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読者の君

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表面から見ただけのことしか言えないね。まずはそこに限ってコンパクトにまとめておかないと私はとてもとても彼女の心にまで筆が到達しない。簡潔に述べよう。
うち煙っていた眉はその後どうなったか。うち煙ったままの十年だった。この眉に対して、私の描写能力を発揮しようなぞと甲斐ないことは企まないね。この眉のほどに、つまらない日常言語は吸収されてしまって、のこるのはうち煙りだけである。
目は切れ長に切れ上がり近くを見ることはない。針に糸を通すときでさえ、目は針穴を通してぼうぼうたる宇宙を見据えている。君なんか面と対峙してあわてないではいられまい。針のように君を突き刺して宇宙の果ての台紙に、昆虫標本のように留めるだろうからな。鼻より上のこの非地上性を少しはお分かりか。
鼻は高いぞ。ヒマラヤ山脈である。きっと近場を見るとき鼻が邪魔になるので遠くを見ざるをえないのだろう。鼻腔はやや大きめだが、ヒマラヤを支えるためには仕方なかろうが。鼻毛でもちらりと見えていれば愛嬌なんだが私にはついに見つからなかった。あそこやあそこの毛と同様に鼻毛も抜いていたのだ。いや、実は世話役の郁子にそうするように私が命じておいたのだ。サウナに入った後の慶香を、郁子は丹念に洗い、ベッドに寝せてマッサージし、無駄毛を抜き、オイルを塗らねばならない。ときどきその作業を私は窓のカーテンに身をつつんで盗み見る。射精することもある。おや、何の話をしていたっけ? 
鼻の下からふた筋の堤防が上唇に延びているが、あれは人間が齧歯目だった頃の痕跡なんだ。ここの土手が高いので、そこを注視していると、なんだか顔全体がビーバーに似てくる。
唇は厚くて横長に湾曲している。アーチ式ダムのようだ。発生段階で口唇と外生殖器や肛門はくっついていたので女の場合は口が外生殖器と合同になる。角度は後に九十度捩れるがね。今私が何を言っているかわかるだろうね。助平な君! もうやめよう。描写には飽きた。行動だ。いやそうはまだいかないね。静止的な描写には飽きたが、あっと驚く結果をもたらした前提状況の報告を、私には告げる興味があり、君には読む興味があるだろう。
前にも書いたとおり、慶香が高一のときに孝雄はアメリカの大学に行くことになった。私がそうさせた。孝雄は最初ひどく嫌がっていたが、たわいないわな、私の鍛えぬいた口舌の技に屈した。実母がどんな女になっているか興味を持ったのだろう。遅ればせながら甘えるとは何か確かめたかったのだろう。日本での鬱憤を、外人亭主を敵にみなして晴らしたかったのだろう。そうしたくなるように私が仕向けただけだがね。口舌の技で。
孝雄が心配なのは私と慶香の関係である。今まで、姫を守るナイトとして、山ノ下の悪ガキらから、源蔵から、私から、慶香を守ってきたのに、このガードが外れたらどんなことになるか、心配だったろう。妹をアメリカに連れて行きたがったからね。ところが、慶香は母親を嫌い私を好いていたんだ。どうも、読者の君は納得いかんみたいだね、こんな悪漢になんで白百合慶香が好意を示すのか。それはその、私の魔力だ。読者の君をでっち上げているのも私の魔力だ。馬鹿にしないでくれたまえ。
犬になった郁子は役に立たない。悄然として孝雄は去り、私と慶香の愛欲生活が始まった。
初夜。私が前々から噛んで含めて納得させたはずなのに、いざとなると慶香はなかなか股を開かず私をてこずらせた。私はどうしても確認したいことがあった。源蔵とのことだ。私はやっと両膝をこじ開けて、用意しておいた懐中電灯で慶香の割れ目を観察した。小陰唇を大きく開いて赤い肉のくちばしを上に上げると、処女膜がリング状に見えた。しかし尚よく見るとそれに裂傷が走っているようである。眼が痛くなってきた。油断をしていた私のこめかみを、慶香の膝が一気に閉じて挟み撃ちした。私は眩暈をこらえつつ頭を慶香の両膝のあいだから起こすと聞いてみた。
「源蔵と何回したんだ?」
答がない。
「伯父さんはね、そんなことちっとも気にしてないんだよ。怒ったりするもんか。なあに、念のためさ。承知しておかないと、私が馬鹿なことを言ったりしたりするじゃないか」
 「……五回」 
それを聞いて私の嫉妬心が噴火した。すぐさま源蔵を五回生きかえらせ五回殺した。私は慶香の右手を私のペニスに押し付け握らせた。慶香の全身を愛撫しながら震える声で質問する。
「源蔵のはさぞや大きかったろうねぇ」
 「ええ。はじめてみたとき、こんなものは絶対に入らないと思ったわ」 
私の欲情はゾクゾクと高まった。
「私のなんか比べものにならんだろうね」
 答がない。私は泣きそうになる。
「そうね。いくらかひけはとるかもね。けれど伯父様のものの方がずっと硬いわ」 
ありがとう、慶香、ありがとう。
源蔵とおこなっていたからといって私は慶香を非難する気は起きなかった。むしろ、この肉穴にあいつのあれがと思うと興奮がいや増しに増した。ずっと硬いわなどという殊勝な慰めが私の慶香への情愛を強めた。私もたわいないものである。
私は感激の涙にむせびながら挿入した。そして驚いた。かずのこ天井ではなく、上下左右全面がかずのこだった。壁面が収縮を繰り返し、何本もの筋肉の筋が張ったりたわんだりする。脇や股からえもいわれぬ芳香が沸き立ってきた。極楽じゃ。これはたまらん。
翌日から、慶香は廊下の端の部屋から私の部屋へと移り住むようになった。私は慶香と、して、して、して、しまくった。一滴も残ってやしない。精原細胞までひり出してしまった。今や私のホーデンは二つ並んで台所の隅にぶら下がった空っぽな買い物かごに過ぎない。
魔法にかかった慶香は私に次のように言うまでになった。
伯父様は、私の親であり、先生であり、親友であり、恋人であり、かかりつけの精神分析医兼産婦人科医であり、預言者であり、もう、エブリシングです。私にこれ以上歳をとらせないでね。あなたのためにいつまでも若いままでいたいの。私を弄んで、変形させて、黒ずませるのはご随にどうぞ。私は、孝雄も、源蔵も、町の男の子たちも、家庭教師の老人たちも、その老人たちが伝える世間の男たちも、伯父様と比べると、虫けら以下だと思っていますわよ。私にはただあなただけがいてくれればいい。あなた以外の世界中の人は必要ありません。私は、あなたの恋人、ママ、看護婦、小間使い、娼婦として生きていきます。あなたはイザナギ、私はイザナミ。この土地に新しい世界を創っていきましょうね。
ふっふふ、ははっは、いっひっひっひぃ。
あるときは、深夜、私達は、レセプションルームで裸で踊った。SPレコードをかけた。ウインナーワルツだ。白布が被さった椅子やテーブルの狭間を経巡る。私は彼女の耳に、よだれを垂れ流している唇をくっつけて、はるか昔の、この場の有様を注いだ。
アルバトロスが窓から飛び込んできたことがあった。紳士らは哄笑し、淑女らは悲鳴を上げた。部屋に風が立ち、羽毛のにおいが垂れ、羽毛そのものも垂れ落ちてきた。執事が箒を振り回した。鳥は山側に逃げた。
女中部屋からこっそり這い出てきた郁子がドアの陰から覗いていた。
作品名:読者の君 作家名:安西光彦