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金色の目

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 召使い達は噂する。夫人の気は確かだろうか、外に目をくらまされてはいないだろうか、と心配する声。夫人とて楽しむ権利はある、諍いを起こさなければ、火遊びくらいは許される、という意見。相手が夫人よりも若く、美しく、地位もある男となると、若い女中が騒ぎ出すという事態すらあった。
 噂は声を変え姿を変え、屋敷内を駆け巡る。当然ながら、主である伯爵の耳にも入ることにもなった。婚姻当初から、美しい妻の気まぐれさに、心乱され続けていた夫は、そのたび落ち着きを失うのである。
 無理もないことだ、と伯爵の古い家臣はため息混じりに思っていた。夫人はその美しさと人懐こさから、さまざまな人に好まれている。気さくな性格もあいまって、付き合いを拒むことはなく、危険な火遊びとなったことも少なくなかった。
 彼女は伯爵を愛していることだろう。しかし恋というものは、人から分別を失わせる。そのため、この夫婦は外聞を気にする華族には珍しく、何度も離婚の危機が訪れていた。
 年を重ねてきた近年は、さすがに騒がしさは減っているようである。穏やかな時が流れ、伯爵も肩の荷を降ろしかけていた矢先、再び夫人に男の影がちらつき始めた。同時に伯爵の平常心も揺らぎ、夫人ばかりを気にするようになってしまう。
 当初こそ、言動に気を配る程度だった。しかし、かの男と会うときには人をやる、様子を伝えさせる、密かに男の素性を探らせ、呪いにまで手を出すなど、徐々になりふり構わなくなってくる。ここに至り、召使の中には危機感を抱くものも、出始めていた。
 そんな伯爵家でも、夫婦が同席する時間はある。長年使えている召使いですら、ここでは言動が慎重になっていた。一つ屋根の下に暮らしているのだから、いつ出会ってもおかしくはない。しかしこのところ、夫婦が会う機会がなかった。理由はまことしなやかに屋敷内では流れており、日々は緊張感にあふれているのである。
 火種の二人は久しぶりに会ったことを祝して、明るい部屋でお茶会に興じていた。召使い達は夫婦水入らずを邪魔してはいけないと、そそくさと準備をする。
「あっ、でも、あの」
 ただ一人、途惑う若い小間使いを引き連れ、召使い達は去った。見送った夫人は、くすくすと笑いながら夫へと向き直る。
「若い子は、かわいいわねぇ。私達に気を使っちゃって、いい子達だわ。でも、いくら久しぶりとはいえ、家族なんだから、いつでも会えるのにね」
「そう、だな」
 いたずらっぽく笑い、両手でカップを持つ夫人とは対照的に、夫である伯爵の表情は硬かった。夫人の一挙一動にも気を張っているような印象を受ける。二人共に三十路を越えた年齢であるにも関わらず、初めて会ったかのようにぎこちがなかった。
「まぁ、会っても改まって話すこともないけどね。あなた、近頃ずいぶんと忙しいみたいだし」
「それはお前の方だろう」
「そうかしら」
 夫の言葉に、笑みを浮かべていた夫人は、首をかしげる。
「そうさ、外にばかり出ていて、すっかり家のことはお留守だ。ならば俺も外に出るしかないだろう」
「家のことは、ちゃんと見てるわよ?」
 責められていると感じたのか、夫人の顔にかすかな焦りが浮かぶ。話題を変えよう、とばかりに茶菓子を勧めてみるが、伯爵の機嫌は変わらない。
 どうしたのだろうか、と思ったのは本心のようだ。原因に全く見当がつかないかと言われれば、嘘になってしまうが。屋敷内の噂は彼女の耳にも入ってきている。世継ぎを生むことができないという、周囲からのプレッシャーとともに。
 家は嫌いではないのだが、そう考えると気分が塞ぎ、外へ出ることが多くなる。するとますます噂が立ち、伯爵の機嫌も悪くなる、という悪循環に陥っていた。
 どうしたらいいのか解らないというのが、正直な彼女の気持ちである。ぎこちのないお茶の時間を終え、庭を歩き始めた夫人の口からは、ため息しか出てこなかった。こんな姿は家のものには見られたくないのだが、外に行くことはもっての他である。八方塞がりの状態では、自分好みに作らせた庭も、あまり心を慰めなかった。
(今までだったら、楽しかったのに)
 どこでおかしくなってしまったのだろう。そもそも彼女は活発な性格で、男女問わず友人は多かったのだ。伯爵はそのことも了解した上で、彼女を娶り、これまで何とかやってきたはずである。
「どうか、いたしましたか?」
 ため息に反応があり、夫人は軽く驚きの表情を浮かべた。声の方向へと向き直る。
「あら、あなたは」
 小間使いの少女であった。つい最近入ってきた娘であり、年も屋敷内で一番若い。そのためかきびきびと動き、失敗もままあるものの、おおむね好感をもって、召使い達に受け入れられているようである。先ほどのお茶会で去るタイミングがつかめずに、年長者達にせっつかれていた娘だ。
夫人の表情に柔らかい笑みが浮かぶ。落ち込んでいる時は、人に優しくしたくなるものだ。
「もう仕事には慣れた? ええっと」
「凛、と申します」
「凛さん? きれいな名前ね」
 微笑みかけられた少女は、照れくさそうにうつむきながら笑みを浮かべる。気を取り直して呼吸を整えると、じっと女主人を見上げた。
「あの、大丈夫ですか?」
「何が?」
「えっと、その、伯爵様と」
 ためらいながらも正直にものを言う若い娘に、夫人は目を丸くする。すぐにくすくすと笑い出した。
「大丈夫そうに見えない?」
「え、あの、えっと。その、いえ」
「無理しなくてもいいわよー。噂も色々聞いてるし」
 ゆっくりとした動作で、夫人は少女に背を向ける。話をやめようというのではない。空を見上げて、明るく会話を続けようとしているらしい。凛という名の若い小間使いは、戸惑いながらも夫人の背中に目を向けていた。
「私の家族は」
 やがて意を決したように、彼女は口を開く。
「とても仲がいいって言われてます。私にとっては、いつもうるさいし、それぞれ好き勝手なことやってて、みんなうっとうしいし、ケンカばっかりですし、どこが? と思います。でも」
「いざというときは、協力できるのね? いつも本音でぶつかってるから」
「は、い・・・・・・。そうかと思います」
 背を向けたままの夫人に、考え考え返事を返す。見上げた肩は、かすかに震えていた。
「ふふ。まさかあなたみたいな若い子に、忠告されるとはね」
「いえっ、そんなつもりは」
「でも、本当にそうだわ。私と夫との妙な噂が流れるのも、お互いに本音を見せてないからかもしれないわね」
 夫人は再び、遠くを見るような目を外に向けている。屋敷の外壁は低いものの、高い木に覆われており、あまり外は見えない。それでも夫人は、じっと空を見続けていた。景色を見ているわけではないらしい。過ぎ去った昔に、意識を向けているのだろうか。
「ここに嫁いできたばかりの頃はね」
 独り言のような言葉は、少女に背を向けたままで続けられた。凛は、その場を動こうとはしない。手を前で組み合わせた礼儀正しい姿勢で、女主人を見守っている。
「楽しいことばかりだったわ。庭はきれいだし、夫がそれを造ったと聞けば、ますますきれいに見えた。新しい場所で、覚えることがたくさんあって、大変だったけど、毎日わくわくしてた」
作品名:金色の目 作家名:わさび