愛道局
「皆さん何か感じましたか」
長谷川女史が皆を見渡しながら言った。さあ、わかるかなと言った表情を見ていると、自分が幼稚園児になった気がしてきて、山本は一生懸命辺りを見渡した。今いる場所は廊下のようになっていて、ガラス張りの向こうには第二浄化ブロックから続いているのだろうと思える太いパイプがあった。銀色に光るそれが緩やかに蛇行しながらかなり先まで続いている。このブロックも細長く出来ていた。
「涼しい」
誰かが言った。長谷川女史の顔は他に無いですかと言っている。
「銀色の蛇がいます」
格言男が言った。長谷川女史がそれに答えて「すばらしい。いい表現ですね」と言った。山本は軽い嫉妬を覚えた。
「他にありませんか」
長谷川女史がガラスに耳にあてて、よく聞こえないのを聞きとるような仕草をした。山本は耳に神経を集中した。何も聞こえない。
「静かだ」
ふと漏らした山本の言葉に長谷川女史が「そうですね。静かですね」と言って、笑顔が自分に向いているので、山本は年がいもなく照れてしまった。
「寝ているのです。第二浄化ブロックから送られてきた気がこの銀色の蛇の中をゆっくりと眠りながら移動していきます。前のブロックで流されていた音楽はここでは流されていません」
そう言いながら歩き出した女史について皆が歩き出した。左に銀色の蛇をみながら歩いた。つられたように皆が静かに歩いた。銀色の太いパイプの緩やかな蛇行を見ているうちに山本は次第に眠くなっていくような気がした。
さらに歩いてから、突き当たった所の部屋に入った。中にはテーブルと椅子がおいてあった。
「皆さん、少し休憩しましょう」という長谷川女史の声に、一同はおおっと言葉にならない声を出して、椅子に座った。疲れたというより、眠くなってしまってどうしようかと思っていたところを助けられたという声であろう。
「お飲物は自由にお飲みください。ここにある自動販売機は、お金を入れなくてもボタンを押せば出て来ます。何杯飲んでもかまいませんが、お腹をこわさない程度にしてください。十分ほど休憩しましょう」
長谷川女史はそう言うと部屋を出ていった。山本は女史がどこに行くのか気になったが、喉もかわいていたので、飲物自動販売機に向かった。お茶類が各種ある中から烏龍茶を選んだ。紙コップがセットされ、しばらくして音が止まったのを確認して取りだした。ふと隣にいる筈のない妻に手渡しそうになった。なぜ急に思い出してしまったのだろう。山本の頭の中で長谷川女史と妻がこちらを見て微笑んでいる。
誰かが隣の席に座ったと思ったらすぐに声がした。
「愛は時を忘れさせ、時は愛を忘れさせる」
ああ格言男かと思いながら山本は格言男を見た。少しだけ山本を見たが、前を向いたまま「長谷川さんっていいなあ」とため息まじりに言う。
「今の格言と関係あるの」
山本が聞くと、格言男はチラッと山本を見て、また視線を前に戻して「前半はね」と言った。山本はその横顔を見ながら、この男は案外シャイなのかもしれないなあと思った。
「後半は一般論ですかね」
山本が話をふると、「愛を忘れるほど長い間女と一緒にいたことはない」とポツリと言った。
「ふーん、いつも新鮮なものを求めてるとか」
山本はなりゆき上そう言ってしまったが、そうもてる男には見えなかった。
「あんたはどうなんだい」と格言男は矛先を山本に変えてきた。
「うーん、時は愛を忘れさせることはない、かな」
山本が言うと、格言男は山本を見て「ほうっ」と言った。今度は視線をそらさずしばらく珍しいものを見たかのように見ながら「そういうこともあるんだ」と言って手元の紙コップに視線を戻した。
「あの人ならそうなるかも知れないな」
格言男はそう呟いた。それはかなわぬ恋とそれに対する喜びと嘆きの思いを感じられた。山本は自分の言った言葉で妻とさらに昔つきあった女性のことも思い出した。しばらく格言男も黙っていた。同じように昔を思い出しているのかもしれない。