金色の目
責任者の自覚がまるでない探偵は、相手の多忙を理由にし、ひたすら会うことを後回しにして、現在に至っている。
「あー暇だー」
大きな事件が解決した後なのだから、後始末や自身の休息など、やることもやりたいことも、いくらでもありそうなものだが、この男にはそういう気持ちはないらしい。ことが終わればそれはそれまで、余韻も何もなく日常に戻るのである。柔軟性がある、と言ってもいいのだが、恐ろしいまでのマイペースと言ったほうが、理解は早いであろう。
暇だ暇だと言いながらも、彼はいつものように外へ出てゆくことはしていない。後始末でおおあらわな相棒に、血走った目で
「いいかおめーはここにいろ。留守番の役にも立たねーんなら、伶にばらすからな」
と脅され、しぶしぶ留まっているのである。
外出のドサクサで最後の合鍵をなくし、錠前屋を呼んだことはまだ記憶に新しい。ほとほと呆れた和馬は、ようやく手に入れた渓都の弱みを、心おきなく利用しているようである。これまでやりたいようにやってきた男にとっては、実に不本意な状態であった。
それでも従ってしまうあたり、渓都も妙だとは思い始めている。伶に異母弟だとばれたところで、こちらにやましいことなどないのだから、構わないではないか。
「・・・・・・」
腕を組み、真実を告げた際の、青年華族の反応を考えてみる。
まず驚くだろう。そして、なぜ黙っていたのかと問い詰めたのち、状況が状況だけに言い出せなかったのだと思い至り、逆に謝ってきそうである。いや、ほぼ間違いなくそうなることだろう。
「やっぱやだな、ばれるの。あいつバカだし」
今更兄弟だ、などと言い出すのが気恥ずかしい、という思いもある。が、それ以上に今回のごたごたが、異母弟の存在に端を発していることが、気にかかっていた。あの男のことだ、見当違いの保護欲を見せ、渓都を守ろうとするかもしれない。
「冗談じゃないよ」
「何がだ?」
「そりゃもちろん・・・・・・って、ん?」
一人だった部屋に、返ってきた言葉。訝しんで顔を上げると、突っ伏していた机の傍らには、しゃんとした服を着た、銀髪の青年華族が立っている。思わず目を瞬かせた。
「何してんのお前。勝手に入ってきて」
「何度も戸を叩いたし、声もかけたぞ。反応せずに突っ伏していたので、気分でも悪いのかと思ったのだ」
怒ったような口調で、微かに頬を紅く染めた伶の反論に、渓都は首をかしげる。どうやら、自分の思考に集中し、外の様子に意識が向かなかったらしい。
「危ないなぁ」
「それはこっちのセリフだ。スパイや泥棒だったら、どうするつもりなんだ」
「うん、そうだね。下手したら俺、蜂の巣だ。お前でよかった」
安心しつつも、気をつけないとと呟いた渓都は、ふと目の前の男が妙なしぐさを見せていることに気付いた。口元を小さく震わせ、しかし体はがちがちに硬直している。
「どしたの?」
「っな、何でもない!」
問いかけられると、大げさに動き出す。焦ったような様子で勝手に応接ソファに腰掛けた。華族らしくない動きである。
「事件の詳細を話に来た! お前も当事者ならば、気なっているだろうと思ってな!」
「あ、んー。聞く聞く」
何で怒鳴るんだろう、と思いつつも席を立ち、応接用のイスに腰掛けた。お茶を淹れた方がいいかな、とも思ったが、彼には茶器の場所が判らず、用意したこともない。どう考えても時間を食うことは明白だったため、諦めることにする。
向き合っている伶は華族であり、上流階級の者であり、礼節にもうるさいはずなのだが、探偵の振る舞いに腹を立てたことはない。今回も、もてなしがないことを咎める様子はなかった。ひとつため息を吐き、口を開く。
「藤綱様が、議会に召集された。問責を受けている最中だが、政界への発言力が落ちることは確実だろう。財産も一部停止されるらしい。いささか大げさな処置かとも思うのだが、何かせんと示しがつかん、ということのようだな」
「ふうん。じゃ、お前は政治家じゃなくて、よかったね」
「そうだな」
青年華族はくすりと笑った。さらった者が品格を問われるのならば、さらわれた者は、その安全管理能力を問われる。被害を受けたのだから、罰を受けることこそないが、苦言を呈され、評判が落ちることは免れない。そうならない立場でよかったね、と探偵は言っているのだ。
「さらわれて閉じ込められて、女のお守りまでして変な噂立ったんじゃ、やってらんないよね」
「そうだな。――月菜どのの件に限っては、仕方がないとも思うが」
「仕方ない?」
渓都は眉をひそめる。不快気な様子に、伶は慌てて両手を振った。
「いや、違うぞ。別に面倒を見たかったわけではない。お前達に助けられたことも、心底ありがたいと思っている」
「別に責めてるんじゃないし。お前がどう思おうといいけど、ちょっと不思議に思っただけ。あの女の何に対して、仕方ないって言ってんの?」
華族の青年は、焦った様子から一転し、深刻な表情で黙り込む。だが、それもほんの数秒のこと。すぐに顔を上げ、目の前の男の疑問に答えた。
「月菜殿は、患っていたのだ。表面上では解らない、心の病を」
「精神病ってこと? 確かに、お前を連れてこうとした時は、妙な感じだったね。けど、それ以外は普通に見えたけど」
「そうだ。俺も、あの屋敷でしばらく共に過ごしたが、なかなか気付けなかった。日常生活を送る分には、なんら問題はないらしい。ただ混乱させられると、自制が効かなくなるようなのだ」
「ああ・・・・・・」
妙、と称した場面の月菜の様子を思い出し、渓都は納得したように頷く。その時の彼女は、まるで駄々をこねる子供のようであった。家の中だけならまだしも、外でああいった振る舞いをされては、本人はともかく、回りは困ったものだろう。だからこそ、あの家に閉じこめられ、さらってきた伶を、一石二鳥の守役として置いたのだ。
納得は出来るものの、被害を受けた本人には迷惑な行動を、仕方がない、で済ませてしまうあたり、彼のお人よしさが知れる。渓都は呆れたような笑みを洩らした。
「そんなこと言ってるから、厄介な奴に見込まれるんだよ。誘拐じゃなく正式な依頼だったら、おとなしくあそこに引きこもったんじゃない?」
「それはない」
「どーかな」
からかう渓都に、しかし伶はきっぱりと、意固地になったかのように首を振る。ただ反発しているわけではないらしい。ついと銀髪をはらうと、言葉を続けた。
「今の状況で、街を離れるということはありえん。家のこともあるし、やりかけた仕事もあるからな。それを放り出してまで、することではない。それに――義弟のこともある」
口調に影が差す。うつむく姿を、渓都はさりげなく見つめなおした。
「今回、まだ実行されなかったとはいえ、義弟が巻き込まれた。こうなった以上、一刻も早く彼を見つけたいのだが、逆に、もう関わらずにいた方がいいかもしれない、とも考えている。藤綱様は弟の行方をご存知のようだったが、接触はしていない。具体的な資料も残していないようだ――闇に葬られたのならば、それはそれでいいと思う」