金色の目
つまるところ探偵は、誰かから伶の身辺調査を依頼されたものの、それから手を引きたいらしい。しかし商売上の信頼の問題から、何らかの成果は残したい、ということなのだろう。それは解る。だが理解すると、逆に膨らんでくる疑問もあった。
「なぜ、俺を助けた? 名誉を守りたいのならば、俺を放っておいて、その隙に弱みでも握ることはできたろう」
声を上げると、二人は不思議そうに横たわる青年華族を見下ろした。二対の視線をうけ、めまいがぶり返してくる。
「探偵という仕事は、よく知らん。けれど人目に付くのはよくないのだろう? だったらなぜわざわざ、目立つようなことをするのだ。手を引くならば、他にもやり方はいくらでもあったろうに」
「お前って、案外冷淡なんだね」
呆れた表情で渓都は言った。彼も女医同様、子供をなだめるかのような口調である。伶は眉をひそめた。
「目の前で顔見知りがふらついてんのに、放っておくのって気分悪いじゃない。仕事は仕事だけどさ、それも命あってのものだし。お前を放っておいたら、何かあったとき俺も見捨てられそうな気がする」
男の口調は平坦なものだったが、視線は柔らかい。言外に何かがあるように感じられた伶は、ついと押し黙る。
「現にお前は危ない目に合ってる。調べてる俺にも、火の粉が降りかからないとも限らない。まぁ、危なくてもやる時はやるけどさ、今回はそれほどの実りがあるかなぁって、だからね」
探偵は何かを思いついたように、いたずらめかした視線を向けてきた。これまでの見定めるような目つきではなく、しっかりと心を捉えようとするかのような、心のこもったもののように思える。
「お互いに損のない取引をしよう。お前が俺を、この仕事から解放してくれるんなら、お前を守ってやってもいいよ」
それのどこが解放なのだろう。
再び頭が痛みだす。伶は、視界の端で苦笑いを浮かべる、茜の姿を見たような気がした。
伶は一晩の入院を経たのち、家へと帰っていった。手持ちの金がなかったために、連絡先を医者の元へと残し、後日の支払いを約束したという。
「律儀な子よね、全く」
のちに渓都に洩らしたのは茜であったが、同じ印象を言われた探偵側も持っていた。彼が伶に交換条件を持ちかけたのは、そのあたりに原因があったようである。
「つまるところ、なんだ。お前情にほだされたって訳か。大嵐でも来んじゃねぇか」
和馬は窓の外を眺めながら、真剣にそんな言葉を紡ぐ。だが真剣なのは天気の心配のみのようで、相棒に戻した視線は、あからさまにニヤニヤとし、人の悪そうな色を浮かべていた。渓都はむすっとした顔で、頬杖を突いている。
「悪い訳。まったく茜といいあんたといい、俺がちょっといいことすると、とたんにこれだ。言っとくけど、別にほだされたわけじゃないから。状況で判断しただけだから」
「はい、はいっと」
「ちょっと、真面目にやってよ」
和馬と渓都は、事務所の応接場で話し合いをしていた。内容はもちろん、今回の依頼について。遊園会の日に判明した事実と渓都の提案は、和馬に茶化されはしたものの、反対されることはなかった。確かに、割のいい依頼ではあるが、命をかけてまですることではない。彼らには有力な後ろ盾がなく、自分の身は自分で守らなければならないのだから。
「依頼は断るけど、交渉は和馬がやるんだからね。ちゃんと解っててもらわないと、困るんだから」
「解ってるって。まぁ、まだ金も貰ってねーし、難しいこっちゃねぇよ。・・・・・・けどなぁ、変わった華族もいるもんだな」
「全くね」
しみじみと言う相棒に、渓都は頷きを返す。
二人は、華族の男から受けた依頼を、完全に蹴ることに決めていた。当初は、伶から直接聞き出した内容で完了させようと思っていたのだが、話を聞くうちそれをもあきらめざるを得なくなったのである。代わりに今以上の金額で、彼と新たな契約を交わしたというわけだ。
伶が貧民街に出入りしていたのは、慈善事業のためだったのである。彼は華族でありながら、貧しいものたちの待遇の悪さに不満を持ち、改善するために骨を折っていた。これまでも、小さいながらも学び舎を作り、職業紹介所を改善し、協力者を得て現地の人々との交流も深めているらしい。
「立派なことじゃねぇかよ」
和馬の言う通り、行動だけを見れば隠す理由などなさそうだ。むしろ公表し、讃えられてしかるべきのことのように思える。だが、立場的にそれは許されないのだという。
華族は古くから続く血族の集まりである。彼らは変化というものを嫌い、平民らへの威厳を示すことで、地位を保っていた。彼らから見れば、伶の行動は非常識、あるいは目ざわりと思う者さえ、出て来かねないものなのである。
さらに伶の家は、元来政治の中核を担う役職についていた一族だ。自ら望んで退いたとはいえ、下手な行動を見せれば復権の準備と見られ、攻撃される恐れもあるらしい。
本人には政界に戻るつもりはなく、争いごとも嫌っている。それでもなお、あえて目立つ活動を続けているのは、何か理由あってのようだ。言葉を濁していたため、深く踏み入ることはなかったが。
「そんなわけで、下手に相手に伝えると、あいつの行動を妨げることになりかねない。だから、怪しまれないように断っといてよ和馬。それとも、何か問題とかあるの?」
「ねぇけどよ。ただ、珍しいなと思ってな」
渓都は眉をひそめた。蒸し返してからかうつもりかと思ったためだったが、相棒の表情は真剣そのものである。
「どうしてそいつにこだわんだ? お前、華族とかの上のやつ、嫌ってたんじゃなかったのかよ」
「嫌いだよ。当たり前じゃん」
「じゃあ、何で」
「俺は仕事があったから受けただけ。お金ないって言ったのはお前じゃない。勘違いしないでよね」
苛立った口調の相棒に、和馬は肩をすくめた。長年の付き合いから、彼がこのような反応を見せる時は、心の奥に踏み込みかけているためだ、ということは解っている。いくら長年の友人であり、同僚でもある存在とはいえ、これ以上は何をされるか解ったものではない。今回は、追求をあきらめることにした。
「んなにカリカリすんなって。俺はその『伶ちゃん』に会ったことがねぇから、気になったってだけだ。お前が信頼できるって思うんなら、別に文句はねぇさ」
「信頼してるわけじゃないけど。それに何さ『伶ちゃん』って」
キモイ、と吐き捨てる渓都に、和馬は笑う。
のちに、彼はすんなりと前の依頼主との話し合いをまとめ、今回の件にも協力をしてくれるようになった。仕事はこれまでも二人で行っていたので、協力はおかしなことではない。ただ、渓都が単独で話をまとめてきたのは始めてである。一人でやることになるかもしれない、という心配が杞憂に終わり、こっそりと胸を撫で下ろしている渓都の姿があったとかなかったとか。
「ともかく、お前は伶とやらを狙ってる輩を突き止めろ。前の依頼人も怪しいっちゃ怪しいが、ちょっと探りを入れた感じじゃ、毒殺にまで手を出せるような奴じゃなかったな」
「調べたんだ」