みどりのこと
前にもいったが僕は中学の頃、あまり勉強もせず、たまたまうまくいっただけで進学校であるN校に進んでいた。だから入学早々に馬脚を現した。たちまちのうちに劣等生になっていた。しかし、そんなことにはすぐに慣れる。僕はずっとクラブに打ち込んだ。そして当然、大学入試に失敗して一年、浪人生活を送ることになる。それでもあまり反省せず、通っていた予備校も途中で止めてしまい、結局すべり止めに受けた私立の大学に進学する。大学時代は、クラブにもサークスにも参加せず、アルバイトもほどほどに、家にこもって、ただ好きな音楽を聴く日々だった。四年生になっても、僕の怠慢は変わらず進路もはっきりと決められなかった。当然、普通のサラリーマンの家に生まれた僕は、普通の会社に就職することを求められていた。そして僕は特に希望もなく就職した。さほどに熱心な就職活動をしたわけではなく、それでも僕を選んでくれた会社があり、そこに入社した。そんな僕だったが、大学でも会社でも僕は、そこそこうまくやれた。授業に出なくても優をたくさん取ったし、三年でほとんどの単位を修得していた。会社でも、なぜだか直属の上司や先輩に可愛がられて、自由にやらせてもらえた。そして久々に恋もしていた。同期生の女の子と一つ先輩と、二人の女の子のことを好きになっていた。さすがに中学生ではない。それまでも本気ではないデートだって、もう経験ずみだった。僕は二人の女の子とデートしていた。二人の間で煩悶していた。どちらかと決められずにいたのだ。
そんな折り、詠子から突然、家に電話がかかった。僕は中学の時から、ずっと同じ家に住み電話番号も変わっていなかった。悪い知らせだった。詠子が僕に伝えたのは、みどりの訃報だった。みどりは、何かの病気で入院していて退院して間もない時、まだ体力が十分に回復していない時に、就寝中に嘔吐して、その吐瀉物を喉に詰まらせて窒息死したそうだ。詠子はみどりのお通夜と告別式の詳細を教えてくれた。自分は、その両方に出るという。二人の仲は続いていたのだなと慨嘆した。
仕事があるので、お通夜にいくことにした。そこで久々に詠子の姿を目にする。喪服を着て悲観にくれる彼女の姿を。やはり、みどりが縁で僕は詠子と再会する。松林も大浦も小笠も来ていた。みんな仕事を持っている。だから仕方なく、お通夜に参列する。みどりが縁で、みんなが再開する。家族と残る詠子を置いて僕たちは飲みにいく。詠子はそれほど深く、みどりとのつき合いを続けていたのだ。
一人の子の父親である松林が、そんな席で不埒な発言をする。高校時代の、みどりの噂話だ。みどりはS校の近くにあるワルで有名な私立のY校の生徒たちに輪姦されたことがあるらしいというのが、その話だった。確かに、みどりには少し男子を挑発するような魅力があった。だけど輪姦なんて、さすがにさすがに行き過ぎた噂だと思い僕は顔をしかめた。ほかの者たちもそうだったようで一瞬、場がしらけた。松林は「あくまで、噂だよ」と言い訳した。近況は語り合ったが、お互いに連絡先などは伝え合わずに散会した。もう違う世界の住人だった。もしかして、その内の誰かが、また若死にしたりしたら誰かから急に連絡があるかもしれない。結婚していたのは松林だけだったが、それぞれに結婚してしまったら家も変わり連絡もつかなくなってしまうだろう。過ぎ去った時間というものは、そんな風に流れていくものだと僕は思った。
それから、どれくらいの時が過ぎたのかは定かではないが、それほど長い時ではなかった。というのも僕はまだ、二人の女の子のことで煩悶していたからだ。こんなことを相談する相手もいなかった。また詠子から電話があった。今度はよい知らせだった。詠子は結婚することになったと伝えてきたのだ。そして僕に是非、二次会に来て欲しいという。
「迷惑だったかしら」
と詠子はいった。
「迷惑だなんて、そんなことあるもんか。おめでとう。必ず参加させてもらうよ」
と僕は応じる。そして、暫し昔話に花を咲かせる。そして、みどりのお通夜の席では話せなかった、二人の近況を。詠子は、高校時代のバレーボール部のキャプテンだった男と結婚するのだといった。僕は、なぜだかほのぼのとした思いだった。詠子は高校時代に恋をして、それを育み結婚に至ったのだ。僕がその間も詠子のことを思い続けていたなんて知ることもなく。僕は高校時代、数少ないバレーボールの試合の時に、出会った彼女に声をかけることをしなかった、いやできなかった僕自身を滑稽に思った。そして間もなく花嫁になる詠子に、そして僕のことを忘れてはしなかった、だから二次会にわざわざ誘ってくれた詠子に現在の恋の悩みをうちあけた。
「まあ、それは大変」
「そうなんだ。どうしようもないんだ」
「駄目よ。よく考えて一人に決めなさい。北川くんは、そのどちらの人にも悪いことをしてるのよ」
「わかってるよ」
「いいえ、わかってない」
それから暫く、詠子に説教された。苦痛ではなかった。なぜか癒された。その昔、みどりに詠子のことでせっつかれたことが思い出される。そのみどりは、もうこの世にいない。ひょっとしたら詠子は、みどりの死によって僕のことを思い出したのかも。そんな風にも思えなくはなかった。
詠子の結婚式の二次会。そこには、松林も大浦も小笠もいなかった。みどりが生きていたならば、彼らも招いて、その会を、詠子の友人も含めて仕切っていたかもしれない。僕は、人混みの中、僕にとってはなんとも可愛らしく見える着飾った詠子の様子を眺めながら、一人、もう決して弱くはなくなったアルコールに身を浸す。そして、少し、みどりのことを考える。 〈了〉