生きる意味… 父親からの性的虐待の心の傷
一緒に寝てくれるのを断りましたが、なんだかんだと理由をつけてわたしのベッドに入ってくる父親。元はと言えばわたしが幽霊が怖くて1人でベッドに行けなかったことがはじまりです。遠慮がちに断ることしかできませんでした。
ある時明らかに父の手を見ました。わたしの股の上に置いていました。
それからしばらくして、夜中怖い夢をみました。目が覚め1人でまた怖くなり、両親の部屋にいき布団にもぐりこみました。わたしが父親に背中を向けて寝ていました。
なにか固いものがお尻にあたってきました。それからどんないきさつでかはハッキリ覚えていませんが、気がつくと仕事で早く帰ってきた日はわたしのベッドの中で父親に胸を揉まれ、股の間を舐められ…
母親が突然入ってきたこともあります。母親はわたしの布団の下の方に潜り込んでる父親を見て『何をしてるの?!』と叫び声にも似た声を上げたことがあります。
父親の慌てて出た言葉
が『ゆかがお腹が痛いと言うから見てあげてたんや!』とゆう支離滅裂な言い訳でした。それも怒鳴りながら…
それでもわたしはこのことがそれほど可笑しいこととは思っていませんでした。娘の胸や股の間を舐める父親はたくさんいるしよくあることと何度も言われてました。でもお母さんに言うとヤキモチを焼くから言わないでおくように口止めされていました。
わたしの家庭はNHK以外のテレビは1日30分と決められていました。そんなところもわたしの世間知らずの原因なのでしょうか…
そんな世間知らずの娘は父親には都合がよく行為は少しずつエスカレートしていきました。
中学1年生の頃
中学に入る頃には最後の一線もこえて日常的に行為は繰り返されていました。母親はあの日以来わたしの部屋にはこなくなりました。
体も少しずつ大人になっていっていたのか気持ちよく思うようになっていました。母親が旅行でいない間は何時間もそんな行為をしてわたしは父親と何か共通の母親への隠し事でつながっていて少し優越感さえ覚えるようになっていました。
表面的には5年生からこの頃までが、家庭でも父親の暴力は激減して平和でした。
わたしにも優しくしてくれていたと思います。
これで良いのだ。と思う反面、本当にこんなことはどこの家庭でもよくあることなのか疑問に思うことも増えてきました。
友達は好きな男の子の話を一生懸命しますが、父親のことは一切いいません。ある日、わたしは勇気を出して親友に聞いてみました。
『私はお父さんと裸で寝ていろんなことするのだけど、みーちゃんちもそんなことする?』て…友達はすっごく驚いた表情をして『何を言ったの?!』って。わたしは慌てて『ウソウソ、冗談!』と笑いました。
中学2年生の頃
それから数ヶ月間、父親との行為が続けられる中で、私は今までのことを振り返りました。母親に対して優越感を持っていたこと。父親がわたしに幼少期からしてきたこと。
たぶんその頃、保健の授業で性教育とかもあったと思います。
それでやっと私は間違っていることに確信をもって気付きました。そこからは積み木崩しです。
絶望感と嫌悪感とに襲われました。暗闇にどんどん落ちていくもうわたしは一生どうしてもこの汚い汚れた体を許すことが出来ない。醜い自分。
母親に強い罪悪感。どうして嫌と泣き叫ばなかったのかと自分を責めました
このことを母親に知られてしまうとわたしはこの家に住めなくなる。隠しておかないといけない。心の葛藤は日増しに大きくなっていきました。死んでしまおうとも何度も思いました。でもその勇気がわたしにはもてません。
もうなにがどうなってるのか頭の中で、グルグル渦を巻いていました。現実を受け入れられない自分が一番大きかったように思います。
中学3年生まで運動部に入っていたので部活の時間、友達と一緒の時間はまだ良かったように思います。家に帰って友達といない時間が現実に戻されたまらなく考え込み苦痛でした。
中学3年生の頃
この歳になりわたしの反抗期がはじまりました。部活も夏で終わりそこから自暴自棄になっていきました。中学を卒業したら仕事をして家を出ようと思いました。親の世話にならなくても生きていける。と思いました。
そうなればもう父親のことも怖くなくなり何を言われても反抗的な態度をとるようになりました。母親からも何か言われたら、この人はなにも知らずにお気楽なもんだ。とも思うようになってきました。独りで悩むのも辛い思いをするのも嫌になりました。
父親を悪者に思うようになっていきました。相変わらず自分を汚く自分も悪者だと責める気持ちもまだありましたが、父親に対する恨みが強くなっていきました。
勉強もこの頃から全くしなくなりました。それまではどうにかして親にほめられたいから嫌いな勉強もそこそこして成績もそんなに悪くなかったと思います。
受験でしたがわたしは中学を卒業したら仕事するつもりでいましたし、その当時いう不良仲間と一緒にウロウロするようになりました。
先生にも反抗的な態度をとり、全ての大人が嫌いになりました。
自分の人生なんてどうでもよくなっていきました。
そんな中学3年の半ば頃、母親に置き手紙をして家出をしました。置き手紙の内容は父親にされたことを書きました。
その家出は1日で連れ戻され終わりました。
家に帰ってか母親に手紙の内容を問いただされました。母親が可哀想に思い、一線を越えてることを少しだけ話をしました。
わたしにとっては少し話ただけでも当然、母親は私をかばってくれると思いました。離婚してわたしと2人で生活していってほしいと懇願しました。
それが違いました。母親はそんなことが世間にばれたらこの家に住めなくなるどころか父親は仕事もなくなりご飯も食べられなくなるので、あなたは誰にもしゃべらずにと口止めされて、はっきりと、父親と離婚する気はないと言いました。
わたしの妄想であるかのようにその後も言われました。少しのことを大きく捉えすぎてるのだと…父親に上手く言いくるめられたのだと思いました。
わたしはこの時から母親もわたしにはいないと思うようになりました。
元々厳しく育てられ、甘えることを許されない家庭だったので、まだ良かったのかもしれません。
わたしが唯一甘えられる大人は母方の祖母でした。悩み抜いた末、県外に住む祖母に電話しました。祖母に泣きじゃくりながら話すわたしの話をどこまで理解してもらえたのか分かりませんが、肯定も否定もせず聞いていました。それから何日後かに祖母からわたしに電話がありました。『怖い夢やったんやね。すぐに忘れられるよ』と・・母親が電話で祖母に何か言ったのか、祖母も信じなかったのかは分かりませんが、わたしはこの先一人で死ぬまで苦しみ戦い続けていかないといけないことは、はっきりと分かりました。
わたしには親なんていないし、必要ないと思うようにしようと心に決めました。
3年の時はほとんど勉強しませんでしたが、それまでの勉強でなんとか高校には進学できました。
高校3年間
作品名:生きる意味… 父親からの性的虐待の心の傷 作家名:ゆか