金色の目
なるほど、と呟き渓都は頷く。貧しい家の出身らしいこの少女は、家に来た際、鞄ひとつ分の私物しか持っていなかったのである。仕事中は、用意されている汚れの目立たない服と、白いエプロンを身につけるため、私服を着る機会が少なかった。公共の場所に出てゆけるほどの晴れ着は、持っていないらしい。
「じゃあ、せっかくだからこの機会に一着買おうか。あ、でもどうせなら、ちゃんとしたやつの方がいいよね。作ってもらおう」
「えっ。ですが、そんなにお金は。それに公演の日は来週です。作っていたら、とてもじゃないですが、間に合いませんよ」
「そんなに近いんだ。じゃあ、今回は和馬の妹に借りて、それとはまた別に作りに行こう。あって損はないしさ」
「は、い・・・・・・」
どうしても服を作らせたいらしい。
今後、贅沢をしなければ、安い生地のものを一着作るくらいは、どうにかなる。けれど、主がなぜそこまでこだわるのかが、雪には解らなかった。
大人の渓都にしてみれば、子供への社会教育のつもりである。そもそも育った環境が違うため、理解されにくいようだが。
正装を作ること自体は、体験して損なことではない。認識にずれがあっても、意識をしずらいのは、幸いなことか否か。
次の休みに街へ行く。そんな約束を二人は交わしたのだった。
本日、渓都は珍しく事務所の自室にこもっている。伶との手続きは、和馬と曽馬の手により完了していたのだが、今度は新たな依頼を説明する、という仕事ができていた。
部屋を出てきた渓都は、兄弟を見下ろして、彼らのいる机の前にぽんと紙束を放り出す。
「これ、伶からの依頼の資料。こいつを探して、様子を知らせて欲しいんだって」
「っておい、なんだよ急に」
ひとごこちついて、ゆっくりお茶を楽しんでいた和馬は、唐突な相方の行動に目を白黒させる。だが、そんなことは日常茶飯事でもあるため、すぐに放り出された資料に手を伸ばした。この程度の奇行で文句を言っていては、渓都の相棒などやってゆけないのである。
「新しい仕事? そういや伶って前ぶっ倒れたよな。あれはもう大丈夫なのか?」
曽馬に問いかけられ、思い出したかのように手を叩いた渓都は、軽く眉をひそめてこんなことを言う。
「そういや毒盛った相手も、まだ解ってないんだよね」
「伯爵が、調べるとか言ってたぜ。罪滅ぼしのつもりかね」
資料をめくりながら、和馬はのんびりとした口調だ。残った二人はそれぞれの方法で、驚きを示す。曽馬は大きく目を見開き、渓都は首をしげた。
「初耳。言ってたっけ、そんなこと」
「おめーがいない時にな。こないだ母ちゃんの手伝いで、資料集めに公立図書館行ったら、伯爵に会ったんだ。したら、向こうから言ってきた」
「母ちゃんいたのか? だったら驚いてたろ」
弟の言葉に、和馬は大きく頷きを返す。
「おお、あっちは俺のこと平民と思ってたみてぇだからな。冷や汗かいてかしこまってやがった。まぁ、士族つっても生活は平民と変わりねぇけどな」
わはは、と屈託なく笑う相方を軽く無視し、渓都が口を挟む。
「それで、伯爵は何だって?」
「お、積極的じゃねぇか」
「ちゃかさないで。こないだ雪に、コンサートチケット貰っちゃったんだもん。さすがにのんびりとしてらんない」
顔をしかめてはいるが、言葉に嘘はない。それなりのやる気は持っていた。プレッシャーとまではいかないにしても、自身の小間使いを気にかけた後援者に、責任感を持ち始めた、ということなのだろう。渓都個人としても、伶を放っておけない、という思いはある。
「へぇ。こないだの樹里といい、あいつ変わらず律儀だよなぁ。で、伯爵のことだけどな、夫人の人脈も使って、例のパーティの参加者から、怪しそうかつ毒を入手できる経路を持つ奴を、探ってるんだと。今はまだ結果は出てないが、何か解ったら言ってくれるらしいぜ」
「伯爵って、凛の雇い主だろ。大丈夫なのかよ」
「平気じゃねぇの。伯爵だって新興とはいえ華族だ。いい年も行ってっし、ある程度の引き際は心得てんだろ。ちっと心配しすぎじゃね、おにーちゃん」
からかいの目を向ける和馬は、曽馬が顔をしかめるのを、面白そうに眺めていた。はたから見る渓都にしてみれば、曽馬も和馬も、下の兄弟に対する心配具合は大差がなく見える。つまるところ、全体的にこの一家は家族思いなのだろう。
一家の様子に時折羨望を覚えつつも、決して表に出すことはなく、探偵は話を続けた。
「あっちは協力してくれるってことだよね。じゃあ、こっちも少しは何かしといたほうがいいかな。前みたく、張り付いているわけにはいかないけど」
「んだな。時々様子でも見に行かせるか」
「樹里に?」
和馬はきょとんと目を瞬き、首を傾げて答えて見せる。
「樹里かぁ。あいつ慣れちゃいるが、若い男んとこ通うのを後押しすんのもなぁ」
「気にしすぎだよ兄貴。姉気にその気があったら、とっくに一人で通ってるさ」
「そういう問題か?」
どうやら伶と樹里が親しくなった、ということは庵一家には公然の事実らしい。けれど伶の先日の様子からは、気の合う依頼人と雇い主、という以上の進展があったようには思えない。渓都は、曽馬の意見の前半にだけ頷くことで賛成した。
「ち、解ったよ。家のことも知ってっから、樹里に任せっか」
「それと人探しの方も、ちゃんと見といてね」
「へいへい」
資料をめくる手の動きを再開した和馬を見つつ、彼の弟は渓都を見上げる。
「そーゆーお前はちゃんと見たのかよ。いくら忘れっぽいとはいえ、ライフワークなんだろ?」
「だいじょーぶ。情報少ないし、そいつの状況ちょっと俺と似てるから、忘れようがない」
「え?」
曽馬は目を瞬かせるが、同じように聞いているだろう和馬は、資料から目を離さない。見にくいのか眉間にしわがよっていた。渓都は肩をすくめてみせる。
「二十代前半の男で、妾の子。母親が商売に失敗して没落。ついでに死んでる。本人は家をひとつ譲り受けてる」
「なら、その家が解りゃ、見つけられんじゃねぇの」
曽馬の疑問には、資料を見続ける和馬が答える。
「そうもいかねーんだと。家の譲渡は裏でしたんで、資料が残ってねぇらしい。手続きも、その時限りの仲介人にやらせたとか。おまけに記録も残ってないんだと。よっぽど露見したくなかったのな」
「どこの家でも同じだね。捨てるんなら、初めっから外になんか手を出さなきゃいいのに」
「全くなぁ、男の業って言やそうだが、あんまりにもあんまりだ」
「だよね」
他人事のように語り合ってはいるが、渓都も和馬も身につまされる覚えのある話題だ。渓都は妾の子であるし、和馬も以前、同時に二人の女性と付き合い、ひどい目に遭っている。曽馬は冷めた目で、そんな兄を眺めていた。
「けどなぁ、こいつあんまりにもお前と似すぎてねぇ? こいつ調べるより、お前の父親をちゃんと調べたほうが早いんじゃね」
「冗談やめてよ。バカ親父とこれ以上関わりたくない。伶と異母兄弟なんて鳥肌立つし」
「へいへい、解ってるよ」
口調が凄みを増した渓都に、その相棒は相変わらずだな、と肩をすくめる。
「ま、ともかくこいつは了解したから。おめぇも早く、書類片しちまえよ」