金色の目
彼女はもちろん、恋敵を調べているわけではない。単に誘拐話と関係があるのでは、と考えただけであり、さっそく情報が得られたことに、満足の笑みを浮かべたのだ。そこで、はたと何かに気付いたように目を見開き、もう一度少女に向き直る。
「ね、あの家に今、伶はいた?」
「いいえ。昨日から帰ってないみたい、です」
「そうかい。悪かったね、あれこれ聞いて。さあ、もう行きな。仕事中だろう」
「あっ、そうでした!」
好奇心にきらめいていた少女の目が、すっと真面目な色を取り戻した。慌てて一礼し、踵を返す少女の後ろ姿を見送ると、樹里は一人呟きを洩らす。
「さて、これは何かの役に立つのかね」
肩をすくめ、彼女は本来の目的地である陵宮邸へと向かったのだった。
伯爵宅を訪ねた渓都は、事情を知る召使いに目を剥かれつつも、追い返されることなく客間に通された。来客中だというのでしばらく待ち、また別の部屋へと案内されたことには、首を傾げたが。
幸い、疑問はすぐに晴れることとなる。
「やあ、こんなところで会うとは奇遇だね、渓都君」
「・・・・・・」
「えーと、解るか? 私、和馬の母親なんだが」
「ああ」
とたん納得したように、青年探偵はぽんと手を打つ。忘れられていた美鈴は、苦笑いを見せるのみだったのだが、伯爵夫妻は戸惑いも露に二人の様子を見ている。
「えっと美鈴さん。あなたと渓都君は知り合い、ではなかったんでしたっけ?」
「そうさ。だからこうしてすぐに、思い出したじゃないか。別の奴だったら、もっと掛かるからね」
平然とした答えに、伯爵と夫人は顔を見合わせた。渓都と美鈴は、これまでも数回顔を合わせている。極端に記憶力の低い男も、さすがに相棒の母は覚えていられたようだ。
そんな事情を伯爵夫妻は知るよしもない。あえて説明することでもないため、渓都はさっさと席につく。
「おばさん、伯爵の知り合いだったんだ。ん? それとも夫人?」
「夫人とさ。お互い成り上がり同士、気が合った」
「まあ美鈴さん。あなたはもともと士族ではないですか。それは成り上がりとは言いませんよ」
夫人が話に入ってくる。気を取り直したようだ。
「士族だけど、政治家ではなかったからね。成り上がりっぽく見えるだろ。私より伯爵の方が、よっぽどベテラン風だよ」
「いや何、まだまだです」
渓都は恐縮しあう年長者の会話に耳を傾けつつ、前の事件は美鈴を通せばもっと楽にすんだのではないか、などと考える。知らなかったのだから仕方がないが、例え知っていたとしても、彼女の協力を仰ぐことには和馬が難色を示すだろう。結局、同じ行程を辿ると思われた。
「あ、そうだ。俺ちょっと、二人に聞きたいことあって来たんだ。おばさんがいるとまずいかも」
「何? 仕事の話か」
「うん」
「でしたら、美鈴さんがいらしても問題ありませんよ。伶さんのことでしたら、ご存知ですから」
「あ、そう?」
夫人が思っている『伶のこと』とは違う話になる。解っていたが、美鈴も身内のようなもの。話してもいいか、と渓都はあっさり決めてしまった。
「あのね。あいつさらわれたみたいなの」
ずばり口にすると、場の空気の流れが止まる。そりゃ驚くよね、と思いつつも、気使う様子はなく、夕べ真幸から聞かされた話をし始めた。その間、伯爵夫妻は硬直し、美鈴は額に手をやっている。
「何でまたこう、次から次へと――」
「へ? 何言ってんの。あ、て言っても、誘拐は勘違いかもしれない。まだ要求とか来てないし、師匠の家にいるだけかも」
「いないよ」
妙にきっぱりと美鈴は言う。渓都は怪訝な顔を彼女へと向けた。
「私が今日ここへ来たのは、その師匠からの相談を受けたからさ。娘の男と会うとしたら、どうするべきかって。その顔だと、お前がけしかけてたのか」
「伶の師匠だとは知らなかった。それに、俺は頼まれただけだもん。悪いことした訳じゃない」
「まあね」
苦笑いを浮かべた美鈴を見つつ、渓都は少々意外な気分にとらわれる。てっきり後回しにされていると思った家出娘の話が、予想外に早く進んでいたためだ。
「ともかく、相談は午前中に受けた。普通、客のいる家に友達招いて、そいつが持ってきた話の相談なんかしないよね。客間が使われてる様子もなかったし、ほぼ間違いなくあいつの家に、伶はいないよ」
「そうなんだ。じゃあ、本当にさらわれたのかな」
だとしたら誰に、と考え始めると、やり取りを黙って聞いていた伯爵が、口を挟んでくる。
「あの子を狙う者がいただろう。犯人はその内の誰か、ではないかな。しかし、誘拐となると、目的はなんなのだろう」
「犯人、解るのかい?」
美鈴の問いには、夫人が答えた。
「見当は付きますけれど、これぞという方までは。でも、行動を起こしたのならば、何か出てくるかもしれませんわ。ね、あなた」
「ああ、そうだな」
伯爵はどこかに思いを巡らすかのように、上の空で答えを返す。夫人は夫から、渓都たちへと視線を移した。
「まずは、実際に起こったことを確かめなければ、どうにもならないわね。渓都君はもちろん、協力してくれるだろうけど、美鈴さんは――」
「時雄ってのが伶の師匠なんだけど、そいつがこれ聞いたら、黙ってないだろう。どう考えても放っとけないね。和馬は嫌がりそうだが」
「あいつも後援が掛かってるんなら、さすがに変な意地張らないと思うよ」
渓都の意見に女性の二人は、揃って声を立てて笑う。
明るくなった空気の中、うつむいていた伯爵がふいに顔を上げ、驚いた表情を見せる。だが、笑いに包まれた部屋で、彼の変化に気付く者はいなかった。
二日が過ぎても伶は家に戻らず、さすがに家の方でも騒ぎが起こり始める。念のために様子を見続けていた樹里は、かの家が正式に探偵事務所への依頼をしたことを機に、家から離れることとなった。
変わったことといえばそれくらいで、以後は事態が変化することはなく、ただ時だけが過ぎていっている。
「生きてんのかなぁ、あいつ」
情報交換のために人を集めた事務所で、樹里はポツリとそんなことを呟く。和馬が顔をしかめた。
「滅相もないこと言うなっての。本当になったらやだろ」
「私だって嫌さ。けど、何の要求もないってのが、引っかかってんだ」
「まあ、な」
それは、誰もが首をかしげていることではあった。陵宮家は華族の中でも名家のため、誘拐となればまずは身代金目的、という動機が思いつく。動き出した警察も、その辺りから調べを進めているようなのだが、成果が上がっている様子はない。
「でも死体は見つかってないんだよね。警察から解ることといえば、これくらいかな」
『・・・・・・』
相変わらず、言いにくいことでもずばりという探偵に、兄妹は顔を見合わせる。
「お前なぁ」
和馬は文句を言いかけたが、同時に事務所の電話が鳴ったため、そちらへ移動した。代わりに樹里が渓都につめよる。
「あんたね、そういうこと陵宮の家で言っちゃだめだよ。信用無くすから」
「解ってるって。けど、可能性は考えとかないと」
「そうだけど。正直、ここでもあんまり言って欲しくないよ。私が協力してるのは、生きてるあいつにまた会いたいからだし」
「じゃ、死んでたらどうする?」