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金色の目

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 伶の目が大きく見開かれる。唐突な質問だったようで、答えを探すかのように、視線を彼方へとさ迷わせていた。様子を見ていた侍女頭は、硬かった表情を和らげ、小さく笑みを洩らす。
「そうではない、ようですね。でしたら一安心です。旦那様のことは、ひとつの悪例に過ぎません。伶様は伶様として歩んでゆけばいいのですから。この家が平穏に続いてゆくことこそを、皆が願っているのですよ」
「結局そこに行き着くわけか。大体、おまえは何をしに来たんだ?」
「お邪魔でしたら下がりますが、そうではないでしょう? たまには世間話もよろしいではありませんか」
 侍女は主の傍らをすり抜けると、窓を大きく開けた。ゆるい風が吹き込み、二人の髪と書類を揺らす。部屋にこもっていた重い空気が、吹き払われてゆくのが感じられた。
「いい天気だな」
 立ち上がり、伶も外の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
「遠くをご覧くださいませ、伶様。空の上から見れば、私どもの悩みなど小さなものですよ」
 説教じみた言葉も、柔らかな風の中ではさほど不快に感じられない。それが不思議で、伶はくすぐったそうに小さく笑うのだった。

 ここの所、探偵事務所は暇をもてあましている。以前、こういう状況になった時には、頭をひねって無駄を省き、仕事をせっついた。だが後援者のついた今は、気楽なものである。もちろん、後ろ盾に寄りかかってばかりでは腕も鈍り、見限られることにも繋がるため、油断は禁物だ。しかし少しくらいならば、休暇として受け止められる余裕を見せてもいいだろう。
 水道が止められる、家族内の欠食児童に金をせびられる、という心配をしなくてもよい。ストレス解消のための夜遊びでなく、ゆったりと体を休めることが出来るようになった和馬が、事務所の窓辺に座り、くつろいでいた。
「平和だなぁ」
 お茶を片手にそんな言葉を漏らす。今、事務所内にいるのは彼一人きりだ。相棒である渓都は、久しぶりに会った旧友らとの、集まりに出かけている。カップを傾けながら、少し皮肉気な笑みを口元に浮かべた。
「全く、これじゃいつもと逆だよな」
 伶が後援についてから、二人の仕事への姿勢は逆転している。性格に変化があったわけではない。渓都はいつでもマイペースで、和馬は世話焼き気質だ。しかし、そこに伶と後援者という要素が入り込んだことで、状況が変わっている。
 使えるものは何でも使う和馬は気楽になったが、人に頼ることを恥と感じる渓都は、対抗意識を燃やしているらしい。いわく「あんな奴の手を借りなくても、出来るから」だそうである。熱心になってくれるのはいいことだが、出来ればもう少し早くから、そういう気分になって欲しかった。
「しっかし、妙に突っかかるよな、あいつ。別に伶を嫌ってるわけじゃなさそうなのに」
暖かい日差しが室内を照らしているため、独り言でもそれほど空しくはない。応接セットと作業机、大きめの本棚ら家具には、どれも満遍なく光が当たり、やや乱雑な室内の様子を照らし出していた。
これ以上片付けてしまうと、どこに何があるのかが解らなくなってしまう。つまり今の状態が、最もきれいな事務所ということである。
渓都専用の部屋は、さらに散らかっていることであろう。予想はついたが、勝手に片付けるなどということはしない。彼が、自分の領域に無断で手を出されることを、とても嫌っているためだ。
伶を忌避するのもそのせいかと、和馬は一人納得する。本人が決めたこととはいえ、嫌いな華族に頼っているという現状が、気に入らないのだろう。必要以上の干渉を受けぬため、自分の仕事をきっちりとこなそうとしているのだ。
本日の集まりも、ただ旧交を暖めるためだけではなく、仕事のネタがあるらしい。これまでならば、私事に仕事を交えることはおろか、仕事の話でも私事を優先していた男の行動としては、信じられないような快挙である。密かに、悪いことが起こらなければいいが、と思っていることは、本人には伝えていない。
「まあ、熱心になのはいいことだな。ん?」
 窓から見える道に、人影が横切った。特に珍しいことではない。裏通りとはいえ、生活道であるのだから。目に止まったのは、見覚えがあると感じたためだ。どこで見たのかは、思い出せない。
 首をかしげていると、入り口の扉が叩かれる音が聞こえてくる。和馬は、物思いを振り切り立ち上がると、事務所内に誰がいようが彼の役目になっている、客の出迎えを行うことにした。
(渓都のやつは、話を反らしたいときにしか、しねぇもんな)
 心の中で一人ごち、扉を開く。立っていた女性に、接客用の笑顔を見せた。彼女は先ほど見た人影と、同一人物のようである。
「ようこそいらっしゃいませ。何の御用・・・・・・」
「へぇ、ちゃんとやってるじゃない」
 あいさつを遮り、女はずかずかと室内に入り込んできた。あっけに取られながらも、慌てて後を追いかけると、女は部屋の半ばで足を止め、くるりと振り返る。まじまじと和馬を眺めたのち、かぶっていた帽子を取り払った。
 現れたのは、柔らかそうな黒髪と、同色の大きな瞳。目の当たりにした男は、大きく目を見開いて女を指差し、大声で叫んでいた。
「か、母ちゃん!?」
「ははっ、びっくりしたかい。息子にも見破られないってことは、私の変装もまだまだいけるようだね」
 誇らしげに笑ったのは和馬の母、美鈴である。息子の目を欺けたことで、悦に入っているようなのだが、見破ることができなかったのは、変装の巧みさのためではない。単に、こんな所に母親が来るとは思っていなかっただけなのだ。時間を与えられれば、言われる前に気付いたことであろう。
「何しに来たんだよ。仕事は?」
「ちゃんとしてるさ。今は視察中。町を見ておくのも、大事な仕事だろ」
 不満気な息子にいたずらっぽく答え、片目をつぶる美鈴の姿は、士族の下級役人とは思えぬ様子であった。しかし和馬がごまかされることはない。実に胡散臭そうに、母の姿を眺め回した。
「だからって、わざわざここに寄るこたねーだろ。今まで一度も来たことねぇ癖に」
「しょっちゅう来てたら、それこそ問題だろう。サボってると思われるよ」
「うっ。・・・・・・茶しかねぇぞ」
「あら、ありがと」
 あっさりと言い含められた和馬は、母を応接用ソファに導くと、茶を淹れ始める。湯を沸かし注ぐだけなのだが、家では家事などほとんどしないためか、妙に体がこわばっていた。客に出すことなど、これまでも飽きるほどしてきたというのに。
 程なく二つの茶碗を持って戻ってきた息子に、美鈴はニヤニヤしながら礼を言う。向かい側に乱暴に腰を下ろし、和馬は言った。
「それで、今日は何を見てきたんだよ」
「ん。それよりあんた、今一人なの。渓都君は?」
 渓都と美鈴は、互いに噂を聞き会う程度のつながりしかない。仕事の詳細までは知らず、あえて聞くこともしていなかった。困っていなければそれでいいだろうと、余計な世話を焼くこともない。仮にも大人であるのだし、というのが美鈴の教育方針である。
「今はいねぇな。むしろ、あいつは一日中ここにいる方が珍しいくらいだ」
「そうなの。アウトドア派なのね」
「いい言い方すりゃあな」
作品名:金色の目 作家名:わさび