金色の目
遠慮すんなよ、と言われたものの、忙しなく動く手を見ていると、目的を告げることはためらわれる。そもそもここへ来ること自体、二の足を踏んでいた。助けを欲していることは確かだったが、口にする気は失せてしまっている。用件はごく個人的なことであり、プロの手を煩わせるほどのことでもない。
伶は笑顔を作ると、内心をごまかすことにした。
「いや、作業の具合はどうかと様子を見に来ただけだ。私の方では、そういったことは外に任せているので、様子が解らんからな。邪魔をしてしまったようだ」
「んなこと、気にすんなって。むしろ客が来れば、気分転換にもなるしな」
乱暴な言葉遣いで、にっと笑う和馬は子供のように見える。伶は小さく笑みを浮かべた。
「そうか。ではこの土産で一休みしてくれ。私はもうお暇するとしよう」
「え、わざわざ悪いな。どうせだったら、お前も食ってけよ」
渡された高級菓子に、曽馬は目を白黒させる。彼らの誘いを断り、暇を告げ、伶は事務所を後にした。行くあてはないものの、家にも戻れない。あてを全て潰された伶は、仕方なく探偵の家を目指した、というわけだ。
現在、目の前にしている家は、静まり返っている。追ってくる者もいないが、迎えてくれる者もまたいはしない。青年華族は扉をにらみ、しばし思案していたが、諦めたかのようにため息をつく。
「待つか」
一言呟くと、玄関前の石段に、ゆっくりと腰を下ろした。人が来たらすぐに立ち上がれるよう、足元を整える。
風がふわりと流れ、彼の前髪を舞い上げた。感触がくすぐったく、薄い唇に笑みが浮かぶ。
人は笑うと魅力が増すものだが、それはこの青年華族にも当てはまる。そもそも整った顔立ちが、笑うとますます美しく見えるのだ。長い髪もあいまって、女性のようでもある。
周りに人がいなかったのは、幸いなことかもしれない。好みの者が見たら、女性だけでなく男でも惑わされてしまう恐れもあるのだ。本人にも周りにも不幸なことであろう。相手が男であれば、なおさらだ。
今回、彼が抱えることになった小さなトラブルも、この人を誘惑する樹木の精もかくや、と思われるほどの外見のためであった。
(なぜ、こうも俺に構ってくるのだろうな、あの人は)
当の本人には自覚は全くないようである。いくら秋波を送られようと、さりげなく接近されようと少しも気付かない。外見を飾ることもしなければ、わざと崩すこともなく、いつでも自然体だ。作られた美しさに慣れた、上流階級の娘たちの目に留まり、市民には親しまれているのもそのためであろう。
鳥が一声高く鳴き、近くの木が揺れる。ため息をついていた青年も、わずかに目を細めた。どんな時でも自然の営みというものは、人の心を和ませる。
内に向けていた気持ちを外に向けた伶の耳に、ふいに機械的な音が入ってきた。とっさに立ち上がって音源を探ると、音はみるみるうちに近付いてくる。隣家の玄関で止まったようだ。
「いえ、大丈夫です。本当にありがとうございました」
やけに大きく響いたのは、上ずった少女の声。次いでやわらかい女性の声と、口調から少年と解る、声変わり前の子供の声が届く。はっきりとした内容までは、聞こえてこない。
「はい、ではまた」
頭を下げるような音とともに、再びの機械音。じっと息をひそめる伶には、ほどなく消えたその音にかぶり、軽い足音が近付いてきていることが解った。
足音は焦っているかのようで、どこか忙しがない。荷物を持っているのか、ただ歩いているにしては不自然な音もしていた。伶は思わず門へと足を進める。
「きゃっ。え・・・・・・」
門に手をかけた少女は、庭にいた青年の姿に、小さく驚愕の悲鳴を上げた。だがすぐに、訝しげな様子に変わる。青年がゆっくりと笑い、丁寧に頭を下げたためだ。
「勝手にお邪魔して、申し訳なかったね。私は伶と言う。あなたの主人の、その、知り合いだ。彼に用があって来たのだが、誰も居なかったので、待たせていただいた」
「あ、そうでしたか」
再び、申し訳ないと頭を下げられた少女――雪は、ようやく門を開けて中に入る。客人に一礼してから脇をすり抜け、玄関扉に手をかけた。伶が傍らに立つと、早口に言葉を紡ぐ。
「申し訳ありません、外に出ておりまして。それに、主人はまだ戻っておりませんが」
「ああ、いいよ謝らずとも。突然来たのは私だし、事務所にいなかったで、ひょっとしたらと思っただけだから」
「え」
少女の瞳に、一瞬だけ不安の影がよぎった。目を留めた伶は、まずかったかと焦るが、言ってしまったものは取り消せはしない。
「おそらく、どこかに遊びに出かけているのだろう。昨日まで関わっていた仕事に、区切りがついたと相方が言っていたからな」
「和馬さんが、ですか」
ほっとする少女の手の中で、扉の鍵が音を立てて外される。荷物を持った両手で開くと、ふいに扉と片手から重さがなくなった。
「あ」
「持とう。どこに置いてくればいい?」
「すいません」
空を切った手と客人を見比べ、照れ臭そうに頭を下げる。素直に親切を受け入れたのは、隣家とのお茶会に雰囲気にあてられ、すっかり疲れてしまっていたためであった。
もちろん伶に、そんなことは解らない。ただ自分の屋敷よりは小さく、けれど平民が持つには大きめの家と、目の前の小さな小間使いを、興味深そうに見比べていたのだった。
買ったものを片付けたのち、急いでお茶の準備をする。それらを携え、主の客を通した応接間へ赴いた雪は、銀髪の青年が席を立ち、部屋をまじまじと見回している場面に出くわした。驚きつつ中に入ると、気付いた客は視線を向けてくる。
「いい部屋だな」
と笑った。
「飾りは少ないが、きちんと整頓されているし、汚れもない。端々まで目が行き届いている。いい仕事ぶりだ」
最後の賞賛は、この部屋を整えた者、すなわち雪に向けられている。誉められたと気付いた少女は、照れ臭さと仕事を認められたことへの誇らしさで、体の表面を真っ赤に染め、うつむいていた。
「お、畏れ入ります」
「家のことは、君が一人でやっているのか? ええと」
「雪、と申します」
名を尋ねられるのは本日二度目だったが、今回は名前のみを名乗る。相手が上流階級の者であると、敏感に感じたためであった。普通、位の高い者は、庶民にあまり興味を持たない。隣家の子供とは違い、必要以上のことは伝えても意味がないだろうと思ったのだ。
「雪か。きれいな名だな。私は伶。時々間違われるのだが、れっきとした男だからな」
「っぷ・・・・・・すいません。いえ、大丈夫です、解ってますから」
思わず吹き出してしまったのは、伶の表情があまりにも真剣だっためである。この出来事は少女の緊張を解き、普段の気分を取り戻させるきっかけとなった。落ち着いたしぐさで専用テーブルへ行き、持ってきたお茶を淹れると、席に戻った伶に差し出す。
「ありがとう」
にっこりと笑って一口含んだのち、彼は改めて少女を見上げた。
「おいしいね。これは外国のお茶だが、前から知っていたのもなのか?」
「いいえ。この家で始めて見ました」
「ここに来て、どれくらいだ?」
「一月ほどです」