金色の目
のんびりとしたひと時を楽しんでいた夜半の真崎家に、珍しく客人が訪ねてきた。人が来ること自体は珍しくもないのだが、こんな時間帯には初めてである。雪が、呼び鈴の音に首を傾げつつ迎えに出る姿を、渓都は居間から横目で見ていた。
うとうととまどろみながら、客の相手は嫌だなぁなどと思う。だが、雪だけに応対させておくわけにもいかない。渋々と体を目覚めさせるため、ゆっくりと伸びをした。軽い足音が近付いて来る。
「あの、渓都さん。お隣のご主人様が、いらっしゃってるんですが」
「真幸? 何だろ」
言いはしたものの、答えを期待しているわけではない。さあ、と申し訳なさそうに首をかしげる雪に、なだめるように笑いかけ、席を立つ。一直線に玄関へと向かうと、少女も慌てて背後に続いた。
「やあ、こんばんは渓都さん。夜分に悪いね」
「悪く思ってるようには見えないんだけど。それで、何?」
隣なのだから明日でもいいだろうに、夜半にわざわざ来るとなると、急ぎの用件なのだろう。少し不機嫌ながらもきちんと応対はする。
「ちょっと厄介なことになったかな、と思ってさ。伝えとこうと思って――あ、いいよここで。すぐに帰るつもりだから」
手荷物を預かろうかと迷う動きを見せた雪に、真幸は笑みを向けた。渓都も後ろを振り返り、ここはいいから、と少女を下がらせる。
「ありがと。やっぱり女の子を不安にさせたくないしね」
「――何かあったの? 雪に関係して」
「違う違う。ただ雪ちゃんは、うちの砂成と仲がいいだろう? だからさ」
「あ、そう」
二人は、雪が上階の自室に戻るのを待っている。扉が閉まる音が届くと、表情は変えぬまま、二人の周りの空気だけが一変した。
自然、低まった声で真幸が、今日ね、と語り始める。
「うちの子が、見たらしいんだ。男の集団が、銀髪で身なりのいい人を連れ去る所を」
「ふうん。で、何で俺にそれを」
「とぼけなくてもいいよ。伶さんの様子は注目してるし、最近探偵事務所に出資したのも知ってる」
訳知り顔で笑う真幸に、渓都は顔をしかめた。言い回っているわけではないのに、どうしてこうも噂というのは広まるのか。知られて困る相手ではないが、いい気分はしない。
「一応、耳に入れておいた方がいいかと思ってさ。現場も貧民街とかの治安の悪いところじゃなく、単に人通りの少ない道路だったらしい。五、六人がかりでやられたみたいだよ」
「ずいぶん派手だね――って、ん? そいつは大丈夫なの? 目撃したお前の子供」
「あはは。心配してくれるんだね。ありがとう。でも大丈夫だよ。一対多数じゃ分が悪いって深追いはしてないし、あっちも早業だったから、声を出す間もなかったんだって。あれじゃ腕に覚えがあったとしても、追えなかっただろうってさ」
さすが砂成、解ってるなぁと悦に入る父親は放っておき、渓都はひとまず胸を撫で下ろす。ろくに面識もないとはいえ、隣人の子供に怪我でもあれば、寝覚めが悪い。
「それってつまり誘拐? 暴行目的じゃなく」
「さあ、そこまでは。ただ、すぐに現場に人をやったけど、襲った男達も伶さんもいなかったよ。見た限りでは、争った後もないようだったし」
「ふうん。別の場所に連れてかれたか、サクっとやってどっかに捨てたか」
「冷静だね、渓都さん。一応後援者だろ」
言われて眉をひそめたものの、渓都が反論しないでいると、さらに男は言葉を続ける。
「状況から、殺された可能性は低いと思うよ。身代金目的とかなら、渓都さんにも依頼が行きそうだし、調べてみるのも悪くないんじゃない。もちろん僕らも、目撃者として協力できるから」
「何で? 急に親切」
「砂成がそうしたい、って言ったからさ」
真幸は少し肩をすくめた。顔は変わらず笑みのままだが、先ほどまでの親バカ全開のものとは、微妙に趣を違えている。
「伶さんのチケットで、雪ちゃんとデートが出来たんだ。借りを返したいんだろうさ」
「あんたの息子って、そんなに雪が好きなの?」
「真顔で言われると、返答に困るなぁ。あの年頃の子供は複雑だから。単に礼儀を気にしてるのか、いいとこ見せたいからなのかは、解りかねマス」
おどけたようなしぐさを見せる真幸に、渓都も微かな笑みを返す。思わず窺った上階からは、幸い物音すらしていない。
「と、まぁ今のところ僕から言えるのは、そんなとこだね。伶さんの家の様子も確認したいんだけど、知り合いじゃないんで、その辺は君にまかせるから」
「ん、解った。はっきりしたこと解ったら、砂成君にも伝えるね。雪から」
隣家の主は声を上げて笑い出した。これまでが低い声でのやり取りだったため、ずいぶんとうるさく感じられる。思わず渓都は、耳をふさいだ。
「そ、それはいいね。子供同士なら、ただのほほえましい交流だ。うん、ちょうどいいや」
「単に、俺が行くの面倒くさいだけだから。あんたの邪推と一緒にしないで」
吐き捨てるような言葉に、真幸はさらに笑い、隣人の肩を親しげに叩くと、風のように帰ってしまった。一応見送る形になった渓都は、ぽりぽりと頭をかくと、中へと戻ってゆく。
「お帰りに、なられましたか?」
笑い声が届いたのだろう、仕事着のままの雪が、階段から姿を見せていた。まだあどけない顔には、ありありと戸惑いが浮かんでいる。
「うん。夜に来て大きい声立てるなんて、迷惑なやつだよね」
「いえ、それは構いませんが――」
彼女の戸惑いは、笑い声のことだけではないらしい。解ってはいるのだが、渓都はあえて言及することはなく、傍らに来た少女の頭をなで、今日はもう休むよう言いつけた。常ならば、互いに部屋に引き上げている時間だったためである。
主が何も言わないため、雪もそれ以上追求することはしない。つくづくよくできた子、と思いつつも、自らの子供時代と比べ、聞き分けのよすぎる少女の応対に、自嘲の苦笑いが浮かんでしまう。
いずれ彼女の将来のことも考えねば、とは思っている。音楽に興味を持っているようなので、その道に進ませるのも悪くはないだろう。そのためには、伶の協力があったほうがいい。
「明日、和馬に聞いてみよ。あいつんちの番号」
悠長な口調である。命の危機はなさそうだ、という判断の元の態度のようだ。切羽詰っていないのならば、体力温存も重要な仕事である。焦っても仕方がない。渓都はいつも通りに、床につくことにした。
翌朝。出勤した渓都は、まず事情は伝えず、和馬に伶の家へと連絡を取らせた。首を傾げつつも、言う通りに伶の所在を聞いた相棒は、こんな情報を伝えてくる。
「どうも、昨日から帰ってねぇみたいだな。師匠の家に行くつってたから、そのまま泊まったんだろうってよ。どうする?」
「あ、じゃあいいや切っちゃって。・・・・・・ふうん、身代金の要求はないんだね。それともこれからなのかな」
「あ?」
電話を切りつつも、背後の声は聞こえたのだろう。和馬は妙なものを見るように、相方を振り返った。
「帰って来なくても怪しまれない時を選んだのか、単なる偶然か。ともかく、少し様子見かな」
「おい、何のこと言ってんだよ。伶がどうかしたのか?」
「うん。何かね、あいつ誘拐されたみたい」
あっさりと発せられた言葉に、和馬の口がぱっくりと開かれる。