金色の目
ふいに思い出したかのような伶の言葉に、初めて男は口を開いた。苦々しく、若い華族を睨みつけるその表情には、失敗した悔しさこそ浮かぶものの、恨みらしきものは見受けられない。
「て、言われてもな。原因があんなら、言ってみちゃどうだ? 同じこと繰り返されても困るし。正して欲しいことがあったから、こーゆーことしたんだろ」
「仕返しとか身分が違うとかいうことなら、どうしよもない部分はあるけどさ。それ以前に、あんた状況解ってる? あんまり我を張ってると、こいつらが何しても知らないよ」
そう言って、兄と友人を顎で示す樹里に、彼らは揃って呆れたような表情を見せた。当然だ、と同意しているのか人をだしにするな、と言いたいのか。どちらにしろ今口に出すつもりはないようである。
「こっちでも調べてるから、大体の所は解ってるけどね。伶、この人はね、お前を失踪させて、そのあと家をのっとろうとしてたの。殺されなかったのは幸いだったね。ちょっと、もしかしてって思ったけど」
「どうやって、そんなことを・・・・・・。確かに御家は祖父の仕事を受け継ぎ、交流もわずかながら続いていましたが、身内ではない。私がいなくなったところで、血縁のものに――あっ」
目を見開いた伶は、一瞬、渓都に目を向けたのち、藤綱家当主へと視線を移す。
「もしや、義弟を利用しようとしたのですか、あなたは」
男は何も答えない。だが、わずかに口元を笑みの形に変えた。否定の様子は少しもない。そのしぐさは、伶の気分を逆撫でするには、十分な要素であった。荒々しく言葉を吐き出す。
「何ということを、するのですっ。義弟を持ち出すのならば、当家の事情も知ってのことでしょう。捨てられた家に、仮初めの当主になるために、戻りたがる者などありますまいに」
「お前に、何が解るというのだっ!?」
男もまた、感情のどこかに火がついたらしい。態度にふてぶてしさが混ざり始めた。
「恵まれた環境にのうのうといる者に、打ち捨てられたものの気持ちなど、解るものかっ。己の尺度で人を哀れむなど、傲慢もいいところ。そういう性は父親とそっくりだ」
「父が、何だというのです」
声を低める伶に、藤綱は暗い笑みを見せる。
「あいつはいつでも、俺を見下していた。家柄以外に何も持たぬくせに、努力している俺を、悠々と追い抜いてゆく。何の苦労も知らず、陵宮という名だけで、起こす事業は軌道に乗る。それを、ただ見ていることしか出来ない者の気持ちが解るか!? そんな相手と、親しく付き合い、なぐさめの言葉をかけられねばならぬ者の気持ちが、解るとでも言うつもりかっ!」
男は語気を荒げ、若年の華族をにらみつけた。表情から笑みは消え行き、渓都らがいなければ、つかみかかって行きかねない形相である。息を切らしながらも、言葉を続けた。
「政治を投げ出した家の者など、重んじる必要はないのだ。それを上の連中は解っていない。いつまでも過去を引きずっている。それもこれも、地位を捨てながら金ばかりあるのがいけないのだ。いっそ全てを有効に生かすべきだろう」
渓都が肩をすくめる。呆れているのだろう、と伶は思ったが、藤綱の言い分は全く理解できていない。そもそもが出世欲とは無縁な青年だ。だが、それが裕福な家で育ったがため、という自覚はあるため、慎重に言葉を選び出そうとしている。
「私も、出来る限りのことはしているつもりです。国に奉仕する気持ちもある」
「私欲を守りながらな」
「当たり前じゃん、そんなこと」
言葉を挟んだのは、渓都であった。彼は先ほどから、苦い笑みをこらえているかのように妙な顔をしており、時折和馬につつかれていたのである。やり取りに気付いていない伶は、意外そうに探偵へと顔を向けた。
「華族だろうと市民だろうと貧民だろうと、自分を守るのは当たり前。自分の持つ物をどう使おうと、それはそいつの自由だ。あんたが自分の力で、伶んちを乗っ取ろうとしたみたいにね」
藤綱の顔が赤く染まる。何かを言いかけたが、その口は空しく開閉するばかりだ。背後でこっそりと、和馬が笑いをかみ殺し、樹里に苦い顔でたしなめられている。
「ともかく、こいつは返してもらうよ。あんたのしたこと、お偉いさんも知ってるから、口封じしても無駄だからね。沙汰が来るまで、おとなしくしてて」
藤綱は、脱力したようにイスの背に沈み込んだ。渓都らが近付いてくるのを見ながら、伶は複雑な心境でその場にたたずんでいる。
誘拐犯の思いは理解できず、藤綱の姿には、ただ哀れみだけを感じていた。同時に今、彼が気にしているのは、月菜のことである。おじに協力し、伶をこの場へつなぎとめていたのは、もちろんそう命じられていたためであろう。だが、伶に対する純粋な好意も、皆無ではなかっただろう。
色恋には鈍い青年華族も、彼女の思いはうすうす感じ取っている。これまで一言も言葉を発していないことが、それゆえ気にかかっているのだ。
「さ、帰ろう。こんな所に長居は無用だ。それともいたい?」
「いいや」
振り切るように首を振ると、探偵社の者らに周りを囲まれるようにして、踵を返す。去ってしまえば、もう気が咎めることはなくなるのだから。
「帰るのですか?」
声が上がったのは、部屋を出かけたまさにその時。背を向けたままの月菜からであった。伶は少々途惑いながらも足を止め、短期の同居人を振り返る。
「自らの意思で、ここに来たわけではありませんので、帰ります。ただ、あなたと過ごした時間は、不快ではありませんでした」
「でしたら、いらしてくださいな。ずっとここに」
月菜は服の裾を翻し、体ごと振り向いた。
「お一人で退屈でしたら、皆さんも共に。そうすれば、きっともっと楽しくなりますわ」
「何言ってんのあんた。人の話、聞いてた?」
呆れたような渓都の傍らで、樹里と和馬も困惑の表情で顔を見合わせている。その中でただ一人、伶は冷たい汗をかいていた。まさかと思いつつも、目をやった藤綱が慌てたように腰を浮かせるのを認識し、絶望的な気分に襲われる。
「あんたたちは、こいつを無理やり連れてきたんだ。つまりこれって犯罪。だってのに、迎えに来た奴に残れ、なんてあんたバカ?」
「だってそれでいいと、おじ様はおっしゃいましたもの。私の安定が一番だと。伶様がいらっしゃってくれれば、私は幸せなのですから」
伶は迷っていた。どうすれば、月菜を納得させられるのか解らない。真っ向からの説得が届いていないのだ。
呆れと困惑を共に抱えながら、口をつぐんだ渓都に変わり、今度は樹里が口を出す。
「あんたちょっと落ち着きなよ。こっちにはこっちの都合があるんだ。自分のことばっか言ってんじゃないっての」
「ですが、自分がなければ、何も始まりませんわ」
月菜の雰囲気が、夢見るようなものから、やや硬質なものに変わった。おや、と探偵社の面々は目を瞬き、藤綱さえも窺うように動きを止める。
「それはそうさ。だからって自分のことばっかじゃ、人生渡って行けやしないよ。あんたちょっと子供過ぎじゃないか」
きゅっと月菜は眉を寄せ、樹里に詰め寄った。憤慨したような荒々しい動きを目にした伶は、思わず間に割り込む。
「伶様」
「月菜どの、落ちつい・・・・・・」