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生きる意味… 父親からの性的虐待の心の傷

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〈 はじめに 〉

わたしは書くと言うことに対しまったくのド素人で文章力も表現力も広くはございません。
何を伝えたいのかわからない意味不明なこともたくさんあると思います。
でも一生懸命、真実を伝えたいと思っております。

途中、気分を悪くしてしまうような文書もあると思います。
わたしと同じ様な境遇にあわれた方は、読むことでフラッシュバックすることもあると思います。

そのような誰もが信じがたい目を背けたくなるようなことが、一見幸せそうに見える家庭にもあること。
近親者による性的虐待があるという事実を知ってもらいたく投稿を思い立ちました。

そのほとんどが家庭とゆう塀の中で固く封印されていること。実際、わたしも頑なに世間には隠したまま平和な家庭を装って43年間生きてきました。

わたしの子ども達もまたも何も知らず疑いもせず、祖父と祖母を慕っています。このことが子ども達に知られてしまうとどう思われるのかと考えてしまってとても不安です。

祖父と母親との間に肉体関係があると知ったときわたしのことを愛してくれている子ども達は…
と、考えるとこのまま黙ったままの方が…

いくら考えても答は見つかりそうにありません。




でもどうしてもわたしはこのことを1人でも多くの方に知ってもらい少しでもわたしのような被害を未然に防ぐために隠すのはやめにします。

どうか子ども達からさそんな話を聞くことがあれば、最初はびっくりすると思います。でも事実から目をそらさず信じてあげて下さい。しっかり抱きしめて話を聞いてあげて下さい。




わたしは幼稚園のころから中学生まで父親に性的虐待をうけて育ちました。母親に救いをもとめましたが、味方にはなってもらえず、わたしが周りの人に言うことを強く脅しとめました。

気がつくと43歳。今もまだわたしは母親に言われたように沈黙を守りこの偽りの家族をかばい続けています。でももうそれはやめにします。そんな自分にウソを演じて過去を無かったことにしてしまうと幼児期の私がかわいそうです。彼女の為にもわたしは現実をうけいれたいと覚悟しました。
そして1人でもわたしのような被害者を増やさない為に



幼少期
わたしへの性的虐待は5歳からはじまりました。もっと前からあったのかもしれません。わたしの記憶が正しいのかどうかはわかりませんが…
わたしの家は父親、母親、わたしの3人家族です。父親は一流企業のサラリーマン、母親は専業主婦です。父親の言うことは全て正しく母親はそれに100%従い少しでも口答えすると10倍、100倍と荒々しい口調で怒鳴りつけるという光景を幼い頃から見て来ました。
母親は影で泣きながらも父親に従っていましたし、頼っていたと思います。
父親が白いものを黒と言えば母親も声を揃えて黒といいます。それはわたしに対する子育ても同じでした。幼心に絶対に間違ってること言ってる。って感じても2人がかりで言われると言い返しようがありませんでした。わたしが父親の言うことを聞かないと母親に『お前のしつけが悪い』と怒鳴りときには平手打ちわたしもよく平手打ちで頭を叩かれてました。
そんな父親でも凄く楽しそうに遊んでくれた思い出があります。母親がいない留守のときにわたしとするジャンケンゲームです。
わたしが、ジャンケンに勝つとお菓子をもらえます。父親が勝つと…(ジャンケンゲームのときはわたしはパンツを履いていません。)父親はわたしの股の間を舐めます。
わたしはくすぐったくってちょっと嫌でしたが、勝ったらお菓子をもらえるので何回もジャンケンしました。5歳の子供がそれが何なのかはわかりませんよね?母親には言ってはいけないと子ども心に何となく思いました。
いつも苛々して不機嫌な父親が嬉しそうなので、このゲームは母親の留守のときは繰り返されました。ある時、なにか母親に隠し事をしているようで、罪悪感をもち母親にジャンケンゲームのことを話ました。母親がどう返事したのかは記憶にありませんが、軽くながされたことは覚えています。
その様子で対して気にすることはないのだ。と思ったことは覚えています。

そのころわたしの家庭では寝る前に父親にキスをしないといけないことになっていました。その理由が、父親はわたしが生まれたころアメリカに転勤で2年ほどいっていてそこでお世話になった家庭がおやすいなさいのキスをしてて和ましかったからという理由です。さすがにキスは子供ながらにイヤでした。口が臭く嬉しそうな顔をしてもらえても臭いのはたまりません。でもそんなことを言ってもわかってくれる父親ではありません。口はいやなのでほっぺで許して欲しいと懇願しました。
それでも許してはもらえませんでした。
母親はそんな様子に口出しもせず見ていました。



小学生三年生頃
父親はわたしの裸の写真を撮りたいと何度もいいました。そのころにはわたしも少しずつ恥ずかしい気持ちも出てきて『写真なんか残るものなのに絶対嫌だ!』と反発しました。
父親の撮る理由は『子供の頃の身体は汚れてなく奇麗だから今、写真におさめとくとわたしが大人になって絶対感謝するときがくかる。お前はまだ子供だからその意味がわからないだけ』と言っていました。
今も実家にはそのおぞましい写真がアルバムにあります。わたしは、そのときからみる気にもなれず、大人になっても見たいと思ったことなんて一度もありません。
わたしの子ども達が『おばあちゃんちにお母さんの裸の写真あったよー』って言ってきました。わたしは苦笑するしかありませんでした。
どうしてその写真をわたしや子ども達の目につかないところにしまってないのかと、母親のデリカシーの無さに唖然としました。
小学校にあがってから4年生くらいまでの間は性的虐待は無かったと思います。
言葉の暴力や肉体的暴力は相変わらず自分の気まぐれで有りましたが・・・
お風呂は父親が仕事で早いときは一緒に入らないと叱られていました。お風呂の中では常に父親のものは大きく大人の男の人は常にそんなもんなんだと思っていました。温まると膨れるものなんだと…



小学5年頃
わたしは小さいときから凄く怖がりで毎晩ひとりでベッドに行くのが苦手な子供でした。でも、8時に寝るように決められてましたので、いつも渋々ベッドに入ってました。
ある日、怖い幽霊が出るテレビをみました。そのテレビは何だったかは覚えていませんがトイレも行けずベッドにも行けず、そんな様子を見て父親が一緒に寝てくれるといいました。そのころには父親の暴力的なとかころが大嫌いでしたが、仕方なく一緒に寝てもらうことにしました。
嫌いな父親でも横に大人がいるというだけで、幽霊が出ても助けてくれると安心して眠りにつきました。それからなぜか毎日のように仕事から帰ると晩ご飯も後回しでわたしが寝付くまで一緒に寝てくれるようになりました。
ある日なにかもぞもぞする気がして目が覚めました。胸のあたりに人に触られた温かさが残っているような気がしましたが、隣に寝ている父親も寝入っているようで自分の勘違いだったのかと…そんなことがよくあるようになって胸や股のほうに変な触られたような感触が残ってなんか気持ち悪く感じました。