金色の目
女はしばし沈黙した。毒、という日常では早々使われない言葉に驚いた、というわけではない。一般的には非日常でも、彼女にとっては商売柄、よく耳にする名詞なのだ。
それでも、聞いて心地のよい言葉ではないことは同じである。女は、さらに慎重に言葉を紡いだ。
「知ってることは知ってる。けど正確かどうかは解んないわよ。深く探るとやばいし。それでもいいの?」
「んー、そだね。教えてもらえれば、後はこっちで調べる。あんたらを危ない目には、合わせらんないからね」
「当然よ」
女は自衛団と名乗る組織に関わっている、華族のうち一人の名を告げた。さらに彼女は、その華族に関する知っている限りの情報も付け加える。
「こいつは下級華族で、家柄は古い。陵宮とタメを張れるくらいだね。けど最近はぱっとしてないんだよ。位が落ちるってことはないんだけど、上がる気配もないね。巷じゃ埃の厚く積もった華族、なーんて言われてる。要は動きがないんだ」
女の口調は茶化したものだったが、渓都は素直に笑うことはしなかった。さした功績もないのに降格しないということは、それだけ保身に秀でてるということ。調べるのは骨が折れそうである。
だからこそ、これ以上は彼女に任せられない、とも言えるのだが。
貰った情報に礼を言い、彼は貧民街を後にする。帰ったら和馬に相談しよ、などと思いつつも、めんどくさいなぁと呟く姿が、女の目に映っていた。
その後、彼の持ち帰った情報から、犯人の特定は成されることとなる。美鈴らからの情報に、その華族の名が入っており、調べることはそう難しくなかったのだ。
渓都らは、確実に伶の元へと歩みを進めている。
「何か、お悩みですか?」
深夜。部屋に戻らず灯を小さくした居間で、ぼんやりと過ごしていた渓都は、少女の声でふと我に返った。廊下へと続く部屋の出入り口には、寝巻き姿で手灯を持った雪が、静かに主を窺っている。手洗いにでも行ってきたのだろう。起こしちゃったかな、と彼は笑う。
「うるさかったかな」
「いいえ。明かりが漏れていなかったら、気付きませんでした。静かなのに起きてらっしゃるので、何かあったのかと心配になりまして」
「心配?」
渓都は小さく吹き出す。子供に心配される大人という図が、おかしかったのだろう。軽く肩をすくめつつ、雪を手招く。少女は首を傾げたが、主へと近付いていった。
「お仕事のことですか?」
少女に大人の事情は解らない。一緒に暮らしているとはいえ、外でのことはあまり聞かされていないのだ。唯一知っていることが、探偵の仕事をしているということだったため、そこから推測できることを口にしてみる。
「伶さんが行方不明だとか。砂成君も、心配しているみたいでした」
「ああ、あっちも知ってるんだね。まぁ、広まらないと意味ないだろうし」
意味ありげなことを言われても、雪が問い返すことはない。知ったところで出来ることはなく、嫌な言い方をすれば、彼女には知る必要はないのだから。
渓都は時折、気まぐれに仕事の話をしている。信頼の現われなのだろうが、二人ともに自覚は乏しいようだ。
「伶さんは、大丈夫なんでしょうか」
「たぶんね。殺したいんだったら、とっくにしてると思う。いなくなって五日経つけど、そんな話は入ってこない。だからきっと生きてるよ」
「取り戻せそうなんですか?」
首をすくめることで、彼は答えを返す。雪は少し表情を曇らせた。
「何か、できることがあればいいんですが。伶さんにはお世話になりましたし、これからも渓都さんのお友達として、ずっと関わってゆきたいと思っていますから」
「お友達ねぇ」
少女からはそう見えるのだろう。渓都は笑うしかない。友情らしきものが全くないわけではないので、あえて否定することはしないが。
「音楽祭でも、伶さんを気に入らないらしい華族の方をお見かけしました。砂成君は気にするなと言っていましたけど、その時に何かしておけば、違っていたかもしれませんね」
「音楽祭?」
ぼんやりとしていた金の瞳に、かすかな火が灯る。そこから調べる手もあったと思ったのだ。
伶をさらった華族にめぼしはついたものの、決定的な証拠がなく、今は足止めを食らっている状態なのである。告発が目的ではないので、渓都的には構わないのだが、このままでは伶を取り戻せない気はしていた。何か、大切なものを見落としているようで、落ち着かないのだ。彼はこのところ、よく眠れていない。
「ね、雪さぁ。これは例えの話として、聞いて欲しいんだけど」
「はい」
「ひとつの家をのっとるために、当主を誘拐する。すると家の人は騒ぎ出すよね。そんな時に、当主の生き別れの弟が現れたら、どう思う?」
「とても怪しいですね。大混乱になると思います」
少女は淡々と答える。あくまで例えの話なので、遠慮する必要はないのだ。渓都は少女の意外な面に苦笑いをしつつ、言葉を続けた。
「だよね。でさ、もし雪がのっとりを計画したとして、怪しまれずに弟を立たせるには、どうする?」
「――すごく、嫌な話になりますけど、いいですか?」
「うん、どうぞ」
「まず、ほとぼりが冷めるまで、何もしません。そして、家の人があきらめてから、その家の人に言うんです。生き別れの弟がいるそうだが、彼を立たせてはどうだろうか。実は、それらしい人を知っているんだが、と。その場合、私は陵宮の人に信頼されていないとなりません。だから、ほとぼりが冷めるのを待つ間は、あれこれと世話をします。もともと仲がよかったのなら、それでいいんですけど」
「ふうん。けどそれ別に、すごく嫌ってほどのことでもないと思うけど」
言うと、雪はぎゅっと眉間にしわを寄せ、苦い顔になった。小さな灯に照らされ、陰影の濃い光景の中で、なじるように言葉を紡ぐ。
「嫌ですよ、すごく。だって誘拐された当主を、一生帰さないことが前提になっているんですから。このやり方だと、殺したほうが早いんです。でも、生きていればまた何かに利用できる、とも考えているかもしれません」
そこまで考えれば、確かに実に嫌な話だ。雪はまだ幼いといっていいような少女だが、大人に混じっていくつかの仕事をこなしてきたため、さまざまなものを見てきている。その上で思いついた考えならば、子供の言うこと、と捨て置くのはもったいない。
「なるほどねー。確かにそういうやり方もある」
「ええ。それと、この計画を進めるためには、どうしても早いうちに見つかってしまうわけには行きません。見つかれば、いろいろな意味で、全てがぱぁですから」
「そだね」
露見したくない、というのはどんな犯罪でも同様なのだが、重箱の隅をつつくようなまねをして、勇気を出した少女を傷つけはしない。強調すべきことだということを、言いたいのだろう。
やはり、もうしばらく様子を見てみようかと、思いを巡らす。雪の言うようなことが行われているとすれば、向こうからいずれ接触があるはずだ。しかし、彼らの予想もしない計画を相手が立てているとすれば、ゆったりもしていられない。どちらにしろ、ただ手をこまねいて待っている、という姿勢は性に合わないのである。
「あっちには、毒も残ってるかもしれないしなぁ」
「え?」
「あ、いや何でもないよ」