正しいフォークボールの投げ方
(なんだ、あの変化は?)
打者はヒロのフォークボールの変化に戸惑い、打撃に集中出来ていないようだった。
一方ヒロは、ちょっとした中断も何かを考える余裕は無い。ただフォークボールを投げて、自分の投球をさっさと終わらせたかった。
第三投目は球がスッポ抜けてしまう。ワダが左腕を全部伸ばさないと届かないほどに高めのボール球となった。
カウントはスリーノー。そして無死満塁。あと一球で、ボール球になってしまえば押し出しになってしまう。しかも『待て』の指示が出ている状況で、打者はバットを絶対に振らない。と、ワダは見抜いていた。
それでもヒロに投げさせる球は――フォークボール。
外れても良い。今はただ、ヒロに本番(試合)でフォークボールを投じさせる経験を一球でも多く得させる為に。そうワダは考えていた。
第四投目――投じられた球は、今度はど真ん中へと進んでいく。
球はホームベースの手前で鋭く大きく落ちて、ショートバウンドしたもののワダはミットの中に収めた。ストライクコースを通過しておらず、無情にもボール球と判定されてしまった。
打者は四球で一塁へと進む中、首を傾げていた。ワダの思惑通り一泡を吹かせたが、各塁にいた走者たちも進塁し、三塁走者が本塁に帰ってきた。押し出しで九点目が入ったのだ。これで二点差。
ワダはタイムを取り、ベンチの方に視線を向けた。するとミハラが立ち上がり、ベンチから出てきたのであった。ミハラはゆっくりと審判の方へと向かっていく。
監督がベンチから出てくるというのは、選手の交代を審判に伝えるため。この場合は、投手……ヒロの交代だった。
ワダや他の内野手達が、マウンド……ヒロに集まっていた。
「ヒョロ、ご苦労さん」
ワダは優しく声をかけ、ミットでヒロの頭を軽く叩いた。それは叱責とも慰めとも励ましとも捉えられる行為だったが、ヒロは自我を喪失したままだった。
そしてアナンスが響く。
「ピッチャー、モトスギくんに代わりまして、イナオくん。イナオ和久くん」
そのアナンスコールに、相手や観客どころか味方たちも驚く。
「え、イナオさんが?」
「昨日投げたばかりだろう。カワサキとかヨシダとかいるのに……」
メンバーの驚きも冷め止まない中、イナオがブルペンから出てきてマウンドに駆け寄ってくる。その姿に周りの観客から一際大きな歓声があがった。
イナオがマウンドに着くと同時に、ヒロの肩に優しく手を置いた。
「よし、よく頑張った。モトスギ、これは良い経験だ。これを次に活かせよ!」
そう声を掛け、ヒロからボールを譲り受けた。当のヒロはイナオの声が聞こえていたのか聞こえて無かったのか、下を向きつつ元気の無い足取りでベンチに向かっていた。
不行儀なヒロに遊撃手のノムラが注意しようとしたが、イナオが止める。
「今は良いよ。今はこの状況をなんとかしようか」
ヒロよりも今のピンチの状況について目を向ける。
「ノーアウト満塁だ。だが二点差もある。ここは何があっても一点死守ではなく、一点取られても良いから、まずワンアウトを取るぞ」
「「オウ!」」
イナオの提言に一同は声を上げ、ワダだけを残して解散し自身の守備位置に戻っていく。
「モトスギの方は仕方ない。それよりも、このピンチをなんとか切り抜けないとな、ワダちゃん。いつもので頼むよ」
「分かっているよ、サイちゃん。注文通りに頼むぜ」
気心知れた二人の軽い掛け合い。その短い会話の中で何をするべきか以心伝心で伝わっており、ワダは守備位置に戻っていく。イナオが立つマウンドには、小さな凹みが有ったりと荒れていた。
「やれやれ、これも教えていけないとな……」
イナオは呟きながら足場を丁寧にならしていく。
マウンドを使用したままに去った張本人はベンチに戻って、肩をガックリと落とし項垂れていた。すると沙希が叱りつけるように話しかけてきた。
「モトスギくん! 初登板で散々な結果だったのはわかるけど、反省は試合後にしなさい。今はイナオ先輩のピッチングを見なさい!」
いつも優しい沙希が、険しい表情を浮かべていた。
「は、はい……」
大人しく従い、イナオの姿を凝視し始めた。ただ呆然と眺めている、といった方が正しい。ヒロは何も考えたくはなかったのだ。
イナオの投球練習が終わり、試合が再開された。
打者……いや試合全体の雰囲気が先ほどと違い、ピーンと張り詰めていた。相手チームは、投手がイナオだということもあり、先ほどみたいに押し出しは期待出来ないと認識していた。それはイナオの制球力はずば抜けており、その実力もまた有名であった。
ワダはサインを出さない。自分が出す必要が無いからだ。こういった危機的な状況では、全部イナオに任せている。イナオとワダはノーサインでの投球を可能としていた。
第一球は評判通りの制球力で、外角低めの際どいコースへとズバンと決まり、打者は全く手が出せなかった。
打者は打席から出て、自陣の監督の方に視線を向けてサインを確認する。
太陽高校の監督は考える。
(相手はあのイナオ。ならば、確実に一点を取りにいくことが無難だ……)
監督は自身の身体の肩や手の甲、帽子のつばを触ったりしてサインを出すと、打者は頷いた。
イナオの第二投。第二球を投じようと腕がしならせている瞬間、打者はバントの構えをし、三塁走者が走りだす――スクイズだった。その動きをイナオは感知取ると、右手の中指に微かに力を入れて、瞬時に外角の大きく上ずる高めのコースへと投げた。
打者は打席から両足が出ないように体を出し、構えたバットを伸ばしてなんとか球を当てようとする。しかし、球がバットに接触しようとした間際、球が僅かに横すべりしたのである。その所為でバットのミートポイントからズレて当たり、球が高々と真上に飛翔した。
本来スクイズやバントは、是が非でも地面に転がさなければならない。こうして飛球させてしまってはダメなのだ。
ワダはキャッチャーマスクを放り捨て、重力に従い落ちてくる球に狙い定めてガッチリと捕球した。結果は補邪飛(ファールフライ)。三塁走者は球が飛球してしまった時点で、慌てて三塁へと帰っていた。これで一死。
次の打者には代打が出され、左打席に入る。
素振りを見るからに中々良い音を立てているものの、何処か気負いを感じる。少し落ち着きが無く、初々しい顔……一年生であるとイナオは判断し、
(結果を残したいだろうな……)
打者の心情を察した。ならばと、イナオは真ん中へと投じた。
甘いコースに、思わず手が出る打者。
だが、球は微妙に外角へと曲がっていた。途中でバットの軌道を変えることができず先端に当たってしまい、打ち損じてしまった。
球は三遊間に力無く転がっていくと、遊撃手のノムラがしっかりグラブで捕球し軽やかに二塁で構えていたアナンへと送球。球を受け取ったアナンも俊敏の動作で一塁のオオシマに送球し、流れるように二重殺(ダブルプレー)を完成させて、スリーアウトチェンジとなった。
作品名:正しいフォークボールの投げ方 作家名:和本明子