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そばにいて

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 形の合わない窮屈な服を着ているみたいだと思った。引き千切るか脱ぎ捨てるかするしかない。服が脱げなかったら身を削いで脱ごうとした。文字通り削いだのはあおいだ。あおいを発見したのはやはり母親で、床に敷き詰められたじゅうたんはあおいの血を吸って膨らんでいた。

 明るくなった映画館の中で、手鏡を覗きこみ目尻に滲んだ黒いアイライナーを拭った。外に出ると冷たい風に前髪が吹きあがった。羽織ったコートのポケットに手を入れ、みすずと話をしながら歩く。
「あのときあおいは何て言ったか覚えてる?」
「覚えてないよ、そんなもん」みすずはそっけなく答える。
「あの子、何も話さなかったよね」
 するとみすずは頷いき、しばらくしてからこう言った。「ずっと黙ってた」
「なんだ、覚えてるじゃないの」
「思い出したから」
「どうしてあおいは何も話さなかったんだろ」
 するとみすずは私を見下ろして言った、「困ったように笑ってた気がする。りかの赤ちゃんをあやしながら、仕方なく、ずっと笑ってた」
 言葉が詰まって出てこなくなった。頭一つ分背の高いみすずが斜めに私を見下ろして、あのときのあおいと同じように居心地が悪そうな顔で笑った。私はコートに入れていた手を出して、みすずと手を繋いだ。
 あおいは死に、私たちは生き残ったのだと、みんなで話し合ったことがある。生き延びたのか、新しく生き返ったのか。どうとでも言い表せるが、ひとつだけ確かに言えることは、私たちは死んだわけではなく、ずっと生き続けているということだった。
 あれからりかはまた赤ちゃんをうみ、二児の母として明るくがんばっている。みすずと私は相変わらずの宙ぶらりんだったけれど、ゆきはとうとう去年結婚して、沖縄で挙式した。宿泊したホテルのプールで、20代最後の思い出に、みんなでビキニを着て写真を撮った。一番のでかぱいのさつきの胸の下にみんな手を入れて持ち上げ、おっぱいを真ん中にしてふざけて撮ったものもある。ゆきの年下の新郎が「女友達って、いいっすね」と羨ましそうに巨大なおっぱいを支える私たちの手を見て言った。そんなさつきにも沖縄で会ったのが最後で、近頃は仕事が忙しく、めったなことでは遊びに誘っても乗ってこなくなった。日曜日に電話もかかってこないし、メールをしても返事を忘れていたりする。それって生活が充実してるってことで良いんじゃない、とみすずは言ったけれど、私は何となく寂しかった。季節が変わっていくみたいな、そんな寂しさだった。
 30歳を超えて、私たちの荷物はよりいっそう膨らんだみたいだった。あおいが経験することのなかった社会や仕事、責任やおそれを日常的にこなし、それなりに安定した、一般的な暮らしの土台を日々積み重ねていった。けれど、ときどき思うのは、前に向かって進むことについての臆病は実はそんなに変わっていないということだ。確かに30歳を過ぎて振り返ると、臆病のいくつかは克服したのだと安堵をつくことはできる。娘であることや、少女であったことを乗り越えて前に進んで来たことは、私たちに自信や勇気を与えて、未来を身近なものにしたかもしれない。けれどそれによって、過去までもが安全な形に変わるわけではなかった。いくら齢をとっても、幸せだと思う新しい瞬間を迎えても、私にはどうしても、過去は過去の時点のまま、存在している気がした。ときが止まったままのあおいの姿が、いつまでも私の中にあるからなのかもしれない。あのときのりかの暗い表情や、さつきの声、ひなちゃんの柔らかい体や、ゆきの不満、それからみすずとあおいと私。過去に点在する私たち、不器用な幼さや痛々しい存在は、永久にその時間軸の上に留まったままだ。あおいの死がそこにくさびを下ろしていた。
「テディは最高だったね」みすずが言った。「あの黒ぶち眼鏡買おうかな」
 私は言った。「ああいうの持ってるよレンズなし。あげようか」
「うん」とみすずが頷いたのでそのまま私のアパートの方向へと足を向けた。線路の裏通りを歩く。雑草が遠慮がちに生えているその道は私の毎朝の通勤コースだったけれど、乏しい街灯の暗がりの中、みすずと私の影が後ろに映し出されているのを振り返って見ると、いつかの学校の帰り道のようにも思えて、角から今にも、あおい、りか、さつき、ゆきが飛び出してきそうだと思った。
 みすずが言った。
「あのね、テディの名字はデュシャンなんだよ。フランス系なの」
「そうなんだ、知らなかった」
「それに、バーンの名字はテシオ。イタリア系」
「ああ、だからバーンは探検に行くのに、わざわざ櫛を胸に差していたんだ。そういう演出なわけね、納得。でも、なんでそんなこと知ってるの」
「キングの原作も読んだから」
「面白かった?」
「うん。移民の国アメリカの奥行きを感じた。それぞれのしきたりとか宗教とか歴史が家庭の奥に控えていて、でも男の子たちは外ではみんなアメリカ人になろうとしていた。だからあの物語って、混沌の中から、何者かになろうとしてそれぞれ何者かになっていく過程を象徴しているんだと思う。ゴーディは願いを叶えて小説家になったけれど、テディは運命的に何者にもなれなかった。レイ・ブラワーの死体は彼らの時間を一か所に束ねる役割ね、だからあの物語の彼らは永遠に12歳のままなの。そこに戻ることが一人生き残ったゴーディの中の追悼なのよ」
「は、なにそれ。変な解説」
「だってね、原作ではテディもクリスもバーンもみんな死ぬの。ゴーディ以外の全員が早死にしているのよ」
「少年時代の終わりと、もう一度ともだちに会いたいと願っている中年男の話なんだと思ってたけど」
「そうよ。だからレイ・ブラワーの死体が重要な地点として、ゴーディの中に根を下ろしているの」
「それってまさしくあおいのことみたいな」
「だからそうなんだよ」
「やめてよ、あおいのことは現実なんだから」
「今度は現実とフィクションに違いはない、っていうことを説明しようか?」
「もういいよ、お酒お酒」
 コンビニに入って、お金を出し合い白ワインとおでんを買って帰った。アパートの鍵を開けるとむんと部屋のにおいがして、みすずがくさっと言って笑った。
「たばこはもうやめなよー」テーブルの上に散った灰をティッシュで拭きながらみすずが言う。「だってもう400円なんでしょ?」
 みすずは大学を卒業するまで煙草を吸っていた。だから煙草は200円だという感覚のままで、400円の今の煙草の価値を受け入れることができない。私はばかになって税金とともに煙草の価値を心の中で押し上げてきたから、煙草の値段についてはきちんと時勢にマッチしている。
 私はおでんをお皿にいれて温め直す。その間にみすずがヒーターの電気をいれ、ごみをゴミ箱にいれ、テーブルをふきんで拭き、クッションをソファにのせ、床の上に散らばった本を棚に戻し、伸びきったコードを丸めて、枯れかかった植物に水をやり、洗濯物を洗濯機に入れ、ついでに玄関の靴も靴箱に整理してくれた。
作品名:そばにいて 作家名:なーな