読者の君
あるとき私は浜の松の木陰から見たのだ、波打ち際を海神ポセイドンが人魚を肩に乗せて凱歌を挙げながらのし歩くのを。普段は姿勢が悪く視線の落ち着かない胡乱な老源蔵が別人のように堂々とあたりをはらっていた。悔しくも情けなくも、人魚は海風に髪をなびかせながら鈴の声を張り上げて歌っていた。その後私は源蔵が一人で住んでいる掘っ立て小屋には決して行ってはならないと彼女に繰り返し言い続けた。涙ながらに訴えた。
源蔵への私の不信と嫉妬を決定的にした出来事が起きた。
六月の、梅雨の切れ間の晴れた日の、松風そよぐ真昼どき、私と慶香は、海を見下ろす崖の上で、ベンチに坐ってよしなしごとを語り合っていた。ふと気がつくと、慶香の相槌が途切れ、その代わりに吸気に混じっていびきが聞こえた。いびきまでもが愛いものじゃ、と私はほくそえみながら慶香のしどけなさを期待しつつ隣を見た。がっくり首をうなだれて、尻を前に突き出していた。ショートパンツからYの字状にまっすぐ二本の長い脚が海風を、海そのものを迎え入れんと開いている。ところが、左足の内側に点々と赤茶色のものが行き来していた。蟻だ。皺がよったショートパンツが大腿部の皮膚とのあいだに隙間をつくっている。その隙間から中身を目指して蟻が這い寄っていた。私は上体をねじって観察を続けた。今しも一匹の蟻が、ベージュのパンティーの縁に頭を突っ込んでもぐりこもうともがいていた。まるで私自身の姿を見るようだった。私の鼻息が股に吹きかかって、慶香が薄目を開けてしまった。私は立ち上がって、蟻だ、蟻だ、蟻が悪いんだ、と叫んだ。慶香は、あれーっ、と悲鳴を上げて母屋へと走り去った。
一方、私は疑惑の泥の中でのた打ち回っていた。
源蔵は何匹も猫を飼っていた。その猫たちの役割は、蜂蜜をつけた源蔵の局所をなめることだった。蟻は慶香の割れ目に残っていた蜂蜜目当てに這い上がってきたのではないか? 源蔵のやつ、猫に飽き足りなくなって、慶香に手を出したか? おんのれ、インポのくせに生意気な! 死んだうなぎの頭を慶香の割れ目になすりつけたのか? 最新式の回春剤を使ったのか? 先代からの恩をあだで返すとは不埒千万なり!
さっそく翌日に、源蔵は焼酎の飲みすぎで脳溢血を起こして死んだ。検視官が怪しんだ。局所がなかったからだ。切り取られて、源蔵慶香いつもいっしょ、などと内股に短刀で彫ってあったなら、私は嫉妬に狂って頭をかきむしり地団駄踏んだでいただろうが、実は、猫どもがむさぼり食ってしまったのだった。猫は私の憎しみと復讐心の化身だ。慶香にはその死に様の顛末を秘密にしておいたが誰が教えたのか源蔵の名を私が口にすると耳をふさぐようになった。こちらとしては慶香が耳をふさぎながら源蔵の一物をいとしんでいないようにと願うばかりであった。
どうも話が進まないな。慶香に話をつなげて単にエピソードの垂れ流しにはならないようにと気をつけてはいるんだが。慶香の肉体のことは、抽象的には語ったね。具体的に語る段階に来たと思うが、少年の心も持っている私はあらかじめ赤面しておく。
彼女自身は自分の肉体への関心はすでに失せ、潔癖症の孝雄は、まさか妹の肉体に直接的な関心を持つなんぞプライドの放棄だとみなしていて、街の若者たちは仲間同士の与太話で話題にはしようが、自ら接近するような蛮勇は持ち合わせなかった。それは私だけに門戸開放されていた! 伯父という名のもとに何をしても許された。なんとでも理屈は立つのである。このような圧倒的優位性を利用しないわけがあろうか。私が悪徳漢であることは君もとうにわかっていようが、具体的な冒険を思い描きはできまいて。サービス精神旺盛で自慢話が大好きな私が、それを披瀝しないとでも思うかい?
まあ、ちょっとまってくれたまえ。トイレにいってきてから、ブランデーをすすることにする。君もトイレに行ってくるといい。隣りに私が立っていて、連れションしながら、早々と語り始めるかもしれないよ。
さて用がお互いに済んだとして、用を足していた間に、私は大事なことを君にまだ言ってなかったのに気がついた。どうも君が気づいていないようであることに気づいたんだよ。君は君の分際に思い至っていない。君は読者であるという特権的な立ち場に安住して私の真剣な告白をあたかもホラ話でもあるかのように読んでいるがね、特権? 笑わせないでくれたまえ。なんと身の程知らずのことか。私は作者だよ。語り手だよ。私は読者というものを想定してやって、その被想定者に語りかけているんだ。語りかけているふりをしているんだ。君は私が私の楽しみのために設定した架空の読み手に過ぎない。君が一個の人格であるかどうかもあやしいものなんだよ。それほど君は、はかない存在なんだ。私は生殺与奪の権を持っているのだ。私がこんな作業に飽きてしまったらば君をすぐ消してしまえるのだよ。君が作りものであって私がその製作者であるという力関係をお忘れなきように。慶香の話がなかなか進まんのも、君の物分りの悪さに私が心配になって、注釈のひとつもつけてみようかなどと思ったからでもあるぞ。君が私の設定した君以外でありえようか? 私をなんと思っていらっしゃる? 私は××だよ? 少なくとも君にとってはね。
ま、いい。話題を変えよう。君にとって彼女のイメージが今ひとつ曖昧なのは私の責任である。それは認めよう。では、慶香の、顔だけをまず描かせてもらおうか。
女優の誰に似ているかって? 現代の媒体が撒き散らす、とっかえひっかえの女優たちに、彼女の顔作りに参加させるする資格はなかろうて。あえて言うならば、ギリシャ時代、エウリピデス劇の主演女優を張っていた、コルネリア某であろう。なぜ彼女の顔を知っているのか。彫像が残っているのだよ。頭部の左半分が欠けた哀れな残骸としてだがね。しかし、その首、右頬、右目の半分、耳たぶのとれた右耳、巻き毛がその耳の後ろで渦巻いていて……。いいのだよ、それだけ残っていれば十分だ。復元がきわめて容易だからだ。慶香の頭部を彫像の頭部に重ねるとぴったりあって誤差が寸分もない。欠損部分は慶香自身を借用すればいいんだ。栗色の髪はいともおだやかに南風にそよいでいる。どちらを向いていても南風が正面から吹いてくるのだ。髪は地中海の海底の金色わかめのように揺らめいてとどまらない。たとえ海底で耳を澄ましても揺らぎの音は聞こえなかろうが、沈黙のざわめきを想像するのは楽しいよね? 髪をささげ持つ頭蓋骨はガルの骨相学によれば古代人型でかつ情熱型でかつ言語型となる。頭蓋骨がどれほど中身を伝えているか怪しいのは、大脳皮質がどれほど無意識を伝えているか怪しいのと相似である。美的に語るしかなかろう。実にそれが美しいのだ。頭部全体は卵だ。卵形とは言っていないぞ。卵にもいろいろあろうが、こんな卵は何の卵か。恐竜のしか思いつかん。この回転楕円体からの意表をつく逸脱! 退屈きわまるたくさんの対称を一挙に壊してしかも美の縁につかまっている。なんというバランス。上海雑技団もうらやむぎりぎりの荒業!