」
「ああ。手飼いの調査員に、調べさせたようだからな。彼らもまとめて逮捕されている。上の者には情報が届いているだろう。俺は知らんのだが――」
「聞かないの?」
無表情のまま、感情を込めずに問いかける渓都に、伶は困ったように笑い、首を振る。
「聞けば解るだろうが、迷っている」
「俺らに依頼した手前?」
「確かにそれもある」
申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「だが、それ以上に、あまり大事にはしたくないのだ。今は権威の問題やらで、真相は公になっていない。藤綱家も、悪くて爵位の降格、本人の謹慎、政治的地位の剥奪、という他の理由をつけられそうな処分となるだろう。騒がなければ穏便に片がつく。しかし私が口を出すとなると――」
「向こうが黙ってないって?」
「最悪の場合、お前達にも迷惑が掛かるかもしれん」
沈痛な表情で発せられた言葉に、渓都はきょとんと目を瞬く。自分の正体がばれたのかとの考えが頭をよぎるも、すぐにこの事務所や、相棒の家のことを言っているのだということに気付いた。伶は、自嘲気味に笑っている。
「そんなことまで、気にすることないのに。まあ、気が咎めるっていうんなら、無理に聞くこともないし、俺も仕事が続けられるからいいけどね。――それとも、もうやめる? 弟探し」
「それは」
困ったように見上げてくる姿に、渓都は肩をすくめたくなった。当の弟である彼としては、調査をやめてもらって一向に構わないのだが、事務所を持つ探偵としては、金持ちの後援者を逃がしたくはない。矛盾する思いの中、では本人の判断に従おう、と思ってた。にも関わらず、すがるような目を向けられても困る。第一、いい年齢の男に頼りにされたところで、あまり嬉しくもない。
一方で、困惑したくなる気持ちも理解できる。肩をすくめるに留めたのも、その思いの現れであった。
「事務所としては、続けてくれた方がいいけど、別に弟探しに仕事を限定することもないんじゃない? 何かのために、雇い続けてもいいだろうし」
「それは俺も考えた。だが問題はそこじゃないんだ。お前達を雇い続けることに、不満はない。これからも続けたいと思っている。だが、弟のことについては、まだ整理がつかん」
「まぁ、会ったことない相手だしね。無理もないよ」
実にしゃあしゃあとした口ぶりである。この場に和馬がいれば、こっそりと眉につばをつけるしぐさくらいは、したかもしれない。
例えそれが実際に行われたとしても、気付かないだろうといった風情で、伶は考えに沈んでいる。眉をひそめる表情は、やがてゆっくりと上げられた。そして呟く。
「お前だったらよかったのにな」
「えっ?」
「お前が義弟なら、これほど悩まん。自分で自分を守ることが出来るし、気遣いなんぞうっとうしいとしか思わんだろう。そのくらいの男であれば、迷わず見続けていられるのにな。まぁ、関わられたくないことには、違いないだろうが」
「・・・・・・かもね」
戸惑いと困惑を含んだ短い答えに、なぜか伶は声を上げて笑った。例えばの話だ、と続ける。
「そんなに嫌がることもないだろう。これからも俺たちは、一緒にやってゆくのだから」
「そ、だね」
「ならば、指針は必要だな。とりあえず弟のことは、これまで通りだ。気が向いたら調べてみてくれ。それと、今以上に慎重になって、より気付かれないようにな」
「解った」
渓都の反応が妙なものであったことは、伶の心に余裕を生んだらしい。わずかに明るくなった声で、自身が出した結論を告げた。
「そういえばさ、お前に一つ頼みたいことがあるんだけど」
「ん、何だ?」
話題を変えた渓都の顔を、伶が見る。二対の黄金色をした目が、向き合った。
「この前、お前が誘拐される前にさ、頼んだことあったでしょ? あれの返事が、俺に来たの」
渓都は一枚の封筒を取り出す。それは以前、美鈴から手渡されたものであった。中には時音と時雄――家出娘と、その父親の名だ――との話し合いの場を設けるように、という指示が記されていたのである。
渡されたのは、ずいぶん前のことであったのだが、事件のごたごたから後回しになっていた。忘れなかったのは、やはり友人が関係していることだからであろう。
「友達と家出娘とその父親を会わせたいんだけど、変な場所だと外聞とかあるから、お前が決めてくんないかなと思って。娘側は住居近くじゃなく、華族の屋敷とかじゃなければ、どこでもいいだろうけど、そっちはそうも行かないでしょ」
「ああ、その件か。きちんと話は続いていたんだな」
心底安心したように伶は言った。彼の誘拐は、その件を彼の師に告げに行った帰りに起こったため、顛末を知る機会がなかったのである。
「そういうことならば、協力は惜しまん。場所は俺の家でどうだ? 少々気後れするかもしれんが、政治家ではないので、まだいいだろう。時音様を知る召使いもいるが、よく言い聞かせれば噂が広がることもない」
「お前んち? そっか、うーん」
引っかかる部分がないでもなかったが、結局渓都は後日、そのことを友人に伝えた。伶も時雄へと伝え、親子の対面は相成ったのだが、荒れに荒れた末、結局まとまることはなかったのである。そのため、何度か二人は、このお家騒動の間を取りもつこととなった。
「つまり、また別の因縁が出来たって訳か。よかったじゃねぇか。これなら弟のことも突っ込まれずに、仕事が続けられる」
「うん、まぁね」
渓都は、少し苦い顔をして相棒の和馬と話をしている。報酬を受け取りに来ていた樹里が、不思議そうに、探偵の顔を覗き込んだ。
「何だ。騙すことに気でも引けたか?」
「そんなんじゃないって。第一、樹里の方が気が引けてるんじゃないの。俺より伶と仲いいんだし」
「うーん、まぁね」
あっさりと返された肯定に、お茶の仕度をしていた和馬が目を向く。こぼれそうになったカップをひったくるように受け取り、樹里は怒ったように言った。
「何だよ。兄貴だって私と伶が怪しい、とか思ってたんだろ。今さら動揺してんなよ」
「・・・・・・な、だって、お前らいつの間に、そんなとこまで!?」
「そんなとこって、どんなとこ?」
茶に息を吹きかけて冷ましながら、渓都が樹里に問いかける。彼女は軽く微笑みながら、ゆっくりと首を振った。
「何にもありやしないよ、特別なことは。ただ、私はあいつを気に入ってて、あいつも別に私を嫌ってない。だから仲がいいってだけさ。男女だからってだけで、勘繰られちゃ困る。まあ、これからは解らないけどね」
落ち着きかけていた和馬が、今度は茶を吹く。正面にいた樹里に、しぶきがかかった。他の兄弟と違い冷静な彼女は、黙って雫を拭うが、兄の服でというところが、怒りの度合いを示している。
「お前、気があるのか無いのか、どっちなんだよ!」
「逆切れしてんなよ。むしろ切れたいのはこっちなんだから」
むっつりと低くなった声に、和馬は顔を引きつらせていた。
二人のやり取りの間、渓都は樹里の心理を推察する。彼女は兄をからかって遊んでいるのだ。さんざん伶とのことを勘繰られた仕返し、という裏もありそうである。