金色の目
どういうことだろう、とでも言いたげに首をかしげると、金髪の男は少し驚いたように表情を変える。目を見開いたようだったが、もともとの細さのためか、たいした変化は見受けられない。銀髪の男、伶は場違いな感想を思い浮かべていた。
「お前、男だったの。ま、でも男でも危ないことには変わりないしね。ここはお前みたいなお坊ちゃんが来るところじゃない」
「っ!」
「富豪市民って感じじゃないね。華族? それともまさか、皇族?」
「天子様方がこのようなところに、軽々しく姿を見せるわけがなかろう!」
金髪の男の口元に、笑みが浮かぶ。人の悪そうなその表情は、伶の不快感を煽った。そう年は変わらないような相手であるがゆえ、とかく腹立たしいようである。
「怒るってことは、お前華族か。そんなお偉いさんが、こんな所に何しに来たの。下々の生活を見るためってやつ?」
「そういう言い方は、やめろ。言っていることに間違いはないが・・・・・・あっ」
とっさに出てしまったらしい言葉に、伶は口を押さえた。その様子に、男は一瞬目を見開いてから、おかしそうな声で笑う。
「お前、バカ正直だね。ますますここに似合わない奴だな」
「悪かったな、無礼者。キサマなんぞに助けられる俺は、確かにバカだろう」
「何それ」
男から笑みが消えた。伶は勝ち誇るかのように男を見下し、負けじとねめつける。
「無礼者に無礼と言って、何が悪い」
「や、その部分じゃなくってさ」
「名乗りもせんやつに、説教される覚えはない・・・・・・。ひょっとして、名乗れない理由でもあるのか?」
語気を荒げながらも、思いついたらしい考えに、伶は眉を寄せた。ころころと変わる心境に、当人が舌打ちしそうな表情である。仮にも助けられた人物に、迷惑をかけては面目が立たない、とでも思いついたのだろう。
「だとすれば、重ねて失礼をした。あいにく今は何の礼もできぬが、このあたりで生活をしている者ならば、いずれ何らかのお返しをできるかも知れん」
「何? 何かすんの、お前」
伶は返答につまる。自らのことを、今日会ったばかりの名も知らぬ相手に明かしていいものか、と思ったのだ。やましいことではないため、言ってしまっても害はない。逆に言わずとも、この男と長く付き合い続けるわけでもないのだから、また不利益はないのだ。
「まあ、うまく行けば、という所か」
言葉を濁し、すぐさま立ち上がる。服についてしまったほこりを払い、外の様子を確かめた。もはや、怪しげな気配は感じられない。
「追っ手も諦めたようだな。私は帰るとしよう。世話になったな」
「――ん。道、解る?」
迷ってたみたいだったけど、という呟きに、伶は顔を紅潮させた。なぜ解ったのだろう。それほど前からこの男は、伶を見ていたということだろうか。
「この辺入り組んでるし、他のところに追っ手がいるかもしれないよ。――送ってってあげる」
「え。だが」
「一度助けたんだから、最後まで見届けたいの。仕事の信頼にも関わるしね」
男は立ち上がると、戸口に手をかけながら、ゆったりと外を窺った。その様子を伶が不思議そうに見やる。
「仕事?」
「そう。俺、こう見えても探偵やってんの。あ、これ名刺ね。何かあったら、あんたもどうぞご利用を」
日の当たる屋外へ出たとたん、一枚の紙が差し出された。伶が受け取ると、男はどんどんと足を進めていってしまう。慌ててついて行きつつ、名刺に目を落とす。確かに、私立探偵という肩書きと「真崎渓都」という男のものとおぼしき名前が、印刷されていた。
伶を大通りまで送り届けた探偵、渓都は、自らの仕事場へと足を向けていた。人や車の多い通りを脇に反れ、少し奥まった道に、彼の勤める事務所はある。通りの喧騒は届くものの、建物の陰になる道のため、入り口は目立たなかった。玄関前の小さな石段をゆっくりと上がり、室内へ入る。
「ただいまー。誰かいる?」
木造の扉を開いた先は、見事にしんと静まり返っていた。誰もいないにも関わらず、鍵をかけないのは無用心といえる。渓都は室内を横切り、伝言用の黒板に目をやった。そこには予定の代わりに、彼宛のメッセージが白い文字で、でかでかと残されている。
『先に帰るぞ。鍵全部持ってっちまってるから、ちゃんとお前が閉めてけよ! もうなくすんじゃねぇぞ。和馬』
まじまじと文字を目で追い、しばし首をかしげた。自らの服のあちこちにあるポケットに、手を入れだす。何度か探ったあげく、ズボンの右ポケットから鍵束を取り出し、目の前にかざした。
鍵はかなりの数が束ねられている。そのためキーホルダーもつけていないのに、金属音がずいぶんと大きく響いた。この部屋の鍵も、中には入っている。マスターキーではなく合鍵なのだが。
元のものは、もはやどこにも存在しない。当初は、一応この事務所の持ち主である渓都が持っていたのだが、一週間もたたぬうちに失くしてしまい、それから合鍵での生活を送っていた。
この合鍵、すでに数えるのが億劫になるほど複製をしている。部屋にも予備を置いてあるのだが、どうやらそれもなくなってしまったようだ。
(あーじゃ、これが最後? また作んないとなぁ。何個目だっけ。家のはなくさないのにね)
早々に疲れた気分になった渓都だったが、ひとまず書き置きを消し、自身の執務室から荷物を持ってくる。簡単な後始末をしてからきちんと鍵をかけ、職場を後にした。
外に出ると、夕日が町並みを赤く染め上げている。意外と時間を取っちゃったな、と一人ごちながらも、ゆっくりと通い慣れた街道を進んだ。
遅くなってしまったのは、伶と関わっていたためである。あの場所には用事があったたね、彼を責めるつもりはない。用を済ませた後の邂逅であり、特に不都合もなかったのだから。
(けどあいつ、あんなところで何してたんだろう)
考えるともなしに考えながら歩いていく。いつもする寄り道をしなかったせいか、案外早い時間帯、日が傾ききらないうちに、帰り着くことができた。
彼の家は大きな洋館で、一般市民がおいそれと持てるようなものではない。造りがしっかりしているため、寂れた感はないものの、ひどく古めかしい外観ではある。それにさえ目をつぶれば、この上ない住居であった。
「ただいまー」
「お帰りなさいませ」
入り口をくぐると、小さな足音が近付いてくる。足音の主は、動きやすそうな服装に白いエプロンをつけた姿が、彼を出迎えた。渓都の雇う小間使いで、年の頃は十三歳。名を雪という。
少女は渓都の荷物を馴れたしぐさで手に取ると、一歩下がって後へと続いた。
「今日は、お早いのですね」
「そうかな。あ、ひょっとしてご飯とか、まだ準備できてない?」
だったら焦らなくてもいいよ、と言うと、彼女は少しだけ笑い、小さく首を振る。
「いいえ。いつも、この時間には作り終えてしまっていますから。暖めなおす手間がなくて、ありがたいくらいです」
「そうなの? じゃあ、これからは早く帰ってきた方がいいのかな」
「そんなことありませんよ」
慌てた様子で再び首を振った。必死な表情に、渓都は少しだけ笑みを見せるも、少女は気が付かない。