金色の目
手回しのいい相棒に、素直な驚きを見せると、和馬は誇らしげに胸を張る。この、調子に乗りやすいところが、彼の甘く見られる原因であり、本人曰くカムフラージュに使えるところらしい。ただの素だと渓都は思っているが、相手を油断させられることは確かに有効なため、あえてやめさせることはしていなかった。
「おうよ。依頼内容からして伶とやらとは、仲がよくないようだったが、同時に人目を気にしてもいた。裏からこっそりとことを勧められるほど、面の皮が厚い様子もなかったしな。何つっても、思ってることが全部顔に出てた。まず、考えなくてもいいと思うぜ」
「ふうん」
「あいつからは、そんくらいだろ。後は同格の華族で、けど評価の低いやつかな。つっても政治に関わってねぇから、殺そうとするほどとなると、どれだけいるかねぇ」
平静な様子で首を傾げつつ、物騒なことを言う。この程度のことで動揺していては、探偵事務所などやってゆけないのだ。応える渓都も淡々としている。
「返り咲いてくるかもって、思ってんのがいんじゃない。伶本人も、それは気にしてるみたいだったから」
「はぁん、なるほどな」
頷いた和馬は、指折り数えながら数人の華族と、著名人の名を上げた。うちいくつかは、渓都も知るほどの名手である。しんどい仕事になりそうだ、とため息が漏れたが、相棒の考えは違っているようだ。
「大物ほど組織がしっかりしてっから、辿るのは難しくねぇ。中には痛くもない腹探られちゃたまらんと、あっちから言ってくる奴もいる。いくつか揺さぶりかけといたから、そろそろ反応があるだろう」
「相っ変わらず仕事速いね」
「生活かかってるからな。前金もらってんだから、張り切らざるを得ねぇや。日給じゃねぇし。んで、その他なんだが――」
「あ、いいよ。そこまでやってんだったら、あとは俺がする。それより、ちょっと心配なことがあんだけど」
「伶本人の安全、のことだろ?」
おちゃらけた様子の和馬の言葉に、渓都は目を瞬いた。なぜ解ったのかと思ったのだが、どうやら彼はそれも含めて行動をしていたらしい。すらすらと言葉が続く。
「俺らで見てることにする。今も弟達に親類どものほうを洗わせて、本人には樹里をつけた。抜かりはねぇぜ」
「へー、樹里を。珍しいね。相手男なのに」
「手が空いてんのが、あいつだけだったんだよ。・・・・・・おかしなことにならなきゃいいが」
「大丈夫なんじゃない」
気楽な調子で渓都は言った。
和馬の妹である樹里は、兄弟の仲では一番の美女である。本人が男らしいざっくばらんな性格のため、鼻にかかることはないのだが、とにかくもてた。
これまでも何度か共に仕事をしているのだが、依頼人に惚れられたり、ターゲットに目をつけられたりと、トラブルが耐えない。有能であるため、仕事の役には立つ。だがいかんせん自らの魅力に無頓着なため、心配した兄は、男に関係する依頼に、なるべく彼女を使わないようにしていた。
「ま、そういう時もあるってことだよ。いつまでもしまっとく訳には行かないし。あ、じゃあ俺、今から外回りに行くから、そのついでに樹里を紹介して、釘刺しとくよ」
「んなことしたら、余計にやばくねーか? って心配しすぎか」
「そだよ。知らないで美女に付きまとわれたほうが、逆に勘違いされやすいと思うよ」
和馬はしばし、頭を悩ませたようである。やがて、ぼんやりとしている渓都を見返し、悲壮にも見える表情で決意を述べた。
「じゃあ、それは任せるわ。もーいい加減、あいつらの面倒みんのも、卒業したいんだがなぁ」
どこか投げやりなようで、ほっとした口調は、彼の兄としての本音を現しているようでもあった。
屋敷には心地よい楽器の音色が響き渡っている。伶の日課であるチェロを奏でる音だ。
文化人である彼の家では、代々何らかの音曲に関わることが伝統で、誰もが腕前は一流である。教える教師が、確かな腕を持つ者であるためだ。よほど才能がないか、好きになれない者でない限り、ある程度の才は育つようにできている。
現当主である伶も、確かな腕を持っていた。家を継ぐという役割があるために、音楽の道へは進まなかったが、彼の奏でる音に惹かれる者はあとを絶たない。学生時代、催しで腕前を披露した際には、業界からの引き抜きが起こりかけたほどだ。
それでも彼は、あくまで趣味として音楽を続けている。技巧においてはまだまだ未熟な部分もあるが、彼の音を聞く召使いたちを、毎日幸せな気分にさせる役には立っていた。
彼の特技は音楽だけに留まらない。絵画、書、演劇、舞、とあらゆる種類の芸術に、一通り精通していた。中でも彼と家が重点を置いているのが、舞踊である。一流派から始まった血族であったため、今も流派を継続しており、伶は師範級の腕前を持っていた。
ただチェロとは違い、舞はそう簡単に人前でできるものではない。屋敷に設けられた稽古場に出入りできる、一部の召使いが目にできるくらいだ。おかげで稽古中の舞台での仕事は、いつも奪い合いである。後に古参の召使いの計らいにより、当番制となったようだが。
チェロの音は惜しみなく辺りに響いている。屋敷内だけでなく、外にも流れ出ていた。当の本人もそれは理解しているのだが、今のところ苦情がないため日課は続けられている。
チェロに限らず、何らかの音を奏でている時には、召使い達がそれを妨げることはない。伶本人が希望しているためもあるのだが、言われずとも彼らは、この心地よい音色を断つことなどしはしないだろう。
そのため扉が控えめに叩かれた時、伶はがらにもなく驚いてしまった。扉の音は、楽器にかき消されてしまいそうなほど小さかったが、彼の敏感な聴覚にはきちんと捉えられている。動かしていた弓を止めると、響いていた音も止まる。男にしては高めの声が、部屋に生じた。
「何だ」
「失礼いたします。お客様がいらっしゃっていますが」
「俺にか?」
彼は目を瞬く。本日は、誰かと会う約束などしていない。この家に人が訪ねてくることなど、約束がない限りめったにありはしないのだ。一体誰なのかという思いと、何か勘違いしているのではないか、という疑問が浮かんでくる。
思いが伝わったのだろう。中年の召使いは困惑を表しながらも、はっきりと伶の客だということを告げてきた。若い男だという。
「男? 名は名乗っているのか?」
「はい、渓都様とおっしゃられています」
「!」
金の目が見開かれる。なぜここに、という思いが生じたのだ。落ち着いて考えてみれば、彼は伶に雇われているのであり、住所も知っている。訪ねて来たところで、おかしなことは何もない。ないのだが――
「何の用なのだろう。いや、解った通せ。客間に茶の用意を忘れるな」
「かしこまりました」
釈然としない様子ではあったが、長い付き合いの召使いは、一礼するとおとなしく下がっていった。伶はすぐにチェロを片付け、軽く身なりを整えたのち、客間に足を向ける。
人を通すのは、父が亡くなって以来だと懐かしく思い出したが、相手が貧民街の探偵となると、妙な心地だった。特権意識が強く、伶にも同じものを強要してきた父が見たら、何と言うだろう。
「待たせたな」
伶は客間の扉を開き、探偵と対面する。