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金色の目

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 夫人は目を泳がせ、ためらいをみせた。視線は暴れまわる渓都と、必死な様子の凛を行き来するばかりで、夫に向かおうとはしない。
「でも、じゃないです!」
 苛立った少女は、声を荒げた。
「このままでいいんですか、旦那様に誤解されたままで! ずっと仲直りできないままで!」
 驚いたような顔を見せた夫人だったが、すぐに目が覚めたように顔を上げ、ようやく伯爵の顔を見る。瞳には切なさ、怒り、愛しさなどさまざまな感情が行き来していた。喧騒が続く中、静かな湖面のように落ち着いた色へと、変化してゆく。
 す、と優雅な足取りで夫人は歩を進めた。妨害が入らないよう、しかし邪魔にもならぬよう、注意しながら凛も後へと続く。
「あなた」
 伯爵の前に進み出ると、静かに夫を見上げた。彼は眉をひそめたものの、避ける様子もなく妻を見下ろす。後方には、逃げ道をふさぐかのように和馬がたたずんでいたが、そのことにも気づいていないようだった。
「愛しているわ」
「は?」
 目を見開き固まる体に、夫人は腕を回す。
護衛の男を殴り倒した騒音を最後に、室内には静寂が満ちた。
「あれ、ええと、どうなったの?」
 勝者である探偵の声だけが、間抜けに部屋に響く。被害は彼と護衛が暴れたことにより、部屋が乱れた程度で済んだようだ。

 屋敷の召使いで、騒ぎに気付かぬものはいなかったろう。皆からあれこれ聞かれそうな予感に、わずらわしさを感じた凛であったが、ぎこちなく話し合いを始めた夫妻を見る表情には、笑みが浮かんでいた。
 話し合いには、渓都たちも立ち会っている。というか、騒ぎを起こしたその場で行われたため、嫌が応にも目に入ってくるのだが。
 腕を放し、呆然とした表情を見せる伯爵に、夫人はまずわびの言葉を口にした。
「ごめんなさいね」
「な、何を」
「あなたの心を騒がせてしまったこと。もう、愛人騒ぎは起こさないって誓ったのに、誤解させるような行動をとってしまって」
「誤、解?」
 呆けていた表情が、疑わしげなものへと変化する。
「何もなかったというのか? 全ては私の勘違いだと」
「少しも心が動かなかったといえば、嘘になるけれど」
 夫人はひらめくほどの一瞬、笑みを浮かべ、すぐにそれを収めた。真剣でいて、どこか相手の哀れを誘うような表情で、まっすぐに夫を見据える。
「あの子、伶はかわいいし、魅力的だしね。――子供がいたら、こんな感じなのかしらって」
「っ、お前」
 わずかにたじろいだ伯爵に、夫人は笑いかけた。瞳がわずかに潤んでいる。
「子供ができないのは仕方がない、そういう宿命なんだって、ずっと自分に言い聞かせてきた。でも年の近い女性と会うたび、年配の方と会うたび、いたたまれなかったのよ。家にいても気が塞いで、だったら慈善事業にでも没頭しようって思うと、その相方に心が向いてしまうのね」
 寂しげに微笑む様子に、伯爵はいたたまれないような様子で、両手をさまよわせていた。
 夫婦の様子を眺めていた渓都は、なるほどね、と相棒に肩をすくめてみせる。和馬はからかうような視線を返した。二人は共に独身で、今は特定の恋人もいないため、夫婦のような悩みには縁がない。それ以上に、子供ができない者の気持ちなど、若い二人に共感は難しかったが、もの悲しい思いは、夫婦以外の全ての者にも、共感できる感情であった。
部屋には、途惑いつつも温かく見守る、という雰囲気が満ちている。
「後は、あの二人の問題だよな」
「うん。けど、やるべきことはやっとかないと」
 渓都は一歩夫婦へと近付いた。夫人が顔を上げたことに反応し、伯爵も探偵へと視線を向ける、わずかに顔をこわばらせた。
「さっきも言ったんだけどさ」
 反応には構わず、淡々と自身の役目を果たす。
「俺らは伶に雇われたもんなの。だから、あいつに手を出さないって言ってくれるんなら、今後あんたらには関わらない」
 首を傾げて返答を促すしぐさを見せると、夫人はしっかりと頷いた。伯爵自身は少々疑わしそうな顔をしている。しかし、すぐに現在の状況に思い至ったのだろう。真剣に考える表情に変わっていった。
「あの男の、手飼いのものか」
「いや、違」
「そう考えてもらってもいいぜ」
 遮られた渓都は不満気な表情を見せるものの、和馬の言うに任せている。伯爵は言葉を続けた。
「嫌がらせを、訴えると? それともここで手を引けば、なかったことになるとでも言うのか?」
「あいつとあんたは、政敵でも何でもねぇし。日常をかき回すのを、勘弁してほしいってだけだとよ。まあ、毒はいただけねぇがな」
「――毒?」
 再び呆けた様子を見せる伯爵に、渓都は眉を寄せる。夫人も、夫と探偵を見比べ、ずいぶんと慌てていた。
「あいつ、遊園会で毒盛られたんだけど・・・・・・あれって、あんたの仕業じゃないの?」
 問いかけると、焦ったようにとんでもない、と首が振られる。
夫の様子を見て、安心したのだろう。夫人はひとつ息をついてから、考え込むような表情を見せた。ややあってまっすぐに、探偵達を見る。
「あの子は敵を作りやすいから、その関係の人じゃないかしら。私も時々、嫌がらせのようなものに巻き込まれたこともあるし」
「何っ? お前、そんなこと一言も」
「言って聞く耳を持てたかしらね。ともかく、そのせいもあって、最近はあの子に会わないようにしていたの」
 お仕事にもけりがついたしね、と笑う夫人を、伯爵は複雑な表情で眺めていた。
 渓都に殴り倒されていた男が、うめきながら起き上がろうとしている。気付いた凛が、慌てて駆け寄り手を貸した。
伯爵が表情を引き締める。真剣な様子になり、渓都ら外からの客を見つめた。
「言い分は了解した。妻がこれ以後、かの華族に手を出さないという以上。私ももうかまいつける理由はない。これでいいか」
「伶は納得するだろうぜ。後は、あんたがしっかり奥方を捕まえてりゃ、済む話だ」
 肩をすくめながらの和馬の言葉に、伯爵夫妻はきょとんとした顔を見詰め合う。そして、互いに笑みをこぼしあったのだった。

 あくる晴れた日、伶は珍しく車を使い、召使いを伴って外出をした。普段、車も供もつけずに出掛けるのは、必要がないためである。徒歩に固執する理由はなく、招待に応じる時などは、身ひとつでは逆に失礼にあたるのだ。
 今回の外出は、招かれたものではない。呼び出しは受けたものの、相手は市民の探偵だ。依頼完了の報告らしいということも、解っている。となれば、それほど気を使う必要もない。車を使ったのは、単に大量の金を持っているための用心だ。完全に伶の都合によっている。
 一度だけ赴いた裏路地に、車は入れない。近くの預り所に車を停めさせ、細い路地に入る。共にいるのは、がっしりとした体格を持つ若い――しかし伶よりはいくつか上の――男であったため、荷物を持たせた。人に渡す予定の金を、うかうかと掏られてはたまらない。
 日影になっている、しかし暗い雰囲気はない入り口の、木製扉を叩く。押し開けると、中からは陽気な声が聞こえてきた。
「よう、来たか。っと、一人じゃねぇのか」
「任務終了と聞いたのでな。報酬を持ってきた。一人では万が一ということもあるので」
作品名:金色の目 作家名:わさび