金色の目
自宅にいた頃は、友人の紹介ということで、彼女の家を詮索しようとはしなかった。さすがに両親くらいは確認したが、うかつに関わることを避けることの方に、労力を注いでいたのである。下手に調べれば、興味を持ったと勘違いされかねない。それを避けるため、逃げる道を選んだのだ。
これら一連の行動も、計算の上での誘拐だとしたら、相手はよほど彼に詳しいということになる。あるいは、月菜を通じて行動を監視していたか。
考えたところで益があるわけではない。出来ることといえば、目の前にある本を読むことくらいだった。伶は、この屋敷を持つ一族に関する書物を、片っ端から読み進めることにする。
他人の書いた、客観的な伝記のようなものがあるわけではない。代々の当主の記録、古い日記などが主である。本宅ではないためか新しいものは少なく、特に当代のものは一冊とて収められていない。どうやらここは、保管場所のようだ。
それでも一つ一つを手に取り、熱心に読み進めてゆく。ここまで来てしまえば誰にはばかることもない。さすがに月菜を呼ぶわけにはいかなかったが、我が物顔で腰をすえていたわけである。
時の流れすらおぼろげになる地下には、時折召使いが時を告げに来るのみ。大抵は食事の知らせだ。今しがた感じた人の気配も、そのたぐいのものだろう。抱えていた本にしおりを挟み、元あった場所へ戻すと、伶は席を立つ。こわばった体をほぐしたのち、地下の出入り口へと足を向けた。
月菜と召使いが、何かを話している。足音で気付いたらしく、二人が顔を向けた。青年華族は、軽く目を見張ったものの、ゆっくりと微笑を返したのち、口を開く。
「何か起こりましたか?」
「おじ様が、いらっしゃられたようです。ご予定にありませんでしたのに、なぜかと」
「事情が変わられたのでは?」
自身をさらった主犯格が来たと聞かされても、伶が緊張や警戒を見せることはなかった。逆に月菜らが途惑っている。急な当主の来訪が原因のようだ。召使いの男も困惑気味である。
「ひとまず、お二人ともに上がってきていただけますか? 旦那様は、客間にいらっしゃいます」
「解りました。参りますわ」
返答し、月菜はちらりと伶を窺った。彼は頷くと自らの後片付けをする。召使いの先導のもと、二人は地下書庫を後にした。
「すでにご理解されていると思われますが、くれぐれも妙な気は起こさないように、なさってくださいませね」
念を押されて、伶はただ肩をすくめる。孤立無援の見知らぬ場所で、多少の反抗をしたところで、事態が好転するとは思えない。月菜の背を見つめながら、彼はそれとはまた別のことに、思いを巡らせていた。
このところ見ていた書物から、月菜ら一族の内にある、独特な体質というものが読み取れてきている。あからさまには書かれていないが、共通した感情のようなものがちらちらと垣間見えた。
やはり同族なのだなと思う。自身にも、会ったことのない異母弟と、共通するところがあるのだろうか。思いをはせたりもしたものだが、それはともかく。
月菜の一族に共通した感情は「焦り」であるように伶には思えた。絶えず「どうにかしなければ」という思いが、文面からひしひしと伝わってくる。けれど時折、逆らうかのようにのんびりとした記述も見受けられた。目の前にいる月菜は、どちらかというと、この部類にあてはまっているように思える。
彼女は、一つの扉の前で足を止めると、戸を叩いて来訪を知らせた。中からは、年を経た男の太い声が入室を促してくる。
声に従う月菜に続き、中へと入った伶は、自らの手で扉を閉めた。人払いがされているようで、彼らを先導した召使いも、すでにこの場にはいない。
「お久しぶりです、おじ様。突然どうなされたのです?」
「ちょっと用があってね。連れてきてもらったの」
返事はおじと呼ばれた男でも、伶でもない男の声で発せられた。伶が目を瞬くと、男の座る背もたれの高いイスの後ろから、ひょいと金髪が顔を出す。
「け、渓都! なぜここに」
「なぜって、用件は一つしかないと思うけど。それに、俺だけじゃないよ」
言って渓都は、男の横に移動すると、庭へ向かって片手を上げた。するとすぐに窓が開き、外からこれまた見慣れた姿が現れる。
「よ。ちょっくら遅くなったが、迎えに来たぜ」
「無事なようだね、伶」
「和馬殿、樹里も」
気軽に言葉をかけられた伶は、複雑な表情を浮かべた。助けに来てくれたこと自体は喜んでいるようだが、ほぼただ待っているだけだった自身に、ふがいなさを感じているらしい。探偵社職員らが、無意識に子供を相手にするような口調をしていることが、さらにその思いに拍車をかけた。
「よくここが解ったな。しかも、三人揃って来るなんて」
「ん、ちょっとこの人に協力してもらってね」
ふてくされた口調の伶に答え、渓都は男の座るイスを叩く。男は苦い顔をしているが、三対一では分が悪いとでも思っているのか、逆らう様子はなかった。迎えに気を取られて失念していたが、改めて男を見つめてみる。
中年ほどの年齢、身なりは月菜よりも上等な仕立てで、一族内での二人の立場の違いが窺えた。顔自体は社交界内で見覚えがあるが、記憶に残るほどの印象はない。憎まれる覚えもまたないため、なぜ彼が自分をさらったのか、そこまでして何をしようとしていたのか、伶は今だに理解できていなかった。
途惑う雇い主を尻目に、探偵は何気ない様子で口を開く。
「お前の師匠と和馬たちの母さんが、協力してくれてね。ちょっとこの人を追いつめてもらったの。お前のやってることくらい、お見通しだぞって」
「母ちゃんもたいがい怖いが、父親代わりのあんたの師匠にすごまれて、情報課の重鎮に揺さぶられて、若年寄に笑顔で迫られちゃ、さすがに不安になったみてーだな。あっさり様子を見に来てくれたぜ」
な、とばかりに和馬が声をかけると、男はますます顔を歪めた。それには構わず、今度は樹里が説明を続ける。
「私達はその後をつけて、ここを突き止めたって訳さ。よっぽど焦ってたんだね。あんたも華族なら、もう少し身の回りを警戒しないと」
どんなことを彼らがしたのか、覗い知ることはできないが、樹里のように若い女性には、言われたくないだろうと思う。伶は呆れと哀れみと共に警戒する、という不思議な心境で男に目を移した。
「申し訳ありませんが、こうなった以上、私も家に戻りたい思います。何をしようとしていたのかは存じませんが、もう諦められたらいかがですか」
「・・・・・・」
男は答えず、眉間にしわを寄せている。簡単に諦められるようならば、はなからこれほど大掛かりなことはしない。抵抗をしないのは単に、この場にいる味方が月菜一人のためであろう。騒ぎ出せば召使いも来そうだが、荒事に慣れた様子の者はいない。数がいるとはいえ、貧民街を渡り歩く三人を、果たして相手にできるかどうか。
「あなたは、藤綱家のご当主様ですね。我が祖父の、同輩のお家だったと記憶しております。あなたご自身も父と親交がおありとか。そのあなたがなぜ、このようなことをなさったのです。私にご不満がございましたか」
「・・・・・・言ったところで、どうなるものでもない」