金色の目
伶はのまれた風情で黙り込むと、助けを求めるように渓都に目を移す。しかし、彼も樹里と同じ環境で育った人種だ。伶の思考は理解ができても共感するはずはなく、黙って肩をすくめている。
「俺も同感。樹里がいいって言うんだから、そうしなよ。別に遠慮してるとかじゃないんだし」
「しかし、女性を外に放置しておいて、男の俺がぬくぬくと――」
「あのさ、そういうんじゃなくて。お前は依頼主で俺らは雇われた人って、そう考えてよ。あんまりごちゃごちゃ言うと、営業妨害とみなすよ」
再び黙り込んだ伶に、渓都はもう一度肩をすくめた。樹里と視線を交わし、今度はなだめるような口調になる。
「別に責めてるわけじゃないからね。そんなに気になるんだったら、樹里にボーナスでもあげれば? これは仕事なんだし」
伶に表情が戻った。樹里にゆっくりと視線を向け、考え込むように口元に手を当てる。
「そう、だな。では貴女に依頼完了の際、何かひとつ贈り物をしよう。何がいい?」
「贈り物ぉ?」
思ってもない申し出だったのだろう。樹里は素っ頓狂な声を上げ、目を瞬いた。しかし、伶が真面目なことを悟ると、冗談めかして笑いながらも、考えておくよ、と頷く。
一方渓都は、このこと和馬に伝えといた方がいいのかな、でも言ったらまた余計な心配しそうだから、黙ってた方がいいのかも、などと考えていた。
伶に下心がなさそうなことは、はたから見ればすぐに解るのだから。
台所には、籠いっぱいに盛られた緑色の物体がある。正前には一人の少女がおり、腰に手を当てた後に腕を組む、という動作を繰り返していた。数往復後、諦めたかのように首を振り、ため息をひとつつく。
「どうしよう、かな」
彼女は、籠の中身の処分に頭を悩ませていた。今しがた、近所の方にこの山をいただいたのだが、どうしたものかと思っているのである。
食べ物であり主の好物のため、嬉しいことは嬉しい。けれども今回のように、大量にある場合の使い道、というものは思いつきかねた。
わさびとは普通、薬味として使うものである。すりおろして刺身やそばなどに添えたところで、使い切れるかどうか。いくら主がわさび好きとはいえ、毎食毎日では飽きられてしまうだろう。身の回りを世話する立場として、それは避けたい。だが、頻繁に使わなければ消費し切れそうもなかった。さらに、彼女は辛いものを食べることができない。
緑の植物を前に、少女は再びため息を洩らした。
「でも、無駄にはできないし」
少女は主と二人きりで暮らしている。人数こそ少ないが、家自体は大きく、毎日仕事は忙しい。主には、今以上人を雇うつもりはなさそうだが、生活が切迫しているという様子は見受けられないので、特に雇用状態の問題を感じたことはない。
だからといって食べられるものを無駄にすることなど、貧しい家で生まれ育った少女には、耐えられなかった。主とて、好物を捨てられたらいい気分はしないだろう。
誰かに分けるという手もあるが、今だ幼い少女にはそれほどの人脈はない。面識があるのは商店の人や、時折会う近所の子供などである。台所を預かる者とは、会釈する程度の交流しか持ったことがなかった。
レパートリーを増やすにしろ分けるにしろ、主の協力を得ないでは、どうにもならない。自分の仕事に巻き込むのは気が引けたが、今回は仕方がないと言い聞かせた。
(次から一人でも出来るようになればいい)
心の中でひとりごちると、今だ瑞々しいしいわさびをひとつ手に取る。数少ない、自身の知るわさび料理を作ろうと思ったのだ。
品物をくれたのは、隣に暮らす身なりのよい夫人で、彼女も誰かから貰ったらしい。処分し切れず小間使いなどにも配っている、と言っていた。お裾分けでこれだけの量をいただけるのならば、一体総量はどのくらいだったのだろうか、と少女は眉間にしわを寄せる。
しばらく彼女は料理に集中していたが、外から人か近付いてくる気配を感じ、主のものかと意識を向けた。玄関の開く音と共に、空気の動きが感じられたため、台所仕事に区切りをつけ、主を迎えに出る。
「ただいまー」
「お帰りなさいませ」
日が長くなっているために、ドアから見える外は今だ明るい。主の金色の髪が日の光に生え、少女はまぶしそうに目を細めた。彼女は自分とは正反対の主の髪を、男性ながらきれいだと思い、とても気に入っている。
「お腹空いたー。雪、今日のご飯何?」
「あ、すぐにできます。今日は渓都さんの好きな物なんですよ。たくさん頂いたので、お皿はそればっかりです」
「好きなものって、わさび?」
「正解です」
いたずらっぽく笑って答える少女の様子に、渓都もわずかに頬を緩めている。好物が出る嬉しさと、小間使いの微笑ましさからきたものだろう。
「そっかー。じゃ、すぐに食べよう。片付けてくるから、用意しといて」
「かしこまりました」
程なく、食卓についた渓都の前には、わさび尽くしの夕食が並べられた。わさび茶漬けにわさびの漬物、菜っ葉のわさび和えにお刺身のわさび添え、と辛い物三昧である。口直しのためにとお茶を多めに淹れたのだが、そんなものは必要なかったかと思えるほど、皿は早々に片付いてゆく。
がっつくことはないのだが、いつもよりも速いペースで箸を進める様子を、雪は目を見張りつつ眺めていた。一息ついてお茶に手を伸ばしたところで、主は彼女に目を向ける。
「雪の分、あるの? 俺、一人で全部食べちゃいそうなんだけど」
「はい、食べちゃってください。私、辛い物は苦手なので。それに、わさびはまだまだたくさんあるんです」
「え、そうなの。じゃあこれからずっとわさびが食べられるんだ」
「はい。ええ、まぁ」
珍しく歯切れ悪く答える少女に、渓都は首をかしげた。どうしたの、と視線で問うと、小さな口はぼそぼそと、申し訳なさそうに言葉を紡ぐ。
「あの私、あまりわさび料理を知らないので、同じものばかりになってしまうので、と」
「え、別にいいよそれで。俺も一人の時は、いつも同じような飯だったから」
「ですけど、たくさんあってなかなか減りそうもないんです。ずいぶん長く同じものになってしまいますよ。それに、あまり長く置いておくのは、心配ですし。・・・・・・あの、ですから、渓都さんさえよろしければ、持って行っていただけませんか?」
好きなものを腐らせるのは嫌ですよね、とさらに小さく呟きながら、雪は主を見上げていた。彼はそうだね、と返事をしつつ、頭の中で分ける相手を思い浮かべる。音を立てて茶をすすった。
あげるとするならば、同僚の男とその家族達だろう。彼ら一家は大家族ゆえ、食べ物ならば何でも喜ばれるのだ。
「うん、解った。じゃ、残った物の半分くらい持っていけばいいかな」
「はい、お願いします。その半分でも、一週間はわさび漬けになりそうですが」
刹那、雪は口元を覆い、小さく笑う。
「何?」
「いえ、渓都さんのわさび漬け、というのを想像してしまいまして。全身が緑色になりそうですね」
「って言うか、普通に毎日食べ続けてれば、体からわさびのにおいがしそうだよね。肌も緑色になるのかなぁ」
「まさか!」