アインシュタイン・ハイツ 102号室
Scene.3-1 西崎一希2 1
四月半ばの桜の季節、「道場恒例のお花見会があるから、カズちゃんもいらっしゃいな」と悠子から電話があった。
悠子の家の裏手にある、俺が七歳の頃から通っていた合気道場の庭には見事な桜の木があり、毎年それが満開になるこの時期に門下生やご近所さんを集めて花見会を催すのは、道場の大事な恒例行事である。誘われた日は丁度ハイツの花見会も催される予定だったのだけれど、「地元の友達に顔見せて安心させて来いよ」という叔父の勧めもあって、俺は久しぶりに地元へと帰ることにした。
春の日差しのうららかな午後。もう目に懐かしい景色となっている地元の駅の改札口を出ると、そこには悠子と他にも数人の道場仲間が居た。皆小学校の頃からの友人たちで、両親の葬式の後、不意に行方をくらましてしまった俺を心配して、皆で迎えに来てくれたものらしい。
なんとも照れくさい歓迎を受けながら、会場である悠子の家の庭まで行き、俺の合気道の先生でもある悠子のおじさんに挨拶してから道場仲間たちの花見の席に混ざれば、そこでも俺は予想外の大歓迎を受けた。
離れていたのはたったの一ヶ月半程度だが、やはり景色と同様、俺には皆妙に懐かしい顔に見えた。
「カズ!!なんだよお前、行方不明ってどこで何やってたんだ」
「悠子は親戚のおじさんとこで住み込みの家事手伝いやってるとか言ってたけど、それマジなん?」
「つかお前、痩せたんじゃね?飯食ってんのかよ。おい、誰かカズに食いもん持ってきてやれ」
「まぁとりあえず飲め飲め。先生たちのテーブルから、伊藤がビールちょろまかしてきたんだ」
突然孤児になってしまった俺に対する皆の扱いが、腫れ物に触れるようなのはある意味仕方ないだろうが、それが嫌味でないのは、やはり付き合いの長さ故だろう。
両親が死んでからこっち、悠子以外の友人の誰ともろくな連絡を取っていなかったので、積もる話なら山ほどあった。そうして運ばれてきた皿に山盛りになった料理をつまみながら、ジュースや大人たちの席からこっそり拝借されてきたビールなどを散々飲んで、いい加減酔っぱらった俺が悠子にそっと袖を引かれたのが、宴会も最高潮に盛り上がった頃だったか。
「カズちゃん」
トイレに立った俺を物陰に呼び込み、珍しく神妙な顔をしていた悠子は、駅まで俺を迎えに来たときはブラウスにジーンズという普通の格好だったくせに、今は一目でよそ行きと分かる白いワンピースを着ていた。
あんまりにもまじめな雰囲気だったので、さては告白でもされるのだろうか、と一瞬考えてはみたのだが、常に最悪の斜め上を行く悠子に、そんなドノーマルで予想しやすい展開が期待できるわけもない。案の定、俺が「どうした?」と聞くと、「告白とかじゃないから安心してちょうだいね」なんてにんまり笑われたので、俺はやっぱりな、と息をついて悠子を見下ろした。
「最初からそんなのは期待してませんでしたけどねぇ……んで?お姫様は俺になんの用事なの?」
「用事っていうか、ちょっと話しておかなきゃいけないことがあって……ちょっと一緒に来てくれるかしら」
手招きに応じて、てくてくと歩きだした悠子の後ろをついていくと、悠子は道場の生け垣の隙間――……俺が小さい頃、道場に通うための近道にしていた細い抜け道を通って、俺の家の方へと足を進めた。
洒落た鉄筋コンクリート建築の二階建て。今はもう電気もガスも止められて、ただの空き家になっているかつての「俺の家」は、傾きかけた太陽の光を背負って、青空の中に黒々と佇んでいた。たったの一ヶ月人が住んでいないだけで、家とはこんなによそよそしくなるものか、と思わず呆然と我が家を見上げている俺を後目に、悠子はさっさと玄関まで歩いていき、ポケットから取り出した鍵でがちゃがちゃと鍵を開ける。
「お父さんがね、話すならわたしからの方がいいだろうって言うの。大人の口から言うと、必要以上に悪口になってしまうだろうからって。だから、言おうかどうしようか迷ったのだけど、黙ってたって分かってしまうことだし、それなら今言っておいた方がいいと思うから、言っておくわ」
何故悠子が俺の家の鍵を持ってるのだろう、と一瞬疑問に思ったのだが、亡くなった母が万が一の時のためにと、個人的にも仲のよかった的場のおばさん……悠子の母親に家の鍵を預けていたことを思い出した。悠子は母親からそれを預かってきていたのだろう。開け放たれた玄関のドアを前にして手招く悠子に応じて、何となく気後れしながら玄関へと歩いていき、他人の家を覗くようなよそよそしさで中をのぞき込んだ俺は、次の瞬間ぎょっとして、思わず大きな声を上げてしまった。
「うわ!?」
家は、有り体に言えば「めちゃくちゃ」になっていた。
埃だらけなのは仕方がない。一ヶ月放置されていた家なのだから、ある意味当然だろう。だけれど玄関先にいきなりどどんと、両親の寝室に置いてあったはずの桐箪笥が置いてあるというのは、これは明らかに異常だ。それだけじゃなく、ソファやテーブル、テレビなんかの電化製品が廊下に山積みになってるなんて、普通にあり得ないだろう。
「うわー……なんだこれ……泥棒でも入ったか?それにしては派手っつーか、乱暴な泥棒だなぁ」
「いやあね、カズちゃんてば発想が相変わらず貧困なんだから。泥棒なんかじゃないわよ」
俺が家出をする前、家の中は両親が生きていた頃のようにきれいに片づいていたとは言わないけれど、それなりに整ってはいた。多少の埃は被っていたかもしれないし、伯母さんが我が家の通帳や実印を探して泥棒顔負けの家捜しをしていたので、ある意味散らかっていても少しもおかしくはないのだが、少なくとも家具類や電化製品はきちんと所定の位置に収まって居たはずだ。
さて、俺が家出をしていたこの一ヶ月の間に、嘗ての我が家に一体何が起こったのか。俺が呆然としながら呟くと、悠子が珍しく怒ったような顔をしながら、ふんと鼻から息を抜いた。
「昨日ね。カズちゃんのおうちからテーブルとか、タンスとかを運びだそうとした人たちが居て。お母さんが見つけて、お父さんがお話を伺いに行ったら、カズちゃんの親戚の人だって言うのね。遺品整理でいらない家具を売るんだって仰るから、カズちゃんに了解のあることなんですかってお父さんが聞いたら、カズちゃんも承知の上だって言うの」
無人の家の門にいきなりトラックが横付けにされたのは、昨日の朝もかなり早い時間だった。
気づいたのは、早朝稽古にやってくる門下生の為に道場の門を開けていた的場のおばさんである。その頃俺が叔父の家に転がり込んでいたことを悠子から聞いていたおばさんは、最初それを見て、俺が家に足りない家財道具でも取りに戻ってきたのだろうと思ったらしい。
しかし、家の鍵を開けて中に入って行った人たちが、真っ先にリビングのテーブルセットを荷台へ積んだのを見て、おばさんは最初の自分の考えが間違いであることを直感した。あわてて道場の中にとって返したおばさんは、稽古の準備中だったおじさんに事の次第を報告し、おじさんが次々と家具を家から運び出している人たちに話を聞きに行くと、なんとその人たちは俺の親戚だと名乗ったのだと言う。
作品名:アインシュタイン・ハイツ 102号室 作家名:ミカナギ