みどりのこと
ところで、忘年会の時は、惜しいところまでいったのにね。北川くん、飲みすぎだよ。飲まないと勇気がでなかったのかな。案外、男子の方がお酒に弱かったりして。でもいい線いってたじゃない。詠子もまんざらではなかったと思うよ。直接聞いたわけではないんだけどね。あの子、あれで引っ込み思案なのよ。あたしにも、あまりはっきりとは気持ちを教えてくれないの。でも北川くんの話はよくするよ。彼女も卒業後、あたしたちがどうなるのか不安なのよ。こんなに仲がいいあたしたちでも、やっぱり別れ別れになるのかなって、よく話してる。そのことの中心は、絶対に北川くん、あなたなのよ。詠子は、北川くんとの今の関係を少なくとも続けたいとは思っているはず。でもあたしが思うに、そんな弱い関係じゃ、もうもたないわ。もっともっと強く詠子を引きつけなくっちゃ。学校が違うことなんて、なんでもないような強い関係にならくちゃ駄目よ。
もう今学期しかチャンスはないんだからね。わかってるの? 本当にしっかりしなさい。とにかく一度、特別に二人で会ってみたらどうかしら。下校とは別に、休みの日にさ。映画なんかもいいかもしれない。その後、喫茶店にでもいって、思い切って告白しちゃいなさいよ。そうよ。それがいいわ。誘えないなら映画だけは、あたしもつき合うわよ。映画の後、姿を消してあげるわ。それでもいいわよ。あたしは平気。一人で帰る。そうだ。そうしましょう。三人で恋愛映画を観るのよ。あたしがお膳立てするから、拒否しないでね。約束よ。この手紙に返信はいりません。あたしが北川くんに日にちを伝えるわ。それまで待っていて下さい。では、その時に。
みどりが選んだ映画は、ヒュー・グラントとジュリア・ロバーツが出ている恋愛コメディだった。ごく平凡な小さな本屋のオーナーであるヒュー・グラントが、自らの分身でもある人気女優のジュリア・ロバーツに恋をする。エンディングは女優の記者会見の席上で、ヒュー・グラントが彼女にプロポーズするのだった。みどりは、既にこの映画を観ていたのかもしれない。そんな疑いすら持った。まさにうってつけの映画だったのだ。そして映画が終ると、みどりは、
「これから大浦くんとデートなの」
と本当か嘘かわからない理由を告げて僕と詠子を置き去りにした。大浦とみどりは、つきあっているふしがあったのだった。だからなのだろう。詠子は、そんなみどりを押し留めようとはしなかった。
僕は、かねてからの計画通りに詠子を喫茶店に誘う。詠子も断りはしない。二人きりで喫茶店にいくのは、初めてだった。
僕はアイスコーヒーを頼んだ。僕は冬でもアイスコーヒーを飲む。シロップをふんだんに入れて。それがその日は、なぜか恥かしくて、少し少な目にした。シロップを大量に入れるのは子供っぽいように思われるかもしれない。詠子はミックスジュースを頼んだ。僕もミックスジュースは好きだ。そんな好みの一致にも喜びが感じられた。
「映画、面白かったね」
と僕は話しかけた。
「そうね。ラストのプロポーズの場面が感動したわ」
「ヒュー・グラントって深刻な映画には出演しないそうだよ」
「そうなの。どうしてかしら」
「さあ、それはよく知らないけど、ラブコメばかりに出てるみたいだよ」
ことは映画のようには、いかない。僕はやはりグズグズしている。
「卒業まで、もうすぐだね」
「その前に受験があるわ」
「そうだね。みんな頑張らなきゃいけない」
「そうよ。みんなが合格しなくちゃ」
「合格したら、またみんなで集まろうよ」
「それはいい考えね」
「そうだよ。絶対にそうしようよ」
「うん。そうしよ、そうしよ」
その日、僕が詠子にいったのは、それだけだった。次の日、みどりにその事を話すと「いくじなし」といわれた。そうだ。僕はいくじなしだった。
みんな合格した。合格祝いは行われなかった。うまい具合に場所が見つけられなかったのだ。中学生が酒盛りをする場所を見つけるのは難しい。僕と詠子は、あいかわらず下校時に話し、CDを貸しあった。卒業式の前の日まで。二人の間に、それ以上の進展はなかった。
中学を卒業してから高校に入学するまでの短い期間に、みどりから電話があった。この間に告白なさいと、みどりは僕にいった。短い会話だった。だって家族に聞こえる。電話は居間にあった。僕は詠子に電話することができなかった。会えなくなって、これほどに寂しいものかと感じつつも。そして詠子は僕の胸の内にしまわれてしまう。しかし僕は詠子のことを忘れられなかった。
高校生活が始まると、なるほど、もう中学の頃の同級生とは会えなくなる。三年生の時はクラブも引退していて暇だったのだ。高校で僕は中学同様バレーボール部に入部した。放課後は練習に費やされる。電車通学だったので帰るのは夕食前だ。とてもじゃないが詠子と会う時間などない。それでも時折、みとどりからの電話はあり、詠子がK校でバレーボール部のマネージャーになったと知らされる。僕は、いつか試合の時に、詠子に会えるかもしれないと胸をわきたたせる。しかし僕たちN校はK校よりも上部リーグにいたので、その機会はほとんどなかった。総体などの大きな大会くらいしか違うリーグの学校とは対戦することもない。それでも二度ほど詠子を見かけた。当然、声すらかけられなかった。詠子が僕のことを認知したのかどうかすらわからないような邂逅だった。僕は高校では好きな女の子に一人も出会わず、ずっと詠子のことを思い続けていた。ただ心の中で。それで何か行動することはなかった。そのうちに、みどりとの音信も途絶えた。男の子たちとの関係も早くになくなってしまった。僕たちは、やはり離れ離れになっていったのだった。