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金色の目

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「金色の目」

 帝都の裏路地を、なじまぬ風体の男が走り抜けていく。その姿は、この路上で暮す者達全てにじろじろと、あるいは恐々と注目されていた。
男に声をかける者はいない。彼が足を踏み入れようとする場所は、どうやって察知したのか、直前までいた人々が、蜘蛛の子散らすように逃げ出していた。
 路地に暮らす者達は、身を守る武器もなければ、怪我をしても治療にかけられるほど懐の余裕もない。下手に逃げる男に関われば、罪を着せられ牢屋行き。最悪、裁判も行われぬまま死刑である。
 大げさに言っているわけではない。相手の地位が高ければ、起こり得ることである。現に、外の者との諍いに巻き込まれた路上生活者は、誰一人としてこの場所に帰ってきていない。引き取り先が見つかったのだ、と外の者は思っているようだが、信じるほどおめでたい者は、当事者側にはいなかった。
 今、足早に路地を駆けている男は、こぎれいな格好をしている。どう見ても中流以上の出自と思われた。ゆえに弱い立場の者達は、自らの身を守るため、とことん彼を避けるのである。
 男は服装だけでなく、体のつくり自体も美しく整っていた。労働者にはありえない白い肌と、白銀にきらめく長い髪。それは無造作に紐でまとめられており、汗で随分とぺったりとしていたが、輝きに変わりはない。きりりとした眉の下の瞳は、しかめられてもなお大きく、金の色をしていた。口は小さく、運動のために鮮やかに色付き、顔だけならば女のようにも見える。
 近付く者がなかったのは、彼にとっても幸いだったかもしれない。路上生活者の中には、色事関係の仕事へも縁深い――あるいは自らにそういった趣味のある――者も多いのだ。見つかれば、あっという間に人買い行きであったろう。
 今の男にとっては、起こってもない危険などどうでもよかった。ただ、一刻も早く今の危機から逃れ、安全な大通りへと出ることの方が、はるかに重要である。
 あまり土地勘がないのか、辺りを見回しながら走っていた。目指す場所はあれども、道筋が解らないようである。そのうちに、撒いたと思っていた足音が耳につきだす。男は自然に、音のしない方へと足を向けていた。
 つまり闇雲に走り回っている、ということである。焦燥感は早い時期から生じていたが、果たして悪い予感は、いくつ目か解らない角を曲がった際に、現実となって立ちはだかった。
「くっ・・・・・・」
 行き止まりだ。男は悔しそうに顔をしかめ、瞬時に身を翻す。立ち止まっていても、いいことなどあるはずがない。足音は大きくなってきていたが、別の道を探すため、路地を引き返し始めた。
 足音がどの方向から聞こえてくるのか、もはや男には解らなくなっている。遠いのか近いのか、複数なのか単数なのかすらあいまいだ。走り続けたため酸素の不足する頭では、なかなか考えをまとめられない。ただ勘のみで、足を動かし続けた。
「おい、いたぞ!」
 そんな状態で、うまく逃げられるわけもなく、追っ手と思われる者と鉢合わせる。状況の変化についてゆけずに、一瞬立ち尽くした男だったが、すぐに立ち直ると踵を返した。少しだけ正気に近付いた頭で、音のしない方へと走り出す。
 思った以上にもつれる足に、舌打ちを洩らしながらも足を進める。追ってきている人数も、予想以上に多いようだ。
(これは無理かもしれん。どうしたものか)
 追われている割には、落ち着いた心境でいるのは、おそらく思考が今の状況に麻痺してしまっているためだろう。一見、それはいいことのようだが、要はぼんやりとしているということである。手足はどうにか動くが、もはや反射に近い。
 ふっと、視界がかすんだ。疲労のためか、汗が目に入ったためかも解らない。とりあえず裾で額を拭うと、湿った感触がわずかに腕を伝う。
(ん・・・・・・?)
 少しだけ晴れた視界の端に、奇妙なものが映り込んできた。あまりのおかしさに、とうとう気が触れてしまったのかと焦るが、何度見直しても、それが消えることはない。
 薄汚れた壁から白い手が伸び、手招きをしていた。例え平静な時だとしても、こんなものを見たら、動揺してしまったろう。男はただ、目を瞬いている。
 足音はこちらに集まってきているようだ。正気に返り、しばし迷ったものの、思い切った様子で手のほうへと足を向ける。向こう側にいるのが、人だろうがそれ以外の、例えば人をさらうといわれている町の精だろうが、今は考えないことにした。思うが侭に行動するのも、時には悪くはないかも知れない。
 男の頬にかすかな笑みが浮かぶ。らしくない自身の行動に対してだったのだが、幼い頃に聞かされた御伽噺を思い出したせいもあった。先ほどの町の精のことである。
(まあ、あれは人さらいを抽象化したものだろうがな)
 男は小走りに角を曲がった。いる者の姿を確かめようとしたのもつかの間、すぐに横手からものすごい力で腕を引かれ、薄暗い路地裏の一角にある小屋に、引きずり倒されてしまう。
「なんっ――」
 上げかけた声は、人のものと思われる大きな手に、後ろからふさがれた。驚いてもがくと、背後からシッ、と空気の漏れる音が聞こえたため、男はとっさに息を吸い込む。
 そこは、物置のような場所であった。木でできた壁の隙間から光が差し込み、わずかに室内を照らしている。外の様子は見えないが、向こう側から覗き込むことはできるだろう。近付いて来た足音に、思わず男は身を縮める。
 壁の前では、数人の男物の靴が動き回っていた。この路地へ入る姿を見られたのだろうか、足音は増えてゆき、なかなか去ろうとはしない。緊張で息が荒くなり、口元を覆う掌が湿ってゆくのが解る。どうしていいのか見当も付かなかった。掌の主も、外の気配を覗っているようで、微動だにしていない。
(早く行け、行ってしまえっ)
 心からの願いが伝わることもなく、足音は増えたり減ったりしているようだ。身を縮めながらも、全神経は外へと向いている。それゆえ、やがて足音があきらめていなくなってしまうまでの間ずっと、後ろの人物が落ち着かせるかのように、肩を叩き続けていたことに、気が付くことはなかった。
 気配がなくなり、口から手も離れたことで、思わず力を抜く。肩がなにやら、しっとりとしていることに気付いた。眉を寄せ、左肩に手をやったところで、ふと背後の人影へと意識が向く。
「お前、誰だ」
 男が一人いた。金の髪と同色の瞳を持つ、少し意地の悪そうな人相だ。追われていた男の掠れた問いかけに、わずかに眉をひそめている。
「言いたかないけど、開口一番がそれ? もうちょっと何かあるんじゃないの」
「・・・・・・危ないところを助けていただき、感謝する」
 銀髪の男は、ふてくされたように顔をしかめながらも、几帳面さが伝わる言い回しで礼を言う。座ったままながら潔く頭を下げた。
「私の名は、伶。この辺りは不慣れでな、人に道を聞いて回っていたのだが、なぜか追いかけられてしまった。今も捕まりそうだったので、本当に感謝している」
「へえ、そう。ま、ここは危ないからね。アンタみたいな奴には」
「俺のような、とは?」
作品名:金色の目 作家名:わさび