金色の目
「本気で心配してたから、冗談じゃないだろうなって思った。見つけた人は知ってるんで、すぐに確認できるよ」
「つまり、この屋敷内には証拠がわんさかあるってことだね」
「どっちかつーっと証言だな。捕まえるとなると厳しいが、隠蔽するにはいい状況だ」
交わされる会話に、夫人はきょとんと仲のよさそうな三人を見つめた。内容の真剣さのわりに、穏やかな雰囲気であることが引っかかったようである。
「訴えなくて、いいの?」
「伶がそれを望んでるからね。依頼人が言うなら、俺らは従うよ。その代わり、あんたにはきっちり旦那さんを抑えてもらうけどね」
渓都はふてぶてしいような表情で夫人を見据えた。金の目は、彼女の価値を見定めているようで、見るものを落ち着かない気分にさせる。しかし夫人はまっすぐに見つめ返し、挑むかのように胸を張った。試すのならば受けて立つ。こちらには後ろめたいことなどないのだから、とでも言うように。
「私の家のことだもの、当然ね。この程度を片付けられなくちゃ、伯爵家の女主人なんて、やっていられないわ」
「それと、片付けた後のこともちゃんと考えてな。また浮気心を出すと、今度は示談じゃすまねぇかも、だぞ」
「解ってるわよ、注意する」
和馬の言葉に、少々むくれた様子を見せる夫人だったが、瞳には決意の色が宿っていた。自らよりも若い、未来ある男女を大勢巻き込んでしまったことが、浮き足立つ心に、重大さを実感させたらしい。もはや、彼女と夫だけの問題ではなくなっているのだ。
「きちんと夫と話し合って、お互いに行き違いを正すことにするわ。これでいいでしょ?」
「そうだな。それで伶への嫌がらせが止めば、俺らもあんたらには関わる理由はなくなる」
「がんばるわ。あなたたちの商売の片棒を担ぐみたいだけど、お互い様な部分もあるし」
話がまとまってきたなと感じた凛が、外へ出るタイミングを図るため、扉に近付く。外に意識を向けると、どこからか足音が耳に届いてきた。彼女は息を呑む。
「あっ」
「どうした、凛」
兄の問いに答えるよりも早く、大きくなった足音は、勢いよく部屋の扉を開いていた。
「だ、旦那様」
「あなた」
鼻息も荒く室内に入ってきたのは、当家の主である伯爵である。彼は夫人と同い年なのだが、負う責任により身についた威厳で、いくらか年上に見えた。明るい茶色の瞳には、似合わぬ剣呑な感情が浮かんでいる。部屋を見回すと、鋭い口調と歩調で夫人に詰め寄った。
「どういうことだ、これは」
「あなた。この人たちは」
「ついに家にまで連れ込んだか、この恥知らずめ! 気付かれないとでも思ったのか。それとも見逃すとでも? 亭主を侮るのも、たいがいにしろ!」
伯爵は渓都を指差し、声を荒げている。部屋には和馬もいるわけだが、全く目もくれていない。彼にはその原因が推測できた。この男は、伶のことを探る上で、渓都のことも調べ上げたのだろう。真幸の家を通じて。
「違うわよ、あなた! この人たちは今日始めて会ったのっ。私達のために来てくれた、探偵さんよ」
「やかましい! お前は男に流されすぎなのだ! 熱を上げた時は、毎回そんなことを言っているではないかっ!」
思い当たる部分があったのか、夫人は息を呑んで目を逸らす。伯爵も興奮しているため、夫婦だけで事態を収拾することは、難しそうだった。初めて夫婦のケンカを目の当たりにしたらしい凛は、縮こまっている。渓都がイスから立ち上がった。
「ちょっとあんた、そんくらいにしなよ。仮にも奥さんなんでしょ。話くらい聞いてもいいじゃない」
「キサマは黙っていろ、若造めが」
切りつけるような口調の伯爵に眉をひそめつつ、仕事であるため言葉を続けようとする。彼は気が短いが、我を忘れるほど逆上することはまずない。面倒だと思うと、すぐに放り出してしまうだけだ。
そのことをよく解っている和馬は、部屋の隅ので状況の推移をうかがっている。いざとなれば自分が事態を収拾しようと、策を練っているのだ。
「若造って、あんただって十分若いじゃん」
「そんな話はしておらんっ。ふざけるのもたいがいにしろっ!」
「別にふざけてないよ。だいたい、人をガキ扱いするんだったら、そのガキにマジギレしてるあんたは、何様のつもりなの。奥さんの目の前でさ。かっこ悪いって思わない?」
「っな!」
「あ、そっか。だから奥さんも嫌になっちゃって、外に出てくんだよね。ま、しょうがないか、こんなの相手にしてたら」
みるみる顔を赤くしていった伯爵の、堪忍袋の尾はここでついに、ぶつりと切れてしまった。
渓都に向かい手を振り上げる。けれど相手は、貧民街で腕を慣らした男。あっさりとかわし伯爵にたたらを踏ませた。勢い余った彼は、イスごと倒れ、部屋には破壊的な音が響く。
「旦那様っ!? 渓都!」
凛の叫びに、夫人は少しだけ顔を青ざめさせた。渓都と和馬は平然としたままだったが、伯爵は顔を紅潮させている。ゆっくりと立ち上がり、殴り損ねた男をにらみつけた。
彼は何かを言おうと口を開く。その時、遮るかように、外から数人分の足音が聞こえてきた。扉の近くにいた凛は、荒々しいその音に、思わず扉から飛び退る。
「旦那様! っこれは、一体」
叩きつけるように扉を開き、入ってきたのは伯爵の護衛の男たちだ。彼らは一目で、大まかな状況を見抜いたらしく、よそ者の渓都へと鋭い目を向ける。
「へぇ」
敵意に気付いたらしい。渓都は、面白そうに笑うと、男たちに挑発的な視線を送った。細い見た目に似合わず、彼はケンカっ早い男であり、特に強い相手と闘うことが好きなのである。浮かべた笑みの意味を正確に受け取った護衛は、主である伯爵を背後にかばった。
「何者だ」
「あんたの主人夫妻を、助けに来たモンだよ。けど、こいつがわめくから」
「何だと!」
噛み付く伯爵を、護衛の男が抑える。彼と渓都の間には、静かな火花が散っていた。
冷ややかな空気があたりに流れる。誰も口を開くことができなかった。何かをすれば事態は動く。下手をすれば、収拾がつかなくなってしまうが。
「あの、旦那・・・・・・」
「何をしている、こいつをつまみ出せ! 不埒な間男だぞ!」
なだめかけた凛を遮る命令に、護衛の男は心を決めたようだ。すっと目を細めると、渓都を捕らえるべく足を踏み出す。
「おっと。やるの? だったら真剣にならないと、ケガするよ」
「奥様から手を引け。さもないと、ケガをするのはお前の方だぞ」
互いに呟いた刹那、二人はぶつかり始めた。どちらも武器は手にしていないが、狭い室内のことである。戦う術を持たない者は、そそくさと窓際へと避難した。
「おい、凛」
和馬は身を縮めている妹へと近付く。彼は、自分よりもずいぶんと低い位置にある少女の耳元に口を寄せ、なにやら呟いた。彼女は驚いたように兄を見上げるが、すぐに頷きを返すと、移動を開始する。兄もそっと部屋を横切り、伯爵の背後へと忍び寄った。
「奥様」
凛は途惑ったように事態を見ている、夫人へと近付く。耳元へ口を寄せ、そっとささやきかける。
「行ってください。旦那様を止められるのは、奥様だけなんです」
「え、でも」