双子エピソード
ただ、オレの背後にあった闇の中から、楽しげにほくそ笑む声が、オレに容赦なく命じるのを、あらがうこともできずに聞いているしかなかった。
やれ、と言う言葉が、オレの中に届いたと同時に、オレの目の前は炎に包まれた。
オレを抱きしめ、笑っていたはずの母さんが、オレの炎に包まれて、焼かれていったのを、ただおとなしく見ているしか、できなかった。
炎に包まれて、どんなにか苦しかっただろうに、それでもオレが炎に焼かれないことを見て、安堵して、最期に笑った。そのときの顔が、ひどくほっとしたような顔が、今でもどうしても忘れられない。忘れられるはずもない。そして同時に、そんな母さんを見て、滑稽だと嘲笑したあいつの声も、忘れられない。
その後、オレは、自分の体を半分以上ふっ飛ばすほどの暴走を招いた。それはさすがのヴァシルでも手をこまねいたほどだったらしい。
結局、それで実験は失敗だと判断された。不安定なままオレと結合したヴァルディースを引きはがすのもそれ以上融合を進めるのも諦め、あいつらはヴァルディースをオレの中に封じ込めた。
確かに、オレはあいつを憎んでいる。そして同時におそれている。あいつが変わったのだと言うことはオレにもわかる。でも、変わったとしてもまたもとに戻らないなんて言う保証はどこにもない。
そうじゃなくてもあいつは人の心を操る。変わったなんて言っても、その力がなくなったわけじゃない。ヴァイスがあの男になつく。それが怖くてたまらない。自分やヴァルディースだけじゃなく、ヴァイスが巻き込まれてしまったらと思うと、何よりそれが一番怖い。
でも同時に違うことも思ってしまう。
サーレスの、言葉を信じてやりたいとも、思ってしまう。
最初に奴がここにきた夜。オレは久しぶりにひどく眠れなくなって、外に出た。そしたら、あいつがいつからそうしていたのか、ずっと夜の空を見上げていた。
泣いていたようにも見えた。
自分の手を握りしめ、オレが時折そうしていたように頭を抱え、身をかき抱き、声を殺して叫ぶ。
そんな姿を目撃した。
あいつと自分のなにが違うのか、わからなくなった。
そのあと、オレの姿を見つけたあいつは、闇に溶けて、逃げるようにして消えていった。
その後は、夜にあいつと会うことはなかった。それでも、闇の中で息を殺して泣くような気配がどっからか感じられてはいた。
オレはどうするべきなのか悩んだ。ユイスはオレがあいつを拒絶したいのにできないんだと思っているらしい。でも、それは少し違う。
オレは、あいつをどうしたいのかわからない。不安なのは、その、自分の感情がわからないせいもあるのかもしれない。
それでも、自分で何とかすると言ってしまった。関わらないで済むのなら関わりたくはない。あいつは結局、人間ではない。
あいつのこぢんまりとした家の扉をたたく。中から何かがおびえるように身をすくめる気配と衣擦れが伝わる。しかし、返事はない。
オレは返事を待たずに中に足を踏み入れた。月の光があいつの家の中に差し込む。その奥で、洞窟の中でしていたのと同じように、あいつは身を縮めて、おびえを露わにしてこちらを振り返り、凝視した。
月の光を移した赤い目が揺らめく。その中に映ったオレの表情はいつになく険しい。ああ、これじゃぁだめか。そうは思うものの、無理に表情を変えようと言う気にもならない。
こぼれたのは、ため息が一つ。
それからあいつから視線をはずし、ユイスに持たされたポットを突き出す。
ポットの中身はまだ熱い。おおいをはずせば湯気がたちのぼる。
ヴァシルの表情がおびえから、いぶかしむような物に、少しだけ変化した。
「差し入れだ。ユイから」
おびえが消えて、きょとんとしたような表情になった。それでも受け取ろうと手を伸ばすことはせず、オレの腕は突き出されたまま。
ため息が再びこぼれて、オレは床に座り込んだ。その音と、ポットが地面におかれて鳴った音が、またあいつをこわばらせる。
いちいちそんなものにも反応を返すのも面倒で、オレは勝手に一人でユイの差し入れをあけた。ユイが煎れた茶と、軽い焼き菓子。酒とつまみじゃないところがあいつらしい。
けれど、こっちのほうが、たぶんコイツにもいいんじゃなかろうか。お互い酒で酔えるタイプでもないだろう。
「いらねぇのか?」
空のカップを顎でさして、ヴァシルを促せば、とまどうように、ぎこちない動きでかごに近づき、おそるおそる手を伸ばす。その仕草の最中もこちらを始終伺うようにしながらで、見ていてイライラとしてくる。
「別に、毒なんか入ってねぇよ。どうせ入れたところできかねぇだろうが」
吐き捨てるように言えば、か細い声ですみませんとかえってきて、またそれにいらっとする。
それでも、自分で注いだ茶に口を付ければ、そいつの顔は少し穏やかに和んだように見えた。どうやら、茶の味はわかるらしい。オレとは違って。
一杯目を飲み終えて茶菓子も半分ほどはなくなったころ、そいつは思いがけず自分から切り出してきた。
「私は、ここにいてはやはりご迷惑になります、よね」
空になったカップを見つめ、そいつはそう切り出した。夜中に以前会ったこと。その後もオレが夜な夜な起きて一人酒をしていること。当然のようにそいつも知っていた。
「何度も、出て行こうと思ったのですが……」
出て行くにも、ここに連れてきたのはサーレスだ。サーレスの命令はコイツにとって絶対なんだろう。サーレスを育てたのはこいつだが、コイツを作ったのがそもそも以前のサーレス。アルスってやつなんだという。だから、こいつにとってサーレスは生みの親、か、もしくはそれ以上の存在なんだろう。そんな相手の命令に、こいつも背くことはできなかった。
「それにこんなことを言ってしまうのは、レイス殿には大変申し訳ないと、思うのですが……」
そう、言い掛けてヴァシルはしかしまた口をつぐむ。
「言うんなら言えよ。どうせてめぇの言葉でいらつかないもんなんてねぇんだから」
これ以上不愉快になることもないと言い切れば、またそいつは申し訳ないと頭を下げた。
ただ、それがいつもと違っていた。ひざを突き、深くそいつは頭を垂れた。
一体何事だと一瞬ぎょっとする。今更また、こいつは改まって謝罪でもすると言うのだろうか。もう何度も謝られた。コイツの謝罪を聞くのは正直、飽き飽きするほどに、聞いていた。
「また謝る気かよ」
辟易していることを隠すのも面倒だった。どうしたらこいつはあのど外道からこんな卑屈になってしまえるのか。いいかげん、気持ちが悪い。
そう思って見下ろしていると、相手はオレの言葉を否定するように首を振る。
「違うのです」
違うという声が震えている。顔を上げもせず、俺の前に手を突いて伏せたままだが、また泣いているらしいのが、震える肩でわかる。
「何度も出て行こうと思いました。でも、できませんでした。サーレスが、ここにいるように言ったからと言うだけではありません。私が、ここを離れたくないと、思ってしまったからなのです。本当に、申し訳ありません」