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おもいで

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 驚いた、なんてものではなかった。表面上は誰もそんなそぶりを見せなかったが、皆が皆、自分の目を疑い、これは何かの間違いではないかと思った。おれもまた、順位表の上から二番目に転入生の名前があるのを見て、書き間違えたのではないかと思ったくらいだ。けれど、それは間違いでもなんでもなく、純然たる事実だった。
「おい。おまえいったい何やったんだよ」
 結果発表の後、クラスの連中――主に優等生たち――に囲まれていた転入生を引っ張り出し、おれはそう問い詰めた。
「え? 何の話?」
「試験のことだよ。劣等生のおまえがどうやって二位をとったんだ。何か不正でもしたんじゃねえのか?」
 信じられないというより有り得ないと思った。クラスの誰もがそうだっただろう。半年前、ダントツ最下位だった奴がいきなり二位を取ったのだから。
「まさか! 不正なんてしてない。二位だなんて自分でも驚いているぐらいなんだ」
 しらじらしく転入生は言う。
「君に言われてから、出来るだけ自力で勉強するようにしたんだ。自分で考える方が身に付いたよ。君のアドバイスがなかったら落ちこぼれのままだったかもしれない。本当にありがとう」
心の底から、とでもいう風に感謝の言葉を述べる転入生。それがなんとも言えず腹立たしくて、不愉快だった。
「おまえ、おれを馬鹿にしてるのか?」
「え?」
「馬鹿にしてるのかって言ってんだ。自分でやったら二位をとれましたってことは、おれが教えない方がいい点とれるようになったってことだろ」
 嫌味ったらしくそう言ってやると、転入生はあわてた様子で弁解する。
「違う! そういうことじゃない! 最初に色々教えてもらわなきゃここまでできるようにならなかった。君には本当に感謝してる!」
「あーそうかよ。感謝してるつもりなんだな。おまえは」
 感謝してるなんて薄っぺらい言葉だ。何を感謝するんだ? ガキでもわかるレベルの勉強を教えたことか? 『アドバイス』とかいうのをしたことか? そんなこと感謝されても嫌味にしかならねえんだよ。いい子ぶってないで自分で努力したからいい点を取れましたって自慢すればいいくせに。馬鹿馬鹿しくなったおれは、腹いせに手近な椅子を蹴っ飛ばしてから、教室を後にした。

 この馬鹿正直な人間に不正なんて発想がないことくらい分かっている。
 結局のところ、この転入生は優秀だったのだ。たった半年で、身分制度の最上位に上り詰める実力を持っていたのだから。
 そのことに、おれは失望した。

 転入生はそれからもトップクラスの成績を取り続けた。それだけではない。一年もしないうちに、今度は運動技能でもトップの成績をとった。あの妙な喋り方も、とってつけたような作法も、いつのまにか完璧なものになっていた。これで他の奴らと同じように傲慢であればまだ良かったのに、あの転入生は反吐が出るほど謙虚でお人よしだった。
「おーい。お前も教えてもらったらどうだ?」
 休み時間に暇を持て余していると、劣等生の一人が親しげに声をかけてきた。イライラしながらもそっちを向くと、あの転入生がクラスの最下層の奴らに囲まれてノートを広げている。おれに声をかけた劣等生も取り巻きの一人だった。
「・・・何してんだよ」
「分からないところ教えてもらってるんだよ。こいつの説明分かりやすいよ。お前も教えてもらった方がいいんじゃないか? 万年最下位なんだしな」
 劣等生の一人がからかうようにそう話す。締まりのないその顔に椅子でも叩き込んでやりたい気分になった。
「んなもんいらねぇよ。必死になって勉強してもあれだけの成績しか取れないおまえらと一緒にすんな」
「なんだと!? お前も同類だろ!」
「おれは手抜いてるんだよ。テストの点数だけ良くしたって何の役に立たねえからな。それに、おれはおまえらみたいに優等生に尻尾ふってまで知識を恵んでもらいたいと思うほどプライド低くねえよ」
「はあ!? 最下位が偉そうなことを!」
 大きな怒鳴り声にクラス中の視線がこちらへ向く。劣等生は心底おれを殴りたそうな様子だったが、注目されているのに気付いて思いとどまったらしい。悔しそうな顔をしておれを睨むだけだ。その度胸のなさがおかしくて笑いかけてやると、劣等生の顔がますます険しくなった。
「二人とも、喧嘩はやめてくれ」
 ここで殴り合いにでもなれば面白かったのに、案の定あの優等生は仲裁に入ってきた。優等生に諭されて、劣等生はこちらを睨みはしたものの、何も言わずにどこかへ歩き去って行った。他の劣等生達もそれに続く。全員がいなくなってから優等生はおれに言った。
「ああいう言い方はどうかと思うな。あれじゃ彼らが怒って当然だ」
 人のことは言えないくせに、と正直に言えばいいものを回りくどい言い方をするもんだ。おれは肩をすくめ、怒っているらしい優等生に言った。
「どうせ底辺の奴らじゃないか。あんな奴らどうでもいいだろ」
「そんなことはない」
「少なくとも、おまえみたいな優等生が関わるような奴らじゃねえよ」
「俺はそう思わない」
 やけに真剣な顔で、優等生はきっぱりという。
「俺だって以前は彼らより成績が悪かったんだ。その時に何度か分からないことを教えてもらったことがあるし、今助けられることがあるなら助けるべきだと思うんだ」
 何度か教えてもらった? あの頃は誰もこの優等生に関わってなかったと思っていたのに、いつの間に渡りをつけていたんだ。
「自力でやるのがいいとか言ってたくせに、人には答えを教えるのかよ」
「答えは教えてないよ。ヒントだけだ。後は自分で考えないと身に付かないから。クラスメイトなんだから助け合うこともあっていいだろう?」
「クラスメイト、ねえ。おまえ、このクラスのことちゃんと理解してるか?
 優等生は劣等生に関わらない。劣等生は優等生の邪魔をしない。自分の階級を越えちゃいけない。このクラスに来て半年以上たつんだからそれぐらい分かるだろ。それとも人に教えてもらわなきゃ分かんねえか?」
「分かってるよ。それぐらいのことは」
 静かに優等生は答えた。
「それでも、僕は優等生・劣等生という括りの中に閉じこもっていようとは思わない。『階級が』なんて言って誰かを見下すようなことはしたくない」
「やっぱ分かってねえな。これがこのクラスの暗黙の了解(ルール)なんだよ」
「ルールだとしても従うつもりはないよ。むしろ、こんなルールがあることに俺は納得してない。『階級』に閉じこもっていたら他の人達のことを理解できなくなるのに」
 やりたいことがあるから諦めたくないと言った時のように、真摯に、真面目に、かつ『優等生』らしい台詞を言う。嘘も偽りもない。劣等生だった時のまま。
本当に、こいつは、
 不愉快だ。
「そうか。なら勝手にしろよ」
 そう吐き捨てて、おれは優等生に背を向ける。わざわざ忠告してやったのに、人の話を聞かない奴だ。罰として、勝手に自滅すればいい。
 暗黙の了解(ルール)を守らない奴は、いずれ暗黙の了解(ルール)に屈して破滅するだけなのだから。

 それからも、優等生は頼まれれば劣等生達に勉強を教えていた。
作品名:おもいで 作家名:紫苑