金色の目
「そーかそーか。しっかりとした雇い主で、嬉しいぜ。んじゃ、ちっとそこに座って待ってな。今、渓都呼んでくっから」
「ああ」
忙しのない和馬に言われるがまま、応接用のソファに腰掛けた伶は、不思議そうに首をかしげる。なぜ渓都の姿がないのだろう。別の仕事でも入ったのだろうか。だとしたら気にはなるが、早めにお暇した方がいいだろう。
一瞬で考えをまとめている間に、斜め後方に使いの男が移動する。彼は護衛も兼ねているため、いつでも動けるように、座ることはしないのだ。
(護衛、か)
伶は今朝方、探偵事務所からの伝言を伝えに来た、樹里のことを思い出す。彼女は、連日の野宿にも疲れた様子は見せなかった。言うべきことを言ってしまうと、もはや自由だ、と言わんばかりに去ろうとしたため、慌てて引き止める。労いとボーナスの贈り物を渡し、食事に招くためだ。
「いいよそんなこと。家の人が目を丸くする」
一度は断られたが、前言を翻すことは自意識が許さない。きちんと護衛として紹介すると説得し、どうにか同じ食卓につくことに成功した。帰りがけには、家の中にある装飾品から好きなものをひとつ選んでもらい、直接手渡している。
我ながら強引だったか、とも思うのだが、こうでもしなければ特別な報酬など受け取らなかったろう。のちにとなると、家族や仲間間での亀裂の元となってしまうかもしれない。それを避けたいという思いもあった。
ぼんやりと回想をしていると、奥の扉からなにやら騒がしい音が聞こえてくる。すぐに止んだが、しばらくして、覇気のない渓都が和馬とともに出てきた。
どうしたのか、と首をかしげる伶だったが、金髪の探偵があふ、とあくびを洩らしたことから、だいたいの事情が推測できてしまう。
(寝ていたのか。呼び出しておきながら)
眉をひそめていると、和馬が慌てて手を上げた。
「悪いな。こいつ気ぃ抜けまくっててよ。ったくこれから俺は用がある、つってんのに寝てやがんだから、嫌になるよ」
「解ってんなら起こしてよ。ぎりぎりまで放っとくんだから、文句言えないと思う。俺が寝るのなんて、いつものことじゃない」
「開き直るんじゃねぇよっ」
「あ、痛」
相棒に殴られた渓都は頭を押さえ、恨めしそうに相手を見る。和馬は、そ知らぬ顔で、堂々と渓都を押しやった。
「ほれ、んじゃあ俺は出るからな。あとしっかりやっとけよ」
「あ、あの和馬殿も」
報酬を、と言い終える前に、忙しそうな男はあっという間に出て行ってしまう。後には、行き場なく手を伸ばす伶と、めんどくさそうな渓都と、黙ったままの召使いが残された。
「とりあえず、座ったら?」
残された者のうち、唯一のもてなし役である渓都は、どうでもよさそうに、依頼主に言葉をかける。言われた側ははっと我に返り、取り繕うように音を立てて座りなおした。
「ところでさ、そいつ誰?」
「私の連れだ。我が家で働いている」
召使いを目で示した上での当然の疑問に、伶は澱みなく答える。常識的な疑問にほっとしていることには、本人も気付いていないようだ。
「今日は報酬を持ってきたのでな。念のため、ついてきてもらった」
応じるように頭を下げた男から、伶は袋を受け取ると、渓都の前に差し出す。
「これだ。金額をはっきりとは言われなかったので、俺の裁量で決めたが、大丈夫だったか?」
「んー。いいんじゃない、別に」
袋をちらりと見ただけでの返答に、思わず眉をひそめる。やはり和馬がいるうちに、話をしたほうがよかったのではないか、とため息をついた。はなから渓都は、報酬にあまり興味はないらしい。それよりさ、と依頼人に身をかがめる。
「どういう顛末になったか、聞いた?」
「樹里殿から、大まかには。伯爵と夫人の仕業だったのだろう?」
「うん、そう」
頷くと渓都は、先日伯爵夫妻と交わした会話と、起きた出来事を話して聞かせた。難点はあれども、プロである渓都の話し方は、早すぎず遅すぎず、解りやすいものである。気付くと伶は聞き入っていた。
「そんなわけで、お前が公にしないって約束で、あっちとは和解した。文句ないよね」
「ああ。こちらとしても騒ぎ立てるのは、遠慮したいしな。聞いた限りでは、俺にも原因があるように思える。ご婦人との付き合い方には、注意しなければ」
「だね。たとえば樹里とか」
伶は、きょとんと目の前の男を見やる。そうして少し途惑ったように、顔を赤くさせていった。
「樹里殿には、なんらやましい思いは抱いておらん! ただ、特別に労うために、食事に招待し、家にある貴金属を送っただけだ。それ以外には何も・・・・・・って、何だその態度は」
「えー。いや、それで何にもしてないつもりだったんなら、誤解もされるだろーなー、って思っただけ」
「何ぃ?」
片手で額を押さえ、天を仰ぐ姿勢でため息をついた渓都に、伶は心外、といった顔を向ける。
「樹里殿に特別報酬を与えろといったのは、お前ではないか。その通りにして、何が悪い」
「別に悪くはないよ。やり方は誉められないけど、樹里だったら勘違いすることもないだろうし。ただ今後は、そういうことしない方がいいと思うよ」
「余計なお世話だ」
ばっさりと切って捨てる伶を、呆れながらもまぁ、こいつならそう言うだろうな、という様子で渓都は眺める。
ふいに、依頼人についてきていた男が、主の肩を叩いた。伶は振り返る。
「伶様。本題をお忘れなきよう」
その言葉は、彼の怒りを解くには抜群の効果を発した。みるみるうちに真剣な表情に変わる様子に、渓都も何事かと気を向ける。
「実はな、今日ここへ来たのは報酬を渡すためだけではなく、相談をしに来たんだ」
「相談って、俺に?」
「ああ」
渓都は戸惑いの表情を見せた。なぜなら彼は、人から相談される、という機会がめったにないためである。自他共に認識している事実であり、これまでの人生でも、彼が相談を受けたことはほぼない。あるいはあるのかもしれないが、基本的に他人のことはどうでもいい渓都が、忘れてしまっている可能性もある。
そんな乏しい記憶力でも、今現在こうして探偵行を続けていられるのは、和馬の功績が大きかった。人当たりがよく常識的な和馬と、人にない感性を持つ渓都。二人がいることで、この事務所は小さいながらも成り立っているのである。
まさか自分に相談話が舞い込んでくるなどとは、予想もしておらず、珍しく渓都は口ごもる。伶は一切構わずに話を続けた。
「お前と始めて会った時、私は貧民街にいただろう? 実はあの時、伯爵夫人との事業で知り合った、情報屋を訪ねていたんだ」
「へえ、そうなの。ふうん」
動揺をごまかしつつ、だからどうした、とでもいう風に、渓都は相槌を打つ。
「そもそも俺が慈善事業を始めたのも、一般市民とのつながりを持ちたかったためでな。人を探すために」
伶は、相手の出方を窺うような視線を向ける。対抗意識を燃やされた探偵は、戸惑いを忘れ、しばし自身と同色の目を見つめ返した。
「人探しって、誰を?」
問いかけると、ふっと視線が緩む。ためらうかのような、戸惑いを含んだ瞳は、どこか女々しい。
「弟だ。腹違いの」
堰を切ったように話し出す。