双子エピソード
ヴァイスの旅立ちと別れ(レイス)
ある日、ヴァイスは突然俺の前にあの一枚の紙切れを突き出して言った。
「レイス! 俺明日から冒険者やることにしたぜ!」
それはとても懐かしい紙きれだった。俺たちがあの街を離れたのはもうだいぶ前の事ではあったけれど、よく覚えている。
ゴールデンロア。冒険者の集う街。その酒場で受ける仕事は一筋縄ではいかないものばかり。一つ間違えば死を免れない。
俺も昔はその街で同じような仕事を請け負っていた。ヴァイスが子供の頃には、もう冒険者はやめていたが、あの街には多くの知り合いもいたし、俺はそこを気にいってもいた。
離れた理由はいろいろとあるが、今も懐かしいと思うのは、正直な思いだ。こいつも、もしかしたらそう思っていたのかもしれない。
それに気がつけばヴァイスもだいぶでかくなった。もう、そろそろ俺達の元を離れて行く時なのかもしれない。止めたって無駄だろう。こいつも相当、決めたら譲らない性格だ。
「わかった。行って来い。けど、辛いからって泣いて帰ってくんじゃねぇぞ」
仕方ないと言ってやれば、そいつはまるで未だ子供のようにパッと顔をほころばせて、俺に抱きついてくる。まだまだ子供だって思うのに、年月ってものは俺達精霊の生きる時間においても、容赦がない。
「ありがとな! おふくろ!!」
だからって、その一言は、未だに、俺の心を深く抉ることには変わりはなかったのだが。
「ヴァイ。だからな。何度俺を母親と呼ぶなと言えばわかるんだ? お前はっ」
「ぎゃーーー!! いってぇ! いってぇって!!」
思い切り力任せにヴァイスの両頬をつねる。涙目になってギブアップを訴え始るまで容赦なくつねられたヴァイスの頬は見事に赤く腫れあがった。
これだけしておけばしばらくは懲りるだろう。しかし、抓られたヴァイス本人は、その頬をさすりながら不本意だと言わんばかりの目で俺を見て、そして言った。
「けど、それはレイスが悪いんだぜ? もとは人間の男のくせに親父と結婚してあまつさえ俺を『産んだ』んだから」
ぐさっと何かが俺の心臓に突き刺さった気がした。
「自業自得だってのに、子供に八つ当たりするのはキョーイク上よくないと思うぜ?」
「ヴァイス」
俺は家に置きっぱなしの昔愛用していた剣に手をかける。
「それ以上言うようならいくらお前でも、ぶった斬るっ」
「うわ、逆切れかよ! おお怖っ!」
さや走る音に慌ててヴァイスが家を飛び出す。それを追いかけ剣を振りかざす。
「英雄になったら相手してやるから待ってろよおふくろ!!」
「うっせぇクソがき! 二度と帰ってくんじゃねぇ!!」
まるで鬼ごっこでもするような逃げ方で、ヴァイスはそうやって家を出て行った。その背中を森の中に見送って、抜き身の剣を鞘にしまって、なんとなくため息をつく。
「息子に遊ばれてるようじゃ、ママも形無しだな」
「るっせぇクソボケ狼」
俺の背にのしかかるようにして家から出てきた相方が、煩わしくってたまらなかった。それでも振り払うのが無駄だとわかっているから、そのままのしかからせておくのだが。
けれどそんないつもふざけた男がその時は妙に物静かに訴える。
「予言しとくけどな、レイ。3か月だ。あいつはそこで耐えきれっかどうか、だな」
「どういうこと、だ、ヴァルディース……」
「そのうちわかる」
俺はヴァルディースのその言葉に首をかしげる。確かに冒険初期には脱落していく者も多いのは事実だが。あいつは精霊の中でも特別だ。そう簡単に消えたりはしないはず。
何も、俺は心配などしていなかった。けれど、それから3カ月。ヴァルディースの予言は的中した。
それはある雨の日。俺は家の外に一つの気配を感じた。気配を殺そうとしても、何かに心乱されているのか、消しきることができていない。
それが『敵』であったなら、俺はもっと早くから警戒していただろう。けれど、家を遠巻きに眺めるだけで、近寄ってこようともしないそれは、よく慣れ親しんだものだった。
家の扉を開け、雨の中を森の中へと分け入る。そこに、そいつはいた。雨にぬれるままに、ただ顔を俯かせてたたずんでいた。
「どうした。ちょっと英雄になるにしちゃ早い帰りじゃねぇか。ヴァイ」
ヴァイスはまだ顔を上げようとしない。その手に何かの証のような木の浮彫を握りしめて。それは自分も良く覚えていたものだった。冒険者組合が何かの区切りによこす『称号』だ。冒険に出て3か月やそこらでは『駆け出し』くらいしかもらえないはずだが、それをわざわざ見せにでもきたと言うのだろうか。この雨の中を?
「ヴァイ?」
何かがおかしいと気付くのは簡単だった。その手にきつく握り締めるにしては、最初の称号はそんなに重い物ではない。
ヴァイスがふと顔を上げないまま、その握りしめていたものを俺に突き出した。俺はそれに目を疑った。
「これは……、『生存者』? お前、まさか……」
それは俺も与えられたことがない。いや、周りにいた者だってほとんどそんな物を与えられた者はいなかった。
「誰も、助け、られなかった」
なぜ、こいつがずっと俯いたままなのか。雨の中にこの家に帰って来たのか、俺はその消え入りそうな声に、やっと理解した。
ただ一人を残して、全滅する。そういうことが、冒険の中では時に起こることがある。それは、冒険に出る者にとっては、とても悔しく、悲しいことなのだろう。その悔いを忘れさせまいとするのか、冒険者組合はわざわざこんな称号を与える。冒険において、一人だけ生き残った者の称号。それが『生存者』。
「ともかく、家の中に行くぞ」
「なあレイス、あんたも、こんな気分で冒険者なんかやってたのか? 一緒に笑って冒険行った奴らが、みんな、俺以外みんな……っ!」
叫んで肩を震わせるヴァイスを見て、俺はどうしてやればいいのか、それに戸惑っていた。
冒険に出ていた頃の俺なら、この感情は理解できなかっただろう。生きると言うことは、生き残ると言うことは、俺にとっては何の意味もなかった。だから、今も俺はこいつに適切な言葉をかけてやれる気などしない。けれど、何かはしてやらなければ行けないような、そんな気はした。
俺に出来ることはなんだろう。俺はヴァイスと共に行ったと言う仲間も知らない。もし、知っていたとしても、たいして重要には思わなかっただろう。俺にとって絶対に守らなければいけない存在は、ほんのわずかしかいない。それ以外は正直言ってどうでもいい。けれど、そんな言葉がこいつにとって救いになるとは、到底思えない。
「ともかく、なんかあったかいもんでも食ってけ。落ち付くぜ。ユイに何か……」
「……母さんの飯がいい」
俺はその言葉に、一瞬耳を疑った。
「いいのか? 腹壊してもしらねぇぞ」
「いい。けどいい加減、料理くらいマトモなもの作れるようになれよ」
「……うるせぇな、この野郎」
料理は、正直苦手だ。いつも隣に住んでる双子の兄貴のユイスにたよりっぱなしで、未だにマトモなものが作れる気がしない。
それでも、こいつが食いたいって言うなら食わせてやるしかないだろう。そう思って、どうしようもない知識と経験で頑張ったのだが、頭を悩ませて作ったそれを見て、タオルを頭からかぶったヴァイスは怪訝な目を俺に向ける。
「これ、なんだよ」
「食いたくねぇなら食うな」