ナイトメアトゥルー
「寝坊って…勝手に決めつけんなよ。俺、お前より先に登校してるんだぜ…。」
これもまた、人に聞こえないようにぼやいた。
だが、弁当は昨日と同様に美味しかった。
あいつのぶしつけな態度で受け取った弁当でも、美絵さんが作ったという事実がそんなことをチャラにさせてくれた。
いやむしろプラスだ、プラマイプラスである。
食欲が無かったはずなのに自然と箸が進む。
うん、味に申し分は無い。
今日こそ、お礼を言うぞ。
そう、心に強く決意したその日の午後だったが、午後の授業が体育だった為、またしてもタイミングを逸してしまった。
2日連続で、お礼を言わないのも人としての器量を疑われそうで心が晴れない。
そして、その日も追浜にお礼を言うタイミングを掴まないまま帰宅することになってしまったのだった。
ここ2日の思考の鈍さは帰り道の足取りをも鈍くさせる。
加えて、お礼を言えなかったことの自己嫌悪と今晩見るであろう悪夢を思うと、気分が滅入ってくる。
とりあえず、今日はシャワー浴びたら何もせず寝よう。
なるべく、今回見る夢はソフトなものになってくれと天に祈った。
――――――― 睡眠 ――――――――――
神はいない。
そう確信した。
天に祈ったのに、よりによって一番ハードなこのパターンとは…。
そのパターンとは「喰われ」である。
出てくる女の子に、前歯で体を引きちぎられ奥歯にて粉々に噛み砕かれる痛みに加え、かろうじて残った肉片の意識が胃に落されその強い酸性に溶けて朽ちていく{夢}。
この苦痛は他のパターンの{夢}と比べて群を抜いている。
さらにこの{夢}の死亡率は当然ながら100%である。
最近は、こういった類の{夢}は見てこなかったが高校入学後にこれが来るとは…。
しかも、出てきた女の子は追浜 叶絵だった。
何でよりによってこいつなんだ。
確かに顔は可愛いがこいつに喰われるのだけは嫌だ。
それは、血縁の姉妹には性的感情を一切抱かないと同じである。
もし、神に会えるのであれば何としてでも弱みを握りそこかしこに言いふらしてやる。
しかし、俺は基本的に無神論者だ。
いないものに対して怒りをぶつけるのは効率が悪い。
だから今はいかにして自分の力で喰いのパターンを回避しなければならないかが焦点だ。
落ち着いて自分がいる場を確認しよう。
今日の{夢}の内容は追浜 叶絵の弁当箱の中にいる状況だ。
さて、スタート地点の状況の整理といこう。
{夢}の中で目を覚ますと(変な表現だがこんな感覚だからいたしかない…)、野菜が醸しだす特有の匂いとその匂いを含むずっしりとした湿気が充満した閉暗所の中だった。
ここは誰かの弁当箱の中か?
目が慣れると網のような切干大根の中にいることに気づく。
おかげで身動きは自由にとれそうもない。
こうなってしまっては、運が良くない限り高い可能性で「喰われ」であることは容易に予想できる。
急に景色が明るくなる。
明るくなった方面に顔を向けると、整った顔立ちの女の子が弁当箱の中身を覗きこんでいた。
「うわっ、すごーい。叶絵、いつも自分で作ってるんでしょ?」
聞こえた声は、いつも追浜と一緒にいる佐藤 麻里という女の子のものだ。
弁当箱を覗き込んでいたのは彼女だった。
「一個もらっていい。」
佐藤 麻里の声とともに目の前に巨大な一対の柱が降りかかる。
それは、彼女の箸だった。
佐藤 麻里は、箸でニンジンの煮物をしっかりと掴むと口へと運んだ。
途端に俺より大きかったニンジンの煮物は彼女の口の中で跡形もなく形がなくなり、咽喉を通った。
「うん。やっぱり叶絵は料理上手だね」
「もう。そんなこと言って、おだてても何も出ないよ」
追浜 叶絵の照れたような笑い声が弁当箱の中に響き渡る。
「へへへへ。」
佐藤 麻里はいたずらっぽく笑っている。
どこの高校にもある昼休み中の女の子同士の何気ない会話の風景だった。
しかし、そんな女子同士の楽しい会話の場の真ん中にある弁当箱の中に小さな人間がいることなぞ2人の美少女は知らない。
もちろん、この小さな命の生殺与奪の権利を握っていることさえも…。
かわいいデザインの2人の箸も今の俺にとってはギロチン台への階段だ。
あれに掴まれたら九分九厘死ぬ。
2人のどちらかの美少女に殺される。
それも全くの殺意のない、彼女達にとっては昼食をとるという日常的な習慣の中で、だ。
全く…こいつらのファンの奴らと変わって欲しい。
追浜 叶絵と佐藤 麻里、2人の容姿に関する噂は入学後すぐに話題になった。
また、俺のクラスの女子達のレベルの高さも瞬く間に学区内に広まったらしい。
でも、今、俺が強調したいのはそこではない。
大事なのは今までとは明らかに見る{悪夢}の{2つの設定}が明らかにおかしいのだ。
その{2つの設定}とは………。
一つ、出てくる女の子は俺自身が気になっている女の子であること。
そして、もう一つは、事の事実が全て現実の世界に即しているとのことである。
この二つ目の事に関しては詳しい説明がいるだろう。
この現実に即している事案とは、法律や昨日起きたニュースなどの全国的な物から俺の近辺の人間関係まで全て網羅されている。
通常、一般的に夢の中はカオスフルな破綻した世界であることが常識なのに対し、この{夢}の中では俺の大きさ以外は全てが常識通りなのである。
言い換えるなら、常識では夢の世界は非常識な世界。
しかし、この非常識な{夢}の世界は常識的な世界が運用されているのだ。
つまり、夢の中とは言え実際に生活している世界が忠実に再現されているのがこの{夢}の特徴。
言わば現実の延長線上でもあるのだ。
だが、高校に入学して初めて見た満月の夜の{夢}は、この二つの絶対条件をいとも簡単に崩した。
まず、俺は追浜 叶絵と佐藤 麻里に対して一切の恋愛感情を抱いていないことだ。
なのに、出てきたのがこの2人である。
俺は、深層意識の中で美少女二人組みと噂されている彼女達を意識してしまっているのか?
これだと、俺は可愛ければすぐに好きになってしまう惚れっぽい軟弱な野郎って事になってしまう。
俺ってそんなに甲斐性無いの?
自分で自分がわからなくなる。
そもそも、今までは出てきた女の子は必ず一人だけだった、それがたとえアイドルグループだろうとその時に一番俺がイチオシにしているメンバー一人だけといった具合に、である。
だから、このように二人の女の子が出てきたのは初めてだった。
何故だ…?
少し暴走してしまったか……、なのでこの点を置いておいて、大事なのはもう1つの設定についてだ。
弁当だ。
弁当の事がどうしても気になってしまう。
あいつの弁当は美絵さんが作ってるんだろ?
この時点で現実の延長線上では無くなってしまっている。
なのに、佐藤 麻里は追浜 叶絵が作っているような口ぶりだった。
仮に、現実の世界では弁当を追浜が弁当を自分自身で作っていると触れ回っている、と仮定し、それがこの{夢}の中でも再現されているとしよう。
でも、そんなことで嘘をつく必要があるか?
それに、俺が知っている限りあいつは嘘をつけない性格のはず…。