金色の目
相方の日常を思い浮かべ、苦笑いが漏れたが、わざわざ伝えたりはしない。母親というものはただの愚痴であっても、我が子のこととなるとやけに気にするものなのだ。これまで放任してきたのも、あまり現状に文句を言わなかったためだろう。美鈴はその言葉で納得したのか、少しだけ笑い当初の問いに答えた。
「あのね、今日は貧民街を見てきたんだ。あの辺は最近、ちょっとずつ整ってきてるからね。物好きな華族の子が建てた学校とかも、今のところ問題なくやってるみたいだし」
「物好きって・・・・・・まあ、いいけどよ」
「けどね、あの町がまた、危なくなりそうなんだよ」
息子の相槌を半ば無視する形で、言葉が続く。茶を一口含んでから、和馬を見つめ直した。
「住民自体に問題はない。でも、無法地帯には変わりないからね。いろんな奴らのはけ口になって、あれこれと利用される。あそこにいる、自衛団って知ってるかい?」
「ああ」
「あいつら、華族だか士族だか、とにかくお偉いさんの息が掛かってるって話だ。貧民街を通じて、いろんな情報を集めてるらしいね。それだけならまだいいんだが、時には住民を拘束したりして、無体を働いてるらしい。力があるから、住民は逆らえない。私らがどうにかしないとなんないんだけど、うまく行かないっ」
拳と掌をぱんっ、と打ち合わせ、悔しそうな母を、息子は笑みとともに見つめていた。常に変わらぬ正義感に、関心する思いと無茶をしそうな予感に、表情が少しだけ苦いものとなってしまう。
「やればやるほど仕事が増えんのが、母ちゃんの職だかんな。けど、くれぐれも一人でつっ走んなよ。同僚とか親父とか、俺らもいんだからな」
「解ってるさ。言うようになったじゃないか」
ニヤリ、と笑みを浮かべあう親子であったが、すぐにふっと真面目な表情になる。美鈴は息子に目をやり、和馬も母を見やった。
「お前こそ、一人でやばいことしてないかい?」
「何のことだよ」
さらりと応じたものの、言葉にはわずかな途惑いがにじむ。何をもって『やばい』と思っているのかが解らないため、慎重な姿勢となるのは仕方がないことだ。
美鈴は肩をすくめると、探るような態度をやめ、素直に問いたいことを口にした。
「ここの事務所に、目をつけてる輩がいるんだよ」
「は?」
「もちろん上の者でさ。はっきり誰、とは特定できないんだが、ずいぶんおおっぴらにやってるみたいだ。たぶん華族だと思うけど、私にも解るくらいだから、そんなに身分は高くないわね」
士族と華族は名目こそ対等だが、起源上どうしても政治では華族が、軍事では士族が力を持つ。つまり、士族の下級階層出身である美鈴には、政界上層部のものとの人脈が、あまりない。そんな状況で彼女に入ってくる情報は、どうしても自分と同等程度の地位からのものが、主となっていた。
「まあ、市民から上がってきた話だ、って言われればそれまでなんだけど、私は信頼できると思ってる。あっちは和馬、あんたのことも知ってるし、不確かなことは言わないだろうさ」
「華族が、市民に解るくらいで俺らを探ってる?」
呟く息子に、肩をすくめていた美鈴が、そうだとばかりに頷く。
「まあ、あからさまみたいだから、平気かとは思ってたんだが、もしややばいことになってないかと思って、ついでに見に来たんだ。その様子だと、心当たりはないみたいだね」
「そうだな。けど、どこで恨みを買うか解らん商売だから、知らず知らずのうちにってのは、あるかもしんねぇけど」
「そんなの、誰だって同じだよ」
美鈴は斜に構えるように鼻で笑うと、息子を見返した。
「一人前に仕事してれば、誰だって恨みくらい買うさ。けど、それを解ってないガキもいる。年や身分に関係なくな。そういう奴らに会ったら――」
「思い知らせてやれ、だろ。もう耳たこで覚えたぜ」
和馬は不敵な笑みを浮かべる。
その言葉は、母が子供達――特に独立した長男と次男に――よく言い聞かせていた言葉だった。付け加えて、思い知らせるときは、自分のみに反撃が集中しないようにに、というものがある。相手については何の言及もしないところが、女性らしい教訓と言えないこともないだろう。
「そうかい。解ってんならいいさ。けど、くれぐれも気をつけろよ。探られてんのは事務所だけど、標的がお前か渓都君かは解らんからね」
「あー。あいつに関しては、保証の限りじゃねぇな」
「あの子も変わらず、根無し草みたいな生き方なのかい。まあ運も力も強いから、どうにかするし、なるだろうけど」
「まあ、今ん所はな」
和馬の口調はやや苦味を含んでいる。それに気付いたのだろう、母親の目が少ししかめられた。
「今はって、何があるのかい?」
「言ってなかったっけか。後援者がいるんだよ。そいつのこと考えると、ちっと渓都の態度はよろしくないんじゃねぇかと思っただけだ」
「後援者? 誰さ、その酔狂な奴。女か」
「何でだよっ」
瞬時に入る突っ込みに、一瞬美鈴の目が丸くなるも、すぐに声を上げて笑い出す。
「ははっ。私は単に、渓都に何かあったら後援者が困る、て言ってるように思えたから、そいつか渓都に惚れてんのかと思ったんだ。でも、違うんだね」
「ったりめーだ。あいつは男だよ。物好きな華族で、生き別れの義弟を探すために、俺らを囲い込んだんだと」
「へえ、弟を。それで渓都君は、共感したって訳か」
「・・・・・・さあな」
先ほどとはまた違った苦さを含み、淡々と言葉を紡いだ。息子の心情を、今度は正確に感じ取った美鈴は、おもむろに口を開く。
「渓都君に、復縁するつもりはないのかい? 相変わらず」
「ああ。向こうからも音沙汰なしのようだしな。清々した、とかって言ってやがる」
美鈴も、息子の友人の事情は知っている。彼女は華族とのつながりもあるので、父親の家を調べてみようかとも思ったのだが、周りから難色を示されていた。
「どうしてそんなに無関心なんだろうね。確かに色々苦労はかけられたろうけど、肉親じゃないか。会わずとも、気にくらいはしてもいいと思うんだけど」
「まあな。けど、現実的に見ると、知ったところで益はねぇし、むしろ損のほうが多い。あっちは兄がいるわけだし、弟が出てきても跡目争いになるだけってことは、目に見えてら。そういう厄介に巻き込まれたくないんだろ」
「そりゃ、そうだけど・・・・・・。そんなこと言ってんのかい、あの子は。冷静すぎやしないか、全く」
ため息をつく母に、和馬は笑った。
「どの家族も、うちみたいにはいかねぇよ。あいつの無関心だってある意味じゃ、優しさって言えるかもしんねぇし」
「そうかな。どうかな」
首を傾げる美鈴も、いたずらっぽく笑い返している。渓都の態度は不可解ではあるが、批判しているわけではないのだ。本人が変わらず健全でいるのならば、それでいい。
彼女は、息子の友人のことを、もう一人の我が子のように思っている。できれば幸せであるように、と願ってもいるのだ。