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正しいフォークボールの投げ方

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 眞花は手招きをし、ヒロは言われた通りに腰を屈ませた。ヒロと眞花の目線が合う高さになる。すると眞花は、ヒロの頬に自分の唇を触れる……キスをした。

「え……あ……」

 突然の行為に呆然するヒロ。

 眞花は自分がしでかした振る舞いを恥じらい、頬を桃色に染めた。やがてヒロは我を取り戻し、眞花のとっておきの贈り物に顔が真っ赤になってしまっていた。

 「えへへ。今日の試合に勝ったら、おにーちゃんにこれをプレゼントするの。それの練習だよ!」

 キスの理由を述べていると、突如眩い光がスポットライトのように眞花を照らしたのである。

「あれ……なんだろう……。なんか、眠たくなってきちゃった」

 眞花は目蓋が重くなっていくのを堪えつつ、

「おにーちゃん……またね……」

 別れを言うと共に眞花の身体が薄っすらと透けていき、間もなく消えてしまった。

「ま、眞花ちゃん!」

 手を差し出すと共に呼び止めたが、虚空に飛んでいくだけだった。

『あらあら、おませさんね』

「うわっ!?」

 消失した眞花の代わりとばかりに野球の神様が横に立っていたのだ。

「野球の神様……今まで何処に?」

『ずっと隣にいたわよ』

 野球の神様はニヤニヤとイタズラっぽい笑みを浮かべると、ヒロはまた顔を真っ赤にしてしまっていた。

 眞花を捜すのに夢中で、今の今まで野球の神様の存在を忘れてしまっていたのだ。

「や、野球の神様。い、今のは……じゃなくて! ちゃんと眞花ちゃんを甦させたんですか?」

 年端もいかない少女のキスに戸惑いながら、本来の目的を問いた。

『もちろんよ。ヒロくんみたいに異世界へ行ってしまわないために、丁寧かつ正確で慎重にね』

 それを聞いて、ヒロは胸を撫で下ろした。よくよく考えて見れば、ヒロが異世界に来てしまったのは野球の神様が甦させた時の失敗が原因だった。

 その辺りは野球の神様が非常に責任を感じており、先の言葉通りに失敗しないために念入りに行ったのである。

『神様は二度も失敗しないわよ』

 ここはルールブックに従う審判の如く、神様の言葉を信じることにした。

「それじゃ野球の神様。自分たちも戻ろうよ」

『そうね。それでは……やーきゅーうするうなら〜♪ こういう具合しやさんせ、アウト! セーフ! よよいのよい!』

 かつて披露してみせた謎の呪文を唱えると、先ほどのスポットライトがヒロにも照射されれて、光に溶け込むように姿が消えていった。

   ●○●

 病院の待合室。

「これは……」

 連絡から戻ってきた沙希は、転がっている球を拾い上げた。

「野球のボールだよね。なんで、これが此処に……」

 ふと、ベンチの方に視線を向ける。そこには誰かが座っていたはずだった。しかし誰も居ない。そもそも座っていた人が誰だったのかと、記憶があやふやになっていた。

 なんとも言えない違和感が身体を覆っていると、

「おう、タチバナ。ここにいたのか」

 背後から声をかけられて振り返ると、そこにはワダが立っていた。

「ワダ先輩。あれ……。ここに誰か座っていませんでしたか?」

「誰って……誰?」

「え? そ、それは……」

 沙希の脳裏にある人物……見慣れた人の顔が浮かんだが、名前が出てこない。その部分の記憶がぽっかりと抜け落ちてしまっているようだった。

 思い浮かんだ人物が、大きく振りかぶると上半身を捻り、左足を高く上げる独特の投法を行う姿がよぎった。かつて見た夢の光景と酷似していたのである。

 続けて必死に思い出そうとするが、その人物に関わる記憶の断片は、まるで砂浜に残った足跡が打ち寄せる波で消されるように消えていってしまった。

 そして追い打ちをかけるように看護師が廊下を大声で叫びながら駆け抜けていく。

「先生! フジサキ眞花ちゃんが目を覚ましました! せんせーーい!」

 その声に沙希が思い浮かんでいた人物が完全にかき消されてしまい、轟いた名前に反応した。

「フジサキ眞花ちゃん……! そうだ私、眞花ちゃんの様子を見に来ていたんだった。ほらワダ先輩、行きましょう!」

「えっ!? オレは自分の怪我の診察に来たんだけどな……」

 沙希はワダの手を引っ張り、眞花が居る集中治療室へと向かっていった。
 その最中、ワダとは別の人が居たような違和感は残っていたのだが、眞花が無事に起き上がっている姿を見て安心すると、違和感が消失したのだった。

 眞花は沙希の姿を見て、誰かを思い浮かべようとしたが、何も覚え出せなかった。ついさっき見た夢の記憶すら無かった。

 それは“モトスギ陽朗”の存在が消えたことを意味していた。

   ●○●

 ヒロは目が覚めると、後頭部に痛みが響く共に周りがえらく騒がしかった。

 地に仰向けになったまま、ゆっくりと首だけ動かし周囲を確認すると、思わず「久しぶりだな」と漏らしてしまうほど懐かしさを感じてしまう顔ぶれ。バスケ部員がヒロの周りを取り囲んでいたのである。もちろん、野球部員もチラホラいる。

 ヒロは、元の世界に戻ってきて、尚且つ甦っていたのだった。見守っていた各々は、目覚めたヒロに対して驚きの表情を浮かべて、

「おい、大丈夫か! 本杉!」

「本杉が目を覚ましたぞ!」

「動くなよ! もうすぐ救急車が来るから、ジッとしてろよ!」

 心配の声を掛けてくるものの、その声で後頭部の痛みが余計響いてしまう。まだ意識の方は朦朧していたのだが、その痛みを感じることで意識が徐々に鮮明になっていき、まざまざと元の世界に戻ってきたたのだと実感することが出来た。

 部員の話しから、後頭部に球が直撃した直後ぐらいだと推測出来る。異世界で長い期間を過ごしていたというのに、現実世界ではものの数分しか経ってないようだ。

「いや、なんで戻ってきているんだ!」

 思わず絶叫してしまい、その場にいた面々はヒロの突然の大声に身体をびくつかせた。

「な、なんで……」

 不可思議な現状に混乱していると、

『ご、ごめん、ヒロくん』

 直接頭の中に聞き覚えのある声が響くと、辺りの時間が止まったように取り囲んでいた部員たちや空気が静止した。

 そして、長い髪をゆらつかせ神々しい光を発しながら野球の神様が現れたのである。

「や、野球の神様……これって?」

『えっとね〜。私もよく解んないだけど、多分……。ヒロくんを戻そうとしたけど、またイレギュラーみたいなことが起きたのかな?』

 覚束ない不確かな内容に、あえて訊き返す。

「つまり、どういうことですか?」

『……ヒロくんをあの世界に戻したつもりが、こっちの現実世界に戻したみたい。神通力の方もギリギリ足りちゃったみたい。まあ二回もやったから、少しコツとか掴んだのかな〜って』

「…………」

 黙り込み、潜考するヒロ。ヒロの最終目的は、現実の世界に戻ること。

 しかし、あの異世界で野球を続けたい思いがあり、残る覚悟も出来ていた。そのつもりだった。

 だが、こうも突然に、あっけなく、突拍子も無く、戻ってきてしまったので、後頭部に響く痛みとは別の痛みが前頭葉に発症してしまった。