金色の目
父がいい顔をしないことは確かだ。だが、今この家の主は伶である。自負とともに、金髪の男が座るテーブルへと近付くと、彼は軽く頭を下げてきた。あいさつのつもりらしい。
「お邪魔してます。どう、最近?」
実に軽い口調に、さすがの伶も苦笑いを浮かべる。平民とのやり取りに慣れてはいるが、この家で目の当たりにすることになるとは、思っていなかったのだ。
「おかげさまで何事も。お前の友人の尽力で、体調もすっかり戻ったからな」
「ふうん。そりゃよかったね」
軽い音を立てて、渓都の正面のイスへと腰を下ろす。無作法な振る舞いと見られても仕方がないが、おそらくこの男は気にしていないだろう。
「ところで何の用だ。ひょっとして、もう仕事が片付いたのか?」
「まさか。けど、あえて言うのなら、中間報告かな。紹介したい奴がいんの」
探偵は何もないところに目を向け、軽く首をかしげてみせる。何をしているのかと訝しんでいると、庭を見渡せる窓の外に、影が立つのが見えた。
「えっ」
「あ、いたいた。入っといで」
影は探偵の手招きに従い、大きな窓から無造作に室内に入り込んでくる。突然の出来事に、伶は目をむいていたが、どうにか声を上げるのは耐えることができていた。
「け、渓都」
「紹介するね。こいつは樹里。俺の相棒の妹で、今回の仕事を手伝ってくれることになってんだ。これからお前にくっついて、身の回りを守ってくれるから、よろしくね」
「初めまして」
す、と渓都よりもはるかに優雅に頭を下げる女性の姿に、紹介された側は、目を瞬くことしか出来ないでいる。突然庭から人が現れたこと、その人物は自分の護衛のような存在になるということ、しかも相手は若く美しい女性だということ・・・・・・それら全てが、彼の頭を混乱させていた。
「お、お前どこから」
「ああ、すまないね。この間から兄貴に頼まれて、あんたに張り付いてたんだ」
「ってことは、全然気付かれてなかったってことか。さすがだなぁ、樹里。腕は落ちてないみたいだね」
「まあ、それが私の売りだからね」
気楽な調子で話し合う二人に、伶は学生時代の同級生との会話を思い出していた。ここは当時の談話室ではなく自身の家であり、目の前の人々らは初めての場所であるはずである。にも関わらず、なぜ家主の方が肩身の狭い思いをしなければならないのだろう。
(生き方の違い、というやつだろうか。華族だろうが子供だろうが、たくましいものはたくましいしな)
気を取り直そうとひとつ息をつき、伶は探偵社の二人へと改めて向き直る。咳払いをして言葉を発した。
「それで、このご婦人が俺の護衛をすると? せっかくの申し出をなんだが、そこまでしてもらう必要は――」
「あるんだってこれが」
「何を根拠にだ」
当然のように言う探偵に、眉を寄せた伶は憮然と言葉を返す。すると答えは彼でなく、同じテーブルについた樹里から発せられた。
彼女は懐から何かを取り出し、卓上に置く。新しい茶を持ってこさせようかと迷っていた華族は、すぐにその気持ちを、吹き飛ばされてしまった。
出てきたのは、小さな人形である。木彫りで飾り気のない、質素な品物だったのだが、この場にいる全ての人物が――おそらくこの屋敷にいるもの全ても――目を剥くだろう物だ。
「こ、れは」
「この間見つけた。一応清めたから、私に害はないと思うよ。ここの床下に置いてあったんだ」
「――」
樹里の言葉に伶は青ざめ、目を大きく見開いている。逆に渓都は眉をひそめつつ、人形をつまみあげた。
「趣味が悪いね。俺は呪いなんて信じちゃいないけど、嫌がらせにはもってこいだ」
「渓都、あまり粗末に扱うな」
注意され、ふてくされた子供のように彼は人形を放りだす。樹里は美しい眉をひそめたが、文句を言うことはせず、代わりにそっと依頼人を窺った。
「この人形は、あんたに向けて仕掛けられたもんだ。私も効くとは思ってないし、現にお前もなんともない。けど――こんなもん人に向ける精神のやつが相手なんだ。用心しといた方がいい」
伶は顔を青ざめさせたまま、かすかに頷くことで答える。視線は呆然と人形に固定されており、動揺を隠し切れない様子だ。渓都と樹里は黙って顔を見合わせる。
この人形は、割合有名な「呪具」であった。対処法も知れ渡っているためか、呪われたという話は聞いたことがない。だからこそ、平民二人は冷めた様子なのだが、伶は本気で心配しているようである。
直接向けられた者と、外から見ている者の違いだろう。あるいは、人を呪おうという考え自体に、おびえているのか。
「えーと、大丈夫?」
渓都がひらひらと手を振る。青年華族は我に返ったように、顔を上げた。
「そんなに気にしなくても、呪いなんてただの気晴らしくらいにしかならないよ。それに、お前が気にする何かが起こらないように、俺たちはこうして話してるんだ。そこんとこ、解ってるよね」
「あ、ああ」
今だわずかに青ざめながらも、ようやく伶は、まともに二人と顔を合わせる。
「そう、だな。すまない。守ってもらうために、お前を雇ったわけだからな。よろしく、頼む。それと樹里殿、ありがとう、見つけてくれて。召使いが見たら、ひっくり返っていただろう」
「ここの人って、みんな真面目そうだから。笑って済ませられることじゃないけど、大騒ぎされてもまずいからね」
「確かに。そういえば、貴女は大丈夫なのか? 私に向けられていたとはいえ、初めに触ったわけなのだし」
「平気だって。さっきも言ったけど、一応塩振っといたから」
真剣な伶と、微かにおどけた樹里の会話に、渓都は笑い出しそうになった。
(ホント面白い奴。バカで)
初対面の時から思っていたことを、改めて認識する。渓都は今まで、伶のようなタイプと知り合ったことがなく、どういう反応をすればいいのか決めかねていたのだ。あえて伝えたことはないが。
真面目という点では曽馬も似たようなものなのだが、目の前の華族の男は、それだけでは表現できないものを持っている。誰しもが一度は感じるもので、しかし大抵の者が生きる上で、忘れてきてしまっているもの。
正直さかと思う。伶は子供のように素直で、嘘がつけない。本当のことを口にせずとも、表情や態度などで大抵の思考は読めてしまう。結果、今の彼が本気で樹里を案じているらしいことが、ひしひしと渓都に伝わっていた。
からかうような笑みを浮かべつつ、様子を見守っていたのだが、ある瞬間自身の考えに違和感を感じ、眉をひそめる。確かに伶は樹里を心配しているのだが、他にもなにやら含みがあるような感じなのだ。
「だが、ご婦人を外に放っておくなど・・・・・・夜もいるのだろう? 部屋を用意させるから、そこに入ったらいかがだろうか」
二人の会話は樹里の処遇に移っている。真剣な伶に樹里は、軽く肩をすくめて応じた。
「いいよ。夕べも泊まったけど、あんたん家はどこでも居心地がいい。一番守りやすいところにいられるんだから、部屋なんて必要ないさ」
「しかし」
「それに、下手に私みたいな女を屋敷に入れると、色々言われるよ。目立ちたくないんだろ」