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おもいで

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 そいつが現れたのは中期試験の一週間前のことだった。

 どう考えても転入には不都合な時期だった。あともう少し待って年の初めに入ればいいものを、わざわざこんな時期に入ってくるということは只者ではないのだろうと、誰もが思っていた。
 おれが所属していたのは、他と比べるとはるかにレベルの高いことを学ぶ特別なクラス。年の初めから授業を受けていてもついていけない者がいるこのクラスで、転入生とは飛びぬけて優秀であることと同義だ。誰もがそのことを承知していて、表面上は友好的に、しかし試験にかこつけて儀礼以上の会話はしなかったが、誰もがこの時期外れの転入生に注目していた。少なくとも、一週間後の試験でその優秀さを発揮するだろうと期待していたのだ。

 果たして、結果は予想外のものだった。
 きっと素晴らしい成績を収めるだろうと思われていたにもかかわらず、転入生の成績はぶっちぎりで最下位だった。あの点数では、普通のクラスでも並以下の成績だろう。それくらい転入生の成績は酷かった。
 勉学が駄目でも他の才があるのではないかとも言われたが、それはもっと有り得なかった。転入生は小柄でやせぎすで、当然ながら身体能力が優れているということはなく、反射神経が少しばかり良いぐらい。時季外れの転入生は才能と呼べる代物を全く持ち合わせていなかった。
 それが明らかになったとき、クラスに失望が広がった。期待が裏切られたというだけでなく、あれほどの劣等生がクラスの一員になったということが残念でならなかったからだ。もっともその一部には、自らの地位を脅かされずに済んだという安堵のようなものが多分に含まれていたのだが。
 その中でただ一人、おれだけが失望していなかった。むしろ嬉しかったと言っていい。順位表に記されたおれの名前の一つ下に転入生の名前を見つけたときから、おれは今までにないぐらい“同級生(他人)”というものに興味を持ったのだ。

 二週間たった。
 件の転入生は実に凡庸な人物だった。貧相で貧弱で、身なりは当然よかったが、服に着られている感は否めない。どうやら田舎出身らしくて話す言葉は訛りが強く、礼儀作法も立ち振る舞いもどこかぎこちない。相変わらず勉学も運動もからっきしで、とりえと言えば真面目で大人しくてお人よしなことぐらい。よくもまあ、ここまで無能な人間をこのクラスに入れたものである。
「おまえ、何でこんなところに来たわけ?」
 目の前でノートを広げる転入生に、おれはそう質問した。
 試験結果が発表されてからというもの、おれはたまにこの転入生の様子を観察していた。クラスの他の連中は転入生が落ちこぼれだと分かった時点で、存在を完全に無視するようになったが、おれはこの転入生に興味があった。なにせこのクラスでここまで頭の悪い人間にお目にかかれることなんてめったにない。だがおれの観察を転入生は友好だと思ったらしい。ことあるごとにおれに付きまとうようになっていた。そのうちで最も多いのは勉強を教えてくれというものだ。今日もまた、転入生は教科書とノートを手に教えてほしいとやってきた。
「なんでって・・・どうして?」
 ノートをめくる手を止めて、転入生は首をかしげる。その阿呆面を拝んでから、おれは嗤った。
「どうしてもなにも、おまえのその頭じゃやっていけないってことぐらい分かるだろ」
「・・・でも、このクラスに転入することは義父上が決めたことだから」
 たどたどしく転入生は言う。言葉遣いこそ普通だが、イントネーションがおかしくて正直言って不愉快だ。こいつの義親(おや)も義親(おや)だ。こいつにどんな才能があると思ったのかは知らないが、こんな奴をいきなりこのクラスに入れても何の意味もないことぐらい、少し考えれば分かるだろうに。
「このクラスは特別な人間が集まるところだぜ。おまえみたいな平均以下の人間が来るところじゃねえんだよ」
 手厳しく言ってやると、転入生はうつむいて黙り込む。一応自覚はしてるらしい。してるならとっととやめるなり諦めるなりすればいいものをと思っていると、転入生は顔を上げ、やけに決意のこもった様子で言った。
「それでも、どうしてもやりたいことがあるんだ。だからこれぐらいで諦めたくない」
 喋り方からしておかしいくせに、心意気は立派ですってか。見込みがないのに、やる気だけはあるというのがたまらなく可笑しかった。

「・・・それ、違うんじゃないかな?」
 おれが教えてくれと頼まれた問題を解いていると、転入生が遠慮がちにそう言ってきた。調子よく問題を解いていたところを邪魔されて、おれは苛立った。
「は? なに言ってんだよ」
「その公式、確かこうだよね」
 転入生はノートの余白に書いた公式を指しておれに見せる。確かにおれが書いた式とは少し違うが。
「んなわけねえだろ。おい、教科書貸せ」
 教科書をひったくって目的の公式を探す。少し面倒な公式でうろ覚えではあったが、それならなおさら転入生が正しく覚えているとは思えない。ペラペラとページをめくり、ようやく公式を見つけ出したおれは、そこに書かれているものとおれと転入生が書いた公式を見比べた。
 転入生の書いた公式と教科書の公式は同じものだった。
「どうだった?」
 そう問いかける転入生に一言「おまえのがあってる」と答える。そしておれは教科書から目を離し、持っていたペンを放り出した。
「面倒くせ。やめた」
 そういうと、転入生はきょとんとした顔でおれを見た。
「おまえさ。何でもかんでも人に聞いてねえで少しは自分でやれよ。それだからいつまでたっても落ちこぼれのまんまなんだよ」
 適当にそう言って、教科書を押し返す。劣等生のくせに試験以外で役に立つとも思えない公式を覚えていたくらいで得意げな顔をされるのはイライラするし、今までは考えなくても答えられる問題だったからよかったが、そろそろ面倒な部分が増えてきたのだ。何でおれがこの落ちこぼれのためにわざわざ時間を使って教えてやらなきゃいけないんだ。何の利益もない、ただの時間の無駄じゃないか。
 わざと真面目な顔をして転入生を見ていると、あいつも真剣な表情をして教科書を取り上げる。
「・・・そうだね。僕は君に頼りすぎてた。これからは自分でやるよ。今まで教えてくれてありがとう」
 おれは適当に言ったのに、転入生は真に受けたらしい。あいつは自分の机に戻ると教科書を広げ、じっと考え込む。どうやら本当に自分一人でやるつもりのようだ。
(そんなことしても分かるわけがねえのに)
 このクラスに虐めも差別も存在しない。あるのは実力に基づく厳格な身分制度だけだ。その最下位に位置づけられた転入生にわざわざ勉強を教えてやろうと思う奇特な人間なんていない。ましてや関わろうとすらしないだろう。おれにとっても単なる暇つぶしでしかないのだから。
 あいつはずっと劣等生のままだろう。おれはそう確信していた。

 しかし半年後。事態は急変した。
 あの落ちこぼれの転入生が、突如試験で成績上位に躍り出たのだ。
作品名:おもいで 作家名:紫苑