ナイトメアトゥルー
突然の出来事に体が硬直している俺に対し、追浜 叶絵はもう着席していて、すでに次の女の子が自己紹介を始めていた。
そそくさと視線を戻し崩れかけた体勢をなおす。
こんな時に冷静になれるだろうか、いや、なれない。
心拍数のリズムが速い。
勝手に上がり続ける体温。
落ち着け、落ち着くんだ。
言わば兄妹もしくは姉弟といった関係だったじゃないか。
冷静になれ!!
冷静になるにはどうすればいい!?
そうだ!予習していた化学元素の語呂合わせを思い出そう。
ふっくらぶらじゃーあいのあと。
………。
何で、これが真っ先に浮かんだんだ…。
余計に心拍数が上がる。
えぇい。落ち着け。
…。
水兵離別、バックの御船…………かわいい彼女。
ふぅ。
ようやく4月の気候が涼しく感じるほど体温が下がり始めた。
そして、心拍数が元に戻る頃には、全員の自己紹介が終わっていた。
落ち着いたのであればまた追浜 叶絵と再会した気持ちを反芻できる。
うわっ、こんな事ってあるんだ…。
まさか再び同じ学校に通うことになろうとは。
しかも、同じクラスで、だ。
偶然にも神がかり過ぎているよ、マジで。
とにもかくにも、この教室という密閉空間の中において、二度と会う事の無いと思っていた幼馴染と再会した。
幼馴染との再会。
繰り返し言葉にしてみても衝撃的なこの事案は、必死に自身の心の中に押し込めようとしても、その他の事柄が頭に入らなくなるほど強烈なものだった。
入学式後のホームルームは自己紹介の他に大切な事を色々と説明する時間だ。
それでも頭に入らない。
自由時間にスポーツ推薦の男子生徒が話しかけてきた。
会話の内容が頭に入らない。
追浜 叶絵以外の女の子に目を向けてみる。
頭に入ら…いや、入る。
むむむぅ、ここ女の子のレベル高いなぁ。
外れがいない。
特に印象に残るのは、クラスの委員長になったメガネの女の子と第二次性徴にて得られるはずの女性特有の丸みを帯びていない見た目が小学4,5年生くらいのツインテールの女の子。
他にもセミロングの子やミディアムヘアといった具合に美少女の百花繚乱だ。
満月の夜のあの悪夢さえ無ければ高校生活は楽しい物になっているはずだったかもしれない。
悔やまれる。
本日は入学式なので学校は午前で放課となった。
※
入学して数日が経った。
本日の月齢は14日。
月がまん丸の一歩手前となる日。
俺にとっての憂鬱の日が明日に迫った日でもある。
昼休み、昼食をとろうと机の上にコンビニで買ったパンを置くと、追浜 叶絵が話しかけてきた。
実は入学後、これが初めての追浜との会話だった。
昔は気兼ねなく話せたのに、この年齢になると中々タイミングをとりづらかったこともあったからだ。
しかし、そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、彼女は元気良くまくし立ててくる。
「あぁ~あ、いすみん、今日もまたこれだけなの?
これじゃ、体壊すよ。
お母さんにいすみんの事話したら、これを食べさせてあげなさいだってさ。」
小学校時代のあだ名で俺のことを呼ぶ追浜 叶絵はお洒落なナプキンに包まれた弁当箱を机の上に置いた。
「あぁ、うん、…。」
言葉が出てこない。
急に話しかけられると何を言えばいいかわからない。
すでにもう追浜はクルリと踵を返し女友達の元に歩いていっている。
呆気にとられながらその後姿を眺めていると、再び追浜は体をこちらに振り向けた。
振り向くなり指を差してくる。
「もう…。お母さんたら勝手に作るんだから…。
そうゆうことだから食べ終わったら、そのナプキンに包んで私の机の上に置いてね、じゃ。」
と、可愛げも無しに言った。
「あぁ、はい。」
あまりにもの勢いにただこのような生返事をするしかない。
……。
何だよ、自己紹介の時、少しでも可愛いと思った気持ちを返せよ、
やっぱ、あいつは可愛くねぇ。
と、思いながらも、最近、あの悪夢が頭から離れない事もあってか偏った食事しか摂っていなかったのでこれは正直嬉しかった。
ナプキンの結び目を解き弁当箱の箱を開ける。
「おお。」
つい、感嘆の声をあげてしまった。
その中には、弁当の中身の定番とも言える冷凍食品が一個も使われていないのである。
しかも肉に煮物に野菜と栄養バランスに配慮した色彩豊かなラインアップであった。
食べるのがもったいないと思う程である。
「まぁ、美絵さんは料理上手だからな」
美絵さんとは、追浜 叶絵の母親にあたる人物。
高校生の子供がいるにしては比較的若い人で、確か歳は今年で34か35ぐらいだったはず。
補足ではあるが、小学校の授業参観の時クラスメートの父親達が彼女目当てにやってきたほどの美貌の持ち主でもある。
そして……触れにくいことではあるが……未亡人でもある。
ある朝、彼女の夫、すなわち追浜 叶絵の父親は眠りから目を覚まさず、突然、この世を去った。
酒も煙草も博打もやらず、休みの日はスポーツで汗を流し、ましてや美絵さんの手料理を食べることができるという生活習慣病とは一切無縁そうな生活をしていたにもかかわらず、ある日突然彼は帰らぬ人となった。
死因は未だに解明されていない。
……………。
まぁ、今はそんな辛気臭いことを考えることはない。
美絵さんがエプロン姿でこの弁当を作ってくれたことを想像しながら舌鼓を打つ。
うん。
期待以上に美味い。
あっと言う間に弁当箱の中身は空になっていた。
弁当箱のフタを閉め、ナプキンで再び包む。
追浜の席に視線をやる。
しかし、追浜の姿は教室の中には無かった。
これじゃ弁当箱返す時に弁当のお礼言えないじゃん…。
まぁいいや、タイミング見計らって言うか。
でも、実際に作ってくれたのは美絵さんだし…。
と、どの頃合いでお礼を言おうか思考を張り巡らしながら、追浜の机の上に弁当箱を置いた。
「近い内にあいつん家でも行くか。」
人に聞こえないような音量で自分に言い聞かせるようにそう言った。
その日は、そんなこんなで俺の栄養不足が幾分か改善された日だった。
そして、部活動に入っていないこともありそのまま残酷に時間が流れ、翌日になった。
とうとう来てしまった。
高校に入って初の憂鬱の日がやってきた。
そう、満月の日である。
あの悪夢を見る日だ。
この日は一切、食欲が湧かない。
だから、今日はコンビニでパンすらも買わなかった。
よって、昼休みになっても机の上には何も乗せていない。
すると、今日もまた追浜が俺の机を叩く。
「あー!いすみん。
今日、お昼どうしたの?
あ!もしかして、今日、寝坊してコンビニに寄る時間無かったんでしょ?
大丈夫よ!
今日は、お母さんが弁当用のおかずを作りすぎちゃたから、今日もまたいすみんの分を作ってくれたんだよ。
だから、はい。」
と、俺からの昨日のお礼を挟む余裕すらも与えず、一方的にまくし立て机の上に弁当を置くと昨日と全く同じ行動とセリフをとった。
まるで、再現VTRを見ているかのごとくで、俺が記憶障害であればデジャブのように感じてしまっていただろう。
そして今日もまた瞬く間に追浜は教室から姿を消した。